ザクは対艦用である

MS針の山地獄にもどる


「○○大尉ィ、せっかく新鋭のリックドムやゲルググがあるんですから……」

「フッ、悪いな。オレにはこれが一番似合ってるんでね」

大戦末期になってもまだ、古いザクにこだわり続け、バッタバッタとジムやボールを沈めていくジオン軍のスーパーエース。彼の周囲にはホンモノの軍人臭さ、男臭さがプンプン漂っている。こういうシチュエーションというのは、ガンダムおたくとしては確かに「燃える」話ではあるのだが、真面目に考えてみるとどうだろう? 果たしてそういうヤツが、ほんとうにカッコいいと言えるのだろうか?


ご存知の通り、ザク(MS-05及び06)は世界で初めて量産されたMSである。ザクが登場した当時、世界中のどこを見渡してもザク以外のモビルスツーツは存在しなかった。モビルスーツは元々、ミノフスキー粒子散布下のおける有視界戦闘を目的として開発された兵器であり、その最初がザクである。便宜上、「ザク」という機種名はつけられているが、誕生したばかりの時点ではモビルスーツと言えば無条件にザクのことを指していたのである。ザクがザクという一機種として認識されていくのは、グフだのドムだのガンダムだのジムだの「ザク以外のモビルスーツ」がたくさん出てきて以降のことである。

で、そのザクが開発されていた時点で「仮想敵」とされていたものはなんであろうか? ガンダム? ジム? ボール? とんでもない。これらは皆「ザク以降」に作られたものであり、そもそもコイツらを倒すためにザクが作られた訳ではない。ザクが最も倒さねばならなかった敵、倒すことを期待されていた敵、それは言うまでもなくマゼランやサラミスなどの「宇宙艦艇」である。ザクは元々、対艦用の機種なのだ。

確かにキシリアの提言によって対MS戦闘を意識した装備云々、という話はある。MS-06A型は両肩に球形のアーマーを装備していただけだった。しかしキシリアは将来連邦軍もMSを開発・配備してくること見越し、装備の変更を命じたという。これがMS-06C型で、左肩にはシールド、右肩のアーマーにはトゲトゲスパイクが、そして近接戦闘用としてヒートホークが装備されるに至った。開戦初期の一週間戦争やルウム戦役で活躍したのは主にこのC型である。

こういう話は確かにあるが、それがどの程度有効な「近接戦闘装備」であったかは甚だ疑問だ。「対MS装備」といってもピンからキリだし、それがあるから対MS戦闘に強い、或るいは対応できる、ということはまるで別問題だろう。レースもできる市販車と、レース専用に開発された車は違うのだ。レース仕様の市販車は、そりゃタダの市販車よりは速いだろう。足回りとかブレーキとか安全装備とかも違うだろう。だがモノホンのF1マシーンと比べたら? レースをするためだけに生まれた車と比べられたら?

対応しているとは言っても、ただそれだけなんである。グフやドムもそうなのだが、一応「対応している」というだけで、はじめっからそれを考えて設計されたか、あるいはその意識(対MS戦闘)をどの程度入れていたか、というとかなり疑わしい。

そもそも、需要もないのにムダな装備を延々作り続けるのはバカバカしい話なのである。アムロの乗ったガンダムがあれほど贅沢な「なんでも対応装備」だったのも試作機だからで、現に大戦末期には「陸戦用」「ビームによる撃ち合い専用」「ニュータイプ対応用」といった「ガンダムの特化(スペシャリスト化)」という現象が出てきている。

ガンダムやジムという対抗兵器が出てきて、そこではじめてまっとうな対MS戦用装備の検討がなされるのが、正しい兵器開発というものであろう。兵器というのは敵を倒すためのものである。その「敵」が具体的にどういうものかわかっていない時点では、結局のところ「それなりの対応」でお茶を濁すしかないのだ。ザクやグフやドムの「近接戦闘用装備」が実際にどの程度有効であったのか、かなり怪しいもんである。

例えばザクのヒートホーク。人間がチャンバラを行う場合、よほどその道に精通した人間ではない限り、獲物は長い方が有利である。ナイフより刀。刀より槍。しかるにヒートホーク、あまりに間合いが短すぎる。「とりあえず装備してみました」の典型ではないだろうか。なによりその後のグフ、ドム、ゲルググ、全て間合いの長いサーベルを装備している点からも、ヒートホークが現実の対MS戦闘であまり役に立たなかった証明ではなかろうか。そもそも一年戦争が開戦してから連邦にMSが登場するまでの約10ヶ月間、あまたのザクパイロット達は腰にぶら下げたヒートホークを何に使用していたのだろう?

