藤山寛美十三回忌追善公演
「夢噺 桂 春団治」
STORY
時は大正初期、今も昔も大阪のシンボル、
ミナミの法善寺横丁は、庶民の享楽地であるとともに、
芸人たちにとっても、とりわけ紅梅亭、
金沢亭の噺席の芸人にとっては馴染み深い横丁であった。
小料理屋や紅提灯、小間物屋などが軒を並べる横丁は、
いちものように寄席帰りの人々や多くの庶民が行き来して賑わっている。
と、突然、門口から何やら
興奮して出てきたのは古株の噺家・桂麦団治(綾田俊樹)。
先ほどの高座で大恥をかかせられたと橘屋文雀(ベンガル)
をはじめとする噺家仲間が止めるのも聞かず
騒ぎ立てるので、通行人も興味津々。
どうやら恥の原因は、売出中の桂春団治。
落語の古い型に満足できずに、
従来の型を破ろうと破茶目茶な暴れん坊ぶりで、
生来の向こう意気に強さともあいまって
人気急上昇中の春団治に自分のオハコを奪われたという。
そこにやってきたのは、春団治の姉おあき(波乃久里子)。
借金だらけの春団治の生活を紅梅亭のお茶子をしながら支え、
彼が一人前の噺家になることを
誰よりも強く願っている実の姉おあきは、
なんとかこの場を治めようと、
なけなしのお金で麦団治の機嫌を何とかとりなす。
もう一人、春団治を支えている女房のおたま(土田早苗)。
「女あそびも芸にうち」というこの時代、
春団治と惚れあっていっしょになったはずのおたまだったが、
顔には苦労の跡を滲ませていた・・・。
当の春団治(沢田研二・中村勘九郎)は高座の勢い宜しく、
今宵も芸者衆を引き連れて威勢良く夜の巷へ繰り出そうとした矢先、
先程の麦団治とばったりかち合い、
すっかり悪酔いした麦団治に、ステッキでなぶられる。
その騒ぎを傍らから止めたのは、京都の旅館「高村」の娘、
おとき(藤山直美)と妹のお奈津であった。
大の春団治贔屓であるお奈津に付き添って
京都からわざわざやってきたおときであったが、
思いもかけず春団治の人間性に触れ、
何か温かいものを感じるのであった。
そんな出会いから二年半の後、
新京極の寄席がはねた春団治達は、旅館「高村」にいた。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの春団治であったが、
看板の順位という落語界のしきたりに
割り切れず今日の高座をすっぽかしたところ。
噺屋仲間や吉本の番頭・戒(小島慶四郎)らとの酒席に、
女将のお峰(大津嶺子)のあとに酒を
運んでやってきたおときの顔をみて、
かつての法善寺でもいきさつを思い出す。
憂さ晴らしの酒を飲む春団治に、
おときはつい言葉が過ぎた発言をしてしまうが、
その言葉によって春団治は目を覚まされた様子。
数日後、今夜も飲みすぎた春団治が夜中に水を求めると、
部屋へやってきてくれたのはおとき。
荒れ気味の春団治を気遣う優しい
おときの対応にふれた春団治は、
自分はひとり者と嘘をつき、おときを誘う・・・・。
そして翌年、真打ちになり、
自前の人力車と、俥夫力松(曽我廼家文童)を抱え
今や上方落語一の人気者となった春団治であったが、
女房におたまの金と女の苦労は絶える事はなかった。
そんな時、高津に春団治とおたまが住む家に、
京都から一人の女が訪ねてきた。
三ヶ月になる春団治との子を宿したおときであった。
いまや春団治とおときに所帯となった高津に家に、
おときの父・由蔵(小島秀哉)が訪れ、
娘を心配する親心をおあきに語る。
春団治の女遊びの噂を聞いてのことだった。
由蔵やおあきの心配通り、
春団治は岩井辰の後家おりう(入江若葉)と深い仲で、
酒の配達にきた池田屋の丁稚・寛太(藤山扇治郎)にも
「後家殺し」といわれるほど。
もはや知らぬ者のないこの噂は、
産み月の近いおときの耳にももちろん入っていた。
春団治に対してのおりうの尽くし様は
まさに糸目のない豪勢なもので、
当のおりうもその行状から大店を追い出され、
親戚一同から離縁の訴訟を起こされる。
そんなおりうの家に入り浸る春団治の所へ
吉本の番頭・戒が日本レコードの林田(林啓二)
を連れてやってきた。
春団治の落語をレコードにして売り出す
という日本初の画期的な計画である。
そこへ文雀が、麦団治に瓜二つの息子・継雄(綾田俊樹)
とともにやってくる。
以前麦団治の為に春団治が用立てた見舞金に対する
お礼を伝えにやってきたのだ。
そしてこの文雀と継雄がコンビを組んで
漫才をはじめるという。
二人の新たなる挑戦に、
