素晴らしきスタッフたち
第4回 甲斐正人さん(作曲家・編曲家・音楽監督)編

 

 

達人の館 代表 橘 市郎 様 Message



甲斐正人さんとは、もう40年のお付き合いになります。
彼のお母さんが声楽家で、オペラ団体を主宰している時、
私に演出を依頼されたのがきっかけです。

その頃、甲斐さんは東京藝術大学の作曲家に在学していましたが、
アルバイトで妹さん(ピアニスト)とバンドをやっていたんですね。
ちょうど有楽町のライブ・ハウスで
「日本の歌コンサート」を企画していた私は、
このバンドに伴奏を頼みました。

何と彼はその時ドラムを担当していました。
確か編曲もお願いしたと記憶していますが、
なかなかの出来で、歌手たちも喜んでいたのを覚えています。

彼は、大学卒業後はクラシックの作曲家になるものと思っていたのですが、
ある日突然、相談があるといって私を訪ねて来ました。

「自分はジャンルにとらわれず幅広い音楽をやりたいんです。
一流のアレンジャーとして活躍している人を紹介してください。」

彼の目は真剣そのものでした。
その頃、私は日劇で演出補をしていたので、
振付師、県洋二さんの「ピーナッツ・ベンダー」や
「ビギンザ・ビギン」を担当した名アレンジャー、
広瀬健次郎さんに事情を話しました。

甲斐さんを広瀬さんの事務所に連れて行くと
広瀬さんは数時間で甲斐さんの才能を見抜き、
自分の事務所に採用すると共に、
指導もしてくれることになったのです。

それから1年もしないうちに甲斐さんは
「日劇ウエスタン・カーニバル」の音楽を担当し、
めきめき力を発揮していきました。

舞台、映画、テレビと文字通り何でもこなしていった甲斐さんは、
1983年32歳の時、映画「蒲田行進曲」で
日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。

それ以降、東宝、松竹、宝塚、各テレビ局で大活躍します。
私も「ロック・ミュージカル・ハムレット」、
「グリース」、「原宿物語」、「イダマンテ」、
「ブルーストッキング・レディース」などでお世話になりました。

「イダマンテ」でモーツァルトの音楽をシンセサイザーに打ち込んだ手法は、
今でこそ良く使われていますが、
これが本邦初の試みだったようです。

彼の強みはクラシックの基礎を勉強した上に、
ドラムを叩いていたリズムへの興味、
そして人の話をよく聞き、威張らない人間性だと思います。
「クラシックでもロックでも何でも持って来い!」
という懐の深さ、そして、
奇異をてらわない愛すべき人柄が甲斐さんを大成させたのです。

彼がサングラスをかけたり、髭を生やしたり、
奇抜な髪型にしたのを見たことがありません。
町で通りすがる人は彼を名音楽監督とは誰も思わないはずです。

「能ある鷹は爪を隠す」という典型的な人なのです。
「エリザベート」、「ジキルとハイド」、「アイーダ」
の音楽監督をし、華やかな宝塚の音楽を作曲したり、
編曲をしている甲斐正人さんを私は凄いと思います。

そして、現在私を会って話をしても、
40年前と少しも変わらないのが驚きです。

この人が4代目市川猿之助さんの舞台や片岡愛之助さん、
大竹しのぶさん、藤山直美さんの舞台の音楽を担当するのを
知っている人はどのくらいいるものでしょうか?

名前が先行したり、派手なパフォーマンスで人気を集める人がいる一方、
甲斐さんのように、地味ながら本当の実力を持っている人がいる。

私はこういう人を達人と呼ぶことにしています。





橘 市郎(たちばないちろう)
早稲田大学演劇専修コース卒業。
東宝(株)と契約し、1973年にプロデューサーとなる。
1981年独立後は、企画制作会社アンクルの代表をつとめ、中野サンプラザからの委嘱で「ロック・ミュージカルハムレット」「原宿物語」「イダマンテ」を、会社解散後は「ファンタスティックス」「ブルーストッキング レディース」などのミュージカルを制作。
2001年、京都芸術劇場の初代企画運営室長、
2007年、テアトロ ジーリオ ショウワ初代運営室長
2008年、京都芸術劇場プロデューサー
2014年、一般社団法人 達人の館 代表、 日本文化藝術財団理事

- 京滋舞台芸術事業協同組合 第36号 2017年春 引用 -