あるいはグフが装備していたヒートロッドなども、敵(連邦製MS)がどういうもんかわかってないから試験的につけてみた「近接戦闘装備」のひとつと言えるだろう。あんなもん、ランバ・ラル様だから自由自在に使いこなせたんだって。もしアレが本当に有効な装備だったとしたら、MS-07B3型で「改良」されたのはナゼだ? 欠点があったからこそ「改良」する余地があったってことじゃないのか?

「ザクを駆って連邦MSをバンバン沈めるスーパーエース」というのは、つまるところ「日本刀を使って大根の皮剥きをやってみせる」みたいなモンではあるまいか。そもそも目的が違う兵器で、芸術的に(あるいは芸人的に)違う用途のことをやってみせているのである。

それは確かにスゴいことなのだろうが、極限までリアルが求められる戦場でそれを行うことは、決して賢明なやり口とは言えない。ザクでそこまでのことができるんなら、最初っから対MS戦闘を意識したMSを使えばもっとよい結果が得られるはずだからである。それをしないというのは「個人のワガママ」であり、ジオン的には「積極的サボタージュを行う非国民」と言えよう。彼が「フッ、頼むぜ相棒」とかひとり笑いしながらザクを駆ってる間にも、彼の戦友や部下は次々と死んでいっているのである。なんとかせえよスーパーエース。

「ザクは船を沈めてナンボ」という事実の傍証としては、ジョニー・ライデンの事例が挙げられよう。彼が有名なMS-06R-2を駆って行った任務はなんだったか?「輸送船団の襲撃」である。決して「迫り来る連邦艦隊に突っ込み、星一号作戦の開始を遅らせる」なんて任務じゃないのだ。いくらRタイプといえど、対MS戦闘よりは対艦戦闘を行った方がふさわしかったからではあるまいか。

さてそれじゃあ、最初っから対MS戦闘を前提として設計されたジオン製MSとは何だろう? 対MS用MS、つまり「MSを殺すために生まれたMS」とは? いうまでもなく、ゲルググとギャンである。この二つがジオンで初めての、MS殺しMSなんである。そうとしか考えられない。ついでながら「世界で初めて、MSを殺すために生まれたMS」は、言うまでもなくガンダムである。物語の前半、ガンダムがバッタバッタとザクを倒していくのは、そういう意味では当たり前の出来事として受け止められる。

確かにザクには、ひいてはMSには「無類の汎用性」がある。だからこそ以後、百数十年にわたって主力兵器の座を占めるのである。それはそうである。でもね、ザクに期待されているさまざまな任務の中で、「対MS戦闘」っつーのがどれほどのパーセンテージで入ってると思う? それはどう考えたってゲルググより低いし、ガンダムやジムよりも低い。「対MS戦闘天下一トーナメント」みたいのをやらせてみたら、こうした経緯からザクが一番弱いはずである。時々フツーの人から「ジムとザク、どっちが強ええの?」なんて聞かれるが、これが俺の答えである。


ザクで対MS戦闘を行うのは、言ってみりゃ「彫刻刀で魚をおろす」というか「包丁で日曜大工する」というか「ノコギリで手紙の封を開ける」というか。向いてないのである。もちろんできないとは言ってない。それにペーパーナイフはペーパーナイフで、よく切れるモノとそうでないモノがある。質の悪いペーパーナイフよりは、もしかしたらよく切れるノコギリの方が手紙の封を開けやすいかもしれない。

それはそうなのだが、本質的に手紙の封を開けるならカッターやハサミやペーパーナイフの方が向いている、ということだ。それ自体で「ノコギリというのはダメな刃物だ」とは誰も言ってない。ノコギリは材木が切れればいいのであって、無理に悪戦苦闘して手紙の封を開けることはあるまい。

