アイ高野の部屋

このページは、アイ高野(モッチン)公認のファンサイトでした。これからも彼の音楽を愛し、偲ぶページにしたいと思います。

1951.1.12-2006.4.1

カーナビーツの2代目ヴォーカリスト、ポール岡田さんの著書「HAIR1969-輝きの瞬間」が発売されました。
関西でのアマチュアバンド時代から、東京へ出て、キャンディーズ、カーナビーツ時代の秘話、
そしてあのミュージカルHAIRのキャストとなっての思いでを綴った本です。
不幸な終わり方をしたこともあり、その後きちんと検証されることのなかったミュージカルHAIRについての資料としても大変貴重だと思います。
詳しくは GS&POPS

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*アイ高野という名前は、愛、I、Eyeのトリプルミーニングで彼が16才でデビューした時に自分で考えた名前です。

愛称のモッチンは、本名の元成から



SHORT HISTORY

14-5才から横浜の店でドラムをたたきはじめ、フリーランサーズを経て、67年に16才でカーナビーツ結成、69年、19才でカーナビーツ解散。その後エディ藩グループに参加。下は、ロックコンサート「フィルモアから遠く離れて」のチラシ。69年末に、エディ藩がゴールデンカップスに戻ることになり、もっちんもいっしょにカップスに参加することになった。このコンサートのタイトルにもなっている「フィルモアから遠く離れて」という曲は、ゴールデンカップスが、ロックンロールジャムというニューロックのバンドが集まったライブのアルバムで演奏している。

この時期のゴールデンカップスは、もはやGSでなくニューロックのバンドで、いろんなロックフエスに参加する一方で、ディスコなどにも出演していた。カップスのレコードでは、9枚目のシングルで705月リリースの「にがい涙」から参加している。この曲は、もともとディブ平尾作詞で「今の俺さ」というタイトルで、ザ・バンドの影響の大きい曲だったが、レコードでは、松山猛(フォーククルセイダーズの作詞などを手がけていた)が捕作詞している。71年にゴールデン・カップスは、1曲(ザ・バンドの「怒りの涙」)以外は、全曲オリジナルの意慾的アルバム「フィフス・ジェネレーション」をリリースしている。なおこのアルバムのライナーでは、モッチンがリード・ボーカルをとった「VD」のヴォーカル・クレジットが印刷ミスで、ミッキー吉野になっているので、注意。
カップスは、この後7110月に「ライブ!!」(日比谷野音でのライブ)をリリースしたが、年末には、解散を決定。契約の残っていた沖縄での仕事を最後に72年正月に解散した。(その後、74年ごろ一時期、デイブ平尾がゴールデンカップスの名前でバンドを再結成、メンバーは、流動的だったがモッチンも参加していたこともある)

P
VINEレーベルから「ニューロックの夜明け番外編・からのベッドのブルース」に、幻のサンライズのシングルが収録されている。サンライズは、ミッキー吉野とスティーヴ・フォックスが作ったバンドだったが、シングル片面のみレコーディングしたところで、ミッキーがバンドを離れ、バンドが分解、もう片面をレコーディングするために作ったユニットバンドに、前からスティーヴをかわがっていた、もっちんが参加している。結局もっちんがリード・ボーカルをとってグラス・ルーツの「ベイビー・ホールド・オン」をカヴァーしたほうがA面となり、本来のサンライズの音は、B面としてリリースされた。(ただしこのシングルに名前は、クレジットされていない)