春団治は兄貴分らしく優しい言葉を掛ける・・・。
しかし、何故か物思いの態の春団治。
ここのところ生まれたばかりの赤子に掛かりきりのおときと、
本家との裁判でもめているおりうとの間で、
どちらの家に行っても気が滅入っている
という自分勝手な様子に戒も呆れ顔。
それから一年半が経ち、落語のレコードの売上も上々、
高座での春団治人気はさらに勢いを増し、
トレードマークの朱塗りの人力車大忙しで走っていた。
最初こそ我が子を春子と名づけ喜んだ春団治であったが、
おりうが本家との裁判に勝ってからというもの、
炭屋町のおりうの家に我が物顔で入り浸り、
子供とともに待つおときの家には
月に一・二度しか帰らないありさま。
さすがの我慢強いおときも、
春団治の内弟子の小春団治に
愚痴をこぼすようになっていた。
それでも春団治の芸の為なら
金の苦労などいとわないというおときは
大金を俥夫の力松に預ける。
日本に一つしかない江戸時代に書かれた
落語のネタを手に入れさせる為の金を、
質屋を回って用立ててきたのだった。
そんなおときが陰で見ているとも知らず、
おりうと仲良く寄り添う春団治。
挙句の果てにはその力松から渡された金を
おりうの着物の支払に使うという。
雪の降る中、肩寄せあって炭屋町へ
帰る二人を見つめ涙にくれるおとき。
それから十日続けて炭屋町に泊まり続けた
春団治が高津へ帰ってきた。
あれ以来思いつめていたおときは、
おりうと別れてくれと切り出す。
言い争う二人の会話はかみ合うことなく、
ついに春子を抱きしめ自ら外へ飛び出すおとき・・・。
活躍破棄おときと別れてから五年、
時代は昭和に移り、
春団治は今や押しも押されぬ大看板になっていた。
そんな中、長年の日本レコードとの契約がありながら、
他のレコード会社と二重契約するという事件を起こす。
契約違反の違約金はあまりに多額で差し押さえの
強制執行を受けた春団治は、
仲居で生計を建てるおたまにいくらかの金を
助けて貰うがそれも焼け石に水、
「京都で女手ひとつで子供を抱えて働いている
おときのことを思い出してあげて」、とおたまに言われ、
芸の上でも行き止まりではないかと辛らつに評価される。
おあきや力松にも論された春団治は、
自分の芸、生き様、人間の心、
苦しさについて悩みはじめる・・・。
そんな差し押さえ騒動を耳にしたおときは、
七年振りに実家「高村」を訪れた。
おときと春子を紙くずのように棄てた男、
春団治のために金を用立てる必要などないとい父由蔵に対し、
自分は他人でも春子にとっては大事な父親であり、
春団治の芸は二人の心の杖である、
と深々と頭を下げるおとき・・・。
春団治の窮状になんとかケリが付けられる目途がついた矢先、
チョボ団治が力松の死を知らせに駆け込んでくる。
おときと春子のことを心配し何度も共に
涙を流してくれた心優しき力松の死を知らされたおときは、
目頭を熱くし、静かに合掌する。
それから三年が経った。
おときが春子と親子二人でつつましく暮らす京都の裏長屋に、
春団治がふらりと訪れた。
芸の行き詰まりに悩み、
親子三人水入らずで暮らしたいという
春団治の気弱な様子にほだされることなく、
「噺屋の芸だけは、日本一になっておくれやす・・・」と、
春団治の芸の為を思い、おときは気丈にも追い返す。
春子と二人強く生きているおときに、
春団治の入り込む余地はなかった。
そして六年の後、
今では春団治の落語も、
時代が求めるものから次第にはずれ、
吉本の演芸場、花月ではかつての文雀と麦団治の息子継雄の漫才コンビ、
エントツ・オチョコの芸が拍手と歓声につつまれていた。
春子も十二歳になっていた。
健やかな少女に育った春子とおときが暮らす家に、
ある朝早くにおりうがやってくる。
突然のおりうの訪問の理由は、
春団治が胃ガンで病床にあるという知らせと、
その手術に春子の輸血を願うものだった。
自分の血で父親が助かるのならと、
おりうとともに大阪の病院へ向かう春子を、
元気に送り出すおとき・・・。
手術から半年近くがたった昭和九年十月六日。
炭屋町の家でふせる春団治の枕もとには、
姉のおあきをはじめ、戒、エントツ、
オチョコらが集まっていた。
多くの人々に看取られ、
冥土から迎えに来た白装束の力松の人力車に乗った春団治は、
おときと春子の心の中の法善寺横丁を、
静かに去って行くのであった。
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