だからこそ、だからこそ逆に我々は「いつまでもザクを使い続けるエース像」に「燃え」て、ロマンを感じるのだ、とも言える。ただそれは単に「ザクが古いMSだから」ではなく「ザクは本質的に対MS戦闘に向いてないから」なんである。この視点を提供したかったのが、今回の主眼である。

なんでわざわざそんなことしたかというと、この考え方、つまり「ザクは対艦用であり、対MSではジムより弱い(と思われる)」という視点が、おそらく今まであんまり指摘されてこなかったものではないかと思われるからである。だからこそあえて、こういうことを文字にしてみた。「んなことわかっとるわい!」という方には時間を浪費させたことを詫びたい。

俺自身、一番好きなMSはザクだし、やっぱザクを愛してる。カッコいい。ザクだけでなく「ザクに固執するスーパーエース」に「燃える」モノを感じとるのも同様である。だからなにも余計なコトを言って、不当にザク様を貶めようという気持ちがあった訳ではない。

ただザクが好きだからといって、なんでもかんでも「ザクが優れている」という方向へ持っていきたがるのは「ガンダム的」には(あるいは「MSV的」に、といってもいい)つまらないやり方だと思うのである。「いや〜やっぱザク最高ですよ〜」はちっとも構わないが、だからといって「いや〜やっぱザク最強ですよ〜」はちょっと待てと言いたい。おたくはしばしばこういう偏愛をしがちだ。あと「最強の闘性能を持ったカスタマイズスーパーザク」とかね。それはつまり、俺の文脈でいえば「手紙の封を開けるのに最適なノコギリ!」ということである。なんかテレホンショッピングみたいでマヌケでしょ?

本当にザクを愛しているからこそ、そのいいところ悪いところを冷静に正確に把握しておいた方が、より愛も深まると思うのである。「あんなかわいいアイドルだから、ウンコしたりオシッコしたりする訳がない! まして彼氏を作るなんて許せない!」というのでは、せいぜい「恋」どまりだ。

アイドルだって人間だ。ウンコもシッコもするし,鼻くそも耳くそも出るだろう。恋も愛もセックスもするだろう。でもそれでも、「アイドルちゃんが好きだ」と言えるなら、それはちょっと「愛」とかいうものに、少しだけ近づいているような気が、しませんか? しませんか。 違うならいいです。

という訳で、わざわざ「ザクって実は使えないMSなんじゃないか?」みたいなこと言って、ザクのマイナスイメージを作ることないかも知れないけど、こういう視点を提供してみるのも「楽しみ方のひとつ」だと思ってやってみました。欠点も冷静に受け止めてこそ、真実の愛なんだと思う。真心ブラザーズ「のり弁女」という曲はこう歌います。「不思議なものだね 君よりかわいい子はたくさんいるけど のり弁ののりのように 僕の心には君がいるのさ」と。そういういうことです。


それともうひとつ、「いろんな資料を持ってないから考察ができない」という人にも「こういうやり方があるんだよ」ということを知って欲しかったのもある。「資料がないから考察できない」というのは、まあ本人がそう思い込むのは構わないが、かといって「考察やってる人は資料たくさん持ってるからだ」という方向へ行ってしまうのは見ていて悲しい。「ガンダム世界考察ごっこの楽しみ」というのは、なにも持っている資料の多寡に関わるものではない。ちょっとした遊び心と想像力があれば、それで充分コトは足りるのだと俺は思う。

俺自身、「激レア」資料なんて最近になって手に入れたものばかりで、基本的には昔買ったプラモの解説書だけでずっとやってきたのだ。今でこそ色々買うようになったけど、それら全てをきっちり読み込んで使いこなしてる訳じゃない。逆に資料の多さに溺れてアップアップしている体たらくだ。

このファイルを書くのに使った資料は、1/144のMS-06RとMS-06R-2のプラモ解説書。模型店でいっこ500円ずつだ。それとテキトーな宇宙世紀の年表があるといいが、んーなもんweb上をぐるぐる周ってりゃ、ナンボでも見つけられる。あとは映像の『機動戦士ガンダム』くらいかな。とにかく、激レア資料なんかなくたって「考察っぽいもの」はできるということだ。是非、こういう楽しみ方を知って欲しい。んで一緒に楽しみましょうよ。

(1999/9/6)


MS針の山地獄にもどる