平成十八年六月公演
-有吉佐和子二十三回忌追悼-
「和宮様御留」
かずのみやさま おとめ
STORY
幕末(一八六〇年)、桜田門外の変で井伊大老が暗殺され、
開国を迫られ日本が揺れていた頃。
京都。公武合体が叫ばれる中、
皇女和宮に将軍徳川家茂への降嫁の話が持ち上がっていた。
ある夏の日に、和宮の叔父、
橋本中将の下女で捨て子であったフキは和宮の母、
観行院に桂の御所へ呼び出される。
桂の御所は所司代若狭守の息のかかった下人ばかりで、
安心することもままならなかった。
観行院と乳人藤はフキを和宮の遊び相手として躾だす。
桂の御所での声も出せない奇妙な生活が始まった。
秋になる、徳川への輿入れを頑なに拒む和宮の元に長橋の局が訪れ、
天皇直筆の書簡の写しを読み上げる。
そこには万一の場合には退位とまで記されていた。
また江戸から観行院の叔母勝光院が桂の御所を訪れ、
和宮に安心して輿入れするように諭す。
だがそこに和宮として出されたのはフキであった。
後日、お常御殿で長橋は、庭田嗣子に和宮の
関東お下りのお付きの女官に成る子とを願い入れていた。
一方、諸外国の圧力が強くなり、
公武合体を急ぐ九条関白は、
橋本中将に東下りの期日を今一度一考するよう伝える。
観行院と関白の板挟みになり、
なかなか話を進めない橋本中将に業を煮やした関白は
十一月東下りと言い捨てる。
余りの火急の申しつけに困惑する橋本中将。
東下りが進まぬまま冬になり、嗣子は長橋に東下りの支度金、
千四百両の願い出をするよう助言されていた。
この話は御所中に広まり、嗣子は孤立無援になっていく。
酒井若狭守は、小浜藩家老三浦七兵衛と
東下りの決断が一向に決まらぬ公家の体質を嘆いていた。
翌年の春になり、橋本中将邸では、藤とその妹、
少進が納戸で互いの服を交換して着替え、別れを惜しんでいた。
これを期に和宮はフキの前から姿を消してしまう。
フキは観行院と少進に和宮のお召し物と共に輿に入れられる。
後日、和宮の寝所では純白の綸子の寝間着を着た
フキが和宮であるかの様な扱いを受け、
不安に駆られていた。
土井重五郎は岩倉具視に和宮の東下りが延期されたのは、
大井川の氾濫よりも、
実は道中における和宮略奪の企てによるものと説明していた。
公武合体を利用し、関東はその力を強める為、
京は攘夷の為と違う思惑で進んで行く中、
岩倉は、主上を旗印に奉り御所の権利を高める良い機会と考えていた。
桂の御所では嗣子と能登命婦が
お付き女官として和宮の替え玉フキの前にいた。
輿に乗る姿を見て、
その足がしっかりとしている事に意外な面持ちを示すのだった。
一方、岩倉は酒井若狭守から東下り見届け役の支度金を受け取っていた。
ところがそんな中、一日も早くと、
せかしていた関東が東下りの延期を申し出る。
少進と観行院はフキに手習いをさせ、
和宮の替え玉としての教育を続けていた。
一八六一年、夏。
お常御殿では、
能登が嗣子に和宮は偽物ではないかと進言する。
嗣子は余計な事は考えずに、
主上の御為と思い東下りのお供をするようにと諭すが、
嗣子自身も不安を拭いきれなかった。
秋になりついに東下り出立の朝、橋本中将は和宮に拝謁する。
しかしそれはフキであり、橋本は驚きの余り腰を抜かしてしまう。
その日の夕方、大津に宿泊する一行に
関東より上洛の上臈花園が面会に訪れる。
東下り一行の慣れぬ旅が進むにつれ、疲れと共に、
互いの間に不信感が広まっていった。
安中に到着した少進は観行院に和宮愛用の手箱を渡す。
中には長く太い黒髪が二つ。
和宮と藤の出家の証であった。
一方、和宮部屋では重責と疲労でフキの精神が病み始めていた。
聞けば十日も前より食事もろくに取らず、
やせ細っていったという。
壊れた様に祇園囃子を歌うフキの姿に一同は、
ただ困惑するばかりであった。
呼び出された岩倉具視は、何事も主上の為、
国家の大事と、旅を続けるよう進言する。
土井重五郎の許嫁、宇多絵は祝言を前に幸せを噛みしめ、
父新倉覚左衛門とその妻志津に優しく見守られていた。
ある日、新倉家を訪ねた重五郎が急遽本日中に祝言を上げたいと申し出た。
余りに急な話ではあったが、
深い事情が有ると察した覚左衛門は「訳は聞かぬ。」
と二人に杯を交わさせるのであった。
旅の途中、重五郎は宇多絵に国家や大義のために
和宮の変わりとして将軍に嫁ぐよう説得していた。
自害しようとする宇多絵を止め、
自分の妻であるのならば頼みを聞いて欲しいと・・・。
人や国々に未来が有ることを信じようと堅く抱き合うのだった。
やがてフキと宇多絵は入れ替えられた。
重五郎は狂乱のフキを、覚左衛門の元に届ける。
祇園囃子を歌い続けるフキは、
人目につかぬようにと蔵の中に押し込められた。
一方、能登は嗣子に新しい和宮に手首が無いと報告していた。
嗣子は御所風の着物なら分からないだろうと告げ、
宇多絵を偽和宮として東下りを続けるのであった。
朝日のさし込む覚左衛門の家の蔵。
フキは大好きだった水汲みをしようと井戸の上の梁に扱きをかけようとして、
足を踏み外し、その扱きで首を吊ってしまう。
九段徳川清水家に着いた一行を、
将軍より仰せつかったといい上臈花園が訪れるが、
嗣子は和宮が逢いたくないと言っていると、目通りを断っていた。
その約ひと月後、一行が千代田城大奥に到着する中、
その姿を見守りに来た重五郎は暗殺されてしまう。
観行院や嗣子の万感の思いと共に華やかな東下りは完結の時を迎えた。
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