72年には、ソロシンガーとしてビクターからアルバムとシングルをリリース。この時期は、あいたかの名義で活動、なんと芸能人運動会に参加したこともある。このシングル「そよ風のバラード」は、スウィング・ウエストの曲のカヴァー。同名のアルバムは、ロックというよりポップスだが、「ドラマーマン」なんて曲も入っている。
77
年には、『コミュニケーション・アイ高野とロックンロールフレンズ』をリリース。これは、彼が仲の良いミュージシャンと作ったセッションアルバム的なもので、エディ藩、林恵文、ジョン山崎、柳ジョージ、ミッキー吉野、沖津ひさゆき、竹田和夫、ヒロ小川、マモル・マヌー 等が参加している。77年には、竹田和夫オールスターズ(竹田和夫、アイ高野、成毛滋)
でイベント「激突三大ギタリスト夢の共演」に出演。これは、サーカスのテントで開かれたユニークなコンサートだった。この後も竹田和夫オールスターズは渋谷の屋根裏等で活動していた。またこのころに楳図かずをの「まことちゃんバンド」のドラマーをつとめたこともある。
その後'80年に、竹田和夫の新生クリエーションに参加、ボーカル、パーカッションを担当して、日本テレビ系プロハンターの主題歌に使われた「ロンリー・ハート」やワコールのCMソング「ハローアップルヒップ」をヒットさせた。
この時期のクリエーションは、『朝日の国』『ロンリーハート』『ジャスト・アライブ』『ランニング・オン』などのアルバムをリリースしている。また81年には、エディ藩と共に松田優作のツアーにクリエーションがバッキングとして参加、この様子は、松田優作のライブ『ハーデストナイト』に収録されている。このアルバムでは、松田は、クリエーションの「ミッド・ナイト・ランブラー」やエディ藩作曲の「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」も歌っている。 さらに、 クリエーションの活動と並行して、ソロ・シングル「シティ・サバイバル」もリリースしている。83年に<ジャン・ケン・ポー>というユニット名義で、シングル「ロック・トゥ・ザ・ミュージック」(タケカワユキヒデとの競作盤)や「スペース小町」(TVドラマ『天まであがれ!2』」主題歌)をリリースした。

80年代は、今陽子、遠山裕、高木貴司らとYOKO&SOとしても活動していた。

83年のロックバンドのサクセスストーリーをモチーフにしたアニメ「愛してナイト」では、ビーハイヴのボーカル役(アニメの声優は佐々木功)として2枚のアルバムをリリースした。

そのほかソロで『ペットントン』(83)、『銀河疾風サスライガー(MOTCHIN名義)』(83)、『愛してナイト』(83)、『OKAWARI-BOYスターザン』(84)、『巨獣特捜ジャスピオン』(85)といったTVドラマやアニメの主題歌・挿入歌のヴォーカル、もしくは作詞、作曲等も手がけている。漫画『湘南爆走族』のイメージアルバムでもボーカルを担当している。



88年にはミッキー吉野、マモル・マヌー、デイヴ平尾などをはじめ、往年GSメンバーたちが集まった<タイガース・メモルアル・クラブバンド>に参加し、全国ツアーとCDリリースを敢行。90年代は、元ゴダイゴの浅野孝己とのユニット<Asano meets Takano>や、元クリエーションのヒロ小川たちと組んだ<リトル・カーナビーツ>、大河内元規と<MURPHY SOUPE>安岡力也、東ユウスケ、と組んだRAYSで活動。近年は、元クリエーションの佐野行直のバンドにゲストとして参加することも多かった。

この傍らGSカーニヴァルなど元GSのメンバーが集まったコンサートでも人気者だった。

またゴールデンカップスのドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』でも元気な姿を見せていた。
カーナビーツ時代の曲は、現在ではヒット曲だけでなく、当時はマイナーだったアルバムやB面の曲も若者たちに再評価されている。人気が高いのは、「CHU CHU CHU」や「素敵なサンディー」で、後者は、アメリカのWellwater conspiracyがカヴァーシングルをリリース。しているほどだ(日本盤のアルバムのボーナストラックとしても収録されている)






竹田和夫オフィシャルページ


このページのためにモッチンがインタビューに応じてくれました。
 
もっちんへインタビュー その1
もっちんへインタビュー その2
インタビューにニューロック関係の注を書き加えました。

Interview in English
カーナビーツ
カーナビーツオンツアー
The Carnabeaty
(ファンのために)
もっちんのバイオグラフィー








 




















  






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