へむれんの近況 - これまでとこれからのあらすじ(その2)
いざ、宮古へ。
そんなわけで、地元でのすったもんだ
(退職・年金やら保険やらの手続き・友人や親戚への挨拶ほか)
をやっつけて、2004年1月7日、宮古島に上陸した。
この時点で、へむれんには宮古に頼れる友人も親戚もいなかった。
唯一、父の友人の娘さんが、偶然にも宮古島に嫁入りしているとの事で、
電話やメールを通じて連絡を取り、色々教えてもらった程度。
まったくのコネなしから、果たしてどこまでできるやら・・・と、
関東を出発したときは不安の塊だった。が、ここでいくつかの
幸運が重なった。
ひとつめの幸運。
家探し・仕事探しの拠点となる、宿泊先にドミトリー(相部屋)を
選んだこと。
元々は長期戦になることを想定して予算を低く抑えるためにドミトリーにしたのだが、
そのおかげで、同じ宿に滞在している色々な人と知り合うことができた。
ホテルではこうはいかない。ロビーで他の部屋の人に会ったところで、
せいぜい挨拶くらいしかしなかっただろう。
相部屋で風呂や台所、リビングなどが共同で、常に人と接しているからこそ、
得られた貴重な情報が沢山あった。
ふたつめの幸運。
そのドミトリーにはちょうどその時期、長期滞在者(こちらで働いている人)と、
へむれんと同じようにこれから宮古に住もうと思っている人が重なって滞在していた。
長期滞在している人は既にある程度の人脈もあって、へむれんの就職や家探しのとき
ものすごくお世話になった。情報も色々手に入った。
これから住もうと考えている人とは、やはり同じ立場同士情報交換をしたりもして、
なにより「ひとりじゃない」という思いがすごく心強かった。
彼らとは、無事生活が安定した今も交流が続いている。
みっつめの幸運。
へむれんには「手に職」があったこと。
へむれんには8年間プログラマー(片足SE、あるいはその逆)として働いた実績がある。
もちろん宮古には、SEとして働ける職場など皆無に等しい。それは始めから承知していたので、
それこそ何でもやるつもりで職探しをしていた。が、こちらの人件費の低さにはあらためて驚く。
それで、じゃあ「パソコンが使える人」という求人を探したらどうか?と思って、
見てみるとやはり多少報酬が高い。
(あとで知ったことだが、沖縄サミット以来IT発信基地として注目されているとはいえ、
離島ではまだまだコンピュータに対して関心が薄いらしい。パソコンが使える人、というだけで
収入に差が出るなんて、内地ではもうありえないでしょう)
たとえワープロレベルでも、自分が持っているものが活かせるならそれに越したことはない、
というわけで、就職には大いに役立った。
でまぁ、1月15日には某ローカル新聞社に制作スタッフとして就職。
仕事をしながら家探しを続けて、2月26日に現在のアパートに入居した。
日々の生活
へむれんは宮古に来るまで、ずっと実家暮らしだった。
つまり今回が初めてのひとり暮らしでもあるわけで。
自炊を始めて数ヶ月、既に自分がいかに実家で両親に甘えてきたのかを痛感している。
実家にいるときもなんとなくわかっていたことだったが、実際に生活し始めてみると
意外なところで自分が知らなかったことに出会う。
しかしそれはそれで、まだ慣れていない家事をああだこうだと失敗しながらも
こなしていくのはなかなか楽しい。
それから、宮古島に対する自分の中のイメージも随分変わった。
やっぱり旅行に来るのと、実際に生活するのとでは色々なところで違う。
どこがと聞かれるとうまく説明できないのだけれど。
でも、こんなに小さな島なのに、宮古では毎日のように何かが起こっている。
毎日のように新しい発見がある。毎日のように誰かと知り合う。
それもこれも、慣れてしまうまでの1年かそのくらいのことかもしれないけどね。
そして、消えない野望
今はただ普通に暮らしているだけでも、何もかもが面白い状態だけれど、
それもいつかは慣れる。
そして、慣れてしまったとき、ただ日常に追われているだけだったら、
きっとつまらない。それは、ここに来る前にもへむれんが思っていたことだ。
宮古島で絵葉書屋になりたい、という思いは、もちろん今も持ち続けている。
だから時々、そのことについて今何ができるか、考えてみる。
先日ちょっとしたアイディアが浮かんだ。
最初に自分が考えていた「絵葉書屋」とは少し路線が変わってしまうが、
今の宮古島にはないものだ。
アイディアが浮かんだときには興奮して、すぐにでも始めたい衝動にかられたが、
それは危険な賭け。
ちゃんと下調べして、じっくり準備を進めないとね。今の自分には情報がなさ過ぎる。
いずれにしても、今の会社も単なる腰掛けというわけではないので、ここでキャリアを
積みながら、時間をかけてやっていこうと思う。