喜多嶋隆の描く世界
喜多嶋隆の文章は、必要最小限の言葉から出来上がっている。
しかし、その文と余白が表現しているものは、無限大なのだ。
読者はその書かれていない部分から、様々なことを感じとる。
本が喜多嶋隆の手を離れ、読者の手に渡った瞬間から
ひとり歩きをはじめて、作者の伝えたかったことが、
読み手の中でしっかりと根付いて、息づいていっているのだ。
それぞれの<Way of life>として.....

〜結末には余韻が書いてある〜
喜多嶋隆の物語の中には、”まだこの先があるのでは”と
思わせる結末を迎えるものがある。
もちろんきちんと書かれた結末があって、それに涙したり、
喜んだり、納得して、一旦は、本を閉じることになる。
しかし、そこからもっと先の展開を、想像してしまえるのだ。
(そんなことを楽しんでいるのは、私ひとりかもしれないが。)
明らかにハッピーエンドを迎えたドラマの主人公達の
今後を想像してみることは、めったにない。
きっちりと、書き込まれてしまっていて、
遊びがないからかもしれない.....
主人公達の今後を、勝手に想像してしまうことができる。
それができるということは、がんじがらめの結末が
書かれているわけではないのだろう。
では、何が書いてあるんだろう?
うまい言葉が見つからないのだが...
”結末には余韻が書いてある”
そうとでも言ったらいいのだろうか.....
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自分で喜多嶋隆について語ることはないだろうと思っていた。
その本を読めば、今も思い出す光景や気持ちがあり、
その頃自分が置かれていた状況が鮮明によみがえってくるのだ。
何度も、何度も、読み返した本もある。
読むたびによみがえるものがふえてゆく...
そういう様々な思いや光景は心の中にそっとしまっておこう。
ずっとそう思ってきた。
では、何故書く気になったのか?
それは多分、ひとつのところにとどまることを許さない
喜多嶋隆の姿勢を感じたことがきっかけなのかもしれない。
すでに喜多嶋隆のスタイルが出来上がって、出版される本を
心待ちにしている読者がたくさんいる。
にもかかわらず、それを変えて”新しい何か”に向かおうとしている。
喜多嶋隆が最近書いた文章を読んで、ふと、そんな事を強く思うようになった。
そんな喜多嶋隆のポジティブな姿勢に動かされたのかもしれない。
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私にとっての喜多嶋隆とは...一言でいえば、”バイブル”だろう。
アメリカの法廷ドラマでは、証人が証言をする前に聖書に手を置いて
宣誓をするシーンが必ずといっていいほど描かれている。
「キリストに誓って嘘をつかない。」と誓うわけである。
「〜にかけて約束する」
もし自分がするとしたら、きっと喜多嶋隆、ひいては彼の描く世界にかけて
ということになるのだろうか。
喜多嶋隆の描く主人公はみんな”潔い”。
自分の決めたルールを必ず持っていて、
それにしたがって人生をナビゲートしてゆく。
ずるいことは、決して許さない。
きちんと自分で考え、行動し、自分の責任は自分でとる。
背筋をきちんと伸ばして生きてゆく、自分の<Way of life>
に従って。
何かを選択する時、必ず思い返していることといえば、
<Way of life>に照らし合わせて、自分に嘘をついていないか。
そう決めたことについて胸をはっていられるか。
喜多嶋ガールでいられるか。
そう考えてここまで来たように思う。