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新古今和歌集

藤原定家ほか 

***目 次***

新古今和歌集序
新古今和歌集仮名序



新古今和歌集序

 夫れ和歌は、群徳の祖、百福の宗なり。玄象天成なり、五際六情の義未だ著れず、素鵞の地静かに、三十一字の詠甫めて興る。爾来源流寔に繁く、長短異なりと雖も、或は下情を抒べて聞に達し、或は上徳を宣べて化を致し、或は遊宴に属りて懐を書し、或は艶色を採りて言を寄す。誠に是理世撫民の鴻徽、賞心楽事の亀鑑なる者なり。
 是を以て聖代の明時、集めて之を録す。各精微を窮む、何を以てか漏脱せむ。然れども猶崑嶺の玉、之を採れども余り有り。ケ林の材、之を伐れども尽くること無し。物既に此の如し、歌も亦宜しく然るべし。
 仍りて、参議右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近衛権中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近衛権少将藤原雅経等に誥して、貴賤高下を択ばず、錦句玉章を[ひろはしむ]。神明の詞、仏陀の作、希夷を表さむが為に、雑えて同じく隷む。曩昔より始めて、当時に迄るまで、彼此総べ編みて、各呈進せしむ。玄圃花芳しき朝、[ソウ]砌風涼しき夕に至る毎に、難波津の遺流を斟み、浅香山の芳躅を尋ね、或は吟じ或は詠じて、犀象の牙角を抜き、党無く偏無くして、翡翠の羽毛を採れり。裁成して二千首を得、類聚して二十巻と為す。名づけて新古今和歌集と曰ふ。時令節物の篇、四序に属けて星のごとく羅なり、衆作雑詠の什、群品を並べて雲のごとく布けり。綜緝の到、蓋し云に備れり。
 伏して惟んみるに、代都より来りて、天子の位を践み、漢宮を謝して、汾陽の蹤を追ふ。今上陛下の厳親なり、帝道の諮詢に[暇]無しと雖も、日域朝廷の本主なり、争でか我が国の習俗を賞せざらむ。
 方今[セン]宰体を合はせ、華夷仁を詠ず。風化の万春を楽しみ、春日野の草悉く靡き、月宴の千秋を契り、秋津州の塵惟れ静かなり。誠に無為有截の時に膺り、染毫操牋の志を頤ふべし。故に斯に一集を撰び、永く百王に伝へむと欲。
 彼の上古の万葉集は、蓋し是和歌の源なり。編次の起り、因准の儀、星序惟れはるかにして、[遼]煙鬱披き難し。延喜に古今集有り、四人綸命を含みて之を成しき。天暦に後撰集有り、五人絲言を奉じて之を成しき。其の後、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集有り。聖王数代の勅に出づと雖も、殊に恨むらくは撰者一身の最と為す。茲に因りて延喜天暦二朝の遺美を訪ひて、法河歩虚五輩の英豪を定め、神仙の居を排きて、刊脩の席を展ぶるのみ。
 斯の集の体たるや、先万葉集の中を抽き、更に七代集の外を拾ふ。深く索めて微長も遺すこと無く、広く求めて片善も必ず挙げたり。但し網を山野に張ると雖も、微禽自らに逃れ、筌を江湖に連ぬと雖も、小鮮偸かに漏る。誠に視聴の達らざるに当りて、定めて篇章の猶も遺れること有らむ。今は只採得せるに随ひて、且く勒し終る所なり。
 抑古今においては、当代の御製を載せず。御撰より初めて其の時の天章を加へたり。各一部を考ふるに、十篇に満たず。而るに今入るる所の自詠は、已に三十首に余れり。六義若し相兼ねば、一両にて足るべしと雖も、風骨の絶妙無きに依りて、還りて露詞の多く加はれること有らむ。偏に道に耽るの思ひを以て、多情の眼を顧みず。
 凡そ厥の取捨せるは、嘉尚の余り、特に冲襟を運らせり。伏羲皇徳を基して四十万年、異域自らに聖造の書史を観ると雖も、神武帝功を開きて八十二代、当朝未だ叡策の撰集を聴かず。定めて知りぬ、天下の都人士女、斯道の逢ふに遇へるを謳歌せむことを。
 独り仙洞無何の郷、嘲風弄月の興有るを記すのみならず、亦皇家元久の歳、故きを温ねて新しきを知るの心有るを呈さむと欲。修撰の趣、茲に在らざらむや。聖暦乙丑王春三月と爾云ふ。
(掲載者註/原典の漢文を、書き下し文で表記した)

新古今和歌集仮名序

 やまとうたは、昔あめつち開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵞の里よりぞつたはりける。しかありしよりこのかた、その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。
 かゝりければ、代ゝのみかどもこれを捨てたまはず、えらびをかれたる集ども、家〃のもてあそびものとして、詞の花のこれる木のもとかたく、思ひの露もれたる草がくれもあるべからず。しかはあれども、伊勢の海きよき渚の玉は、ひろふとも尽くることなく、泉の杣しげき宮木は、ひくとも絶ゆべからず。ものみなかくのごとし。うたの道またおなじかるべし。
 これによりて右衛門督源朝臣通具、大蔵卿藤原朝臣有家、左近中将藤原朝臣定家、前上総介藤原朝臣家隆、左近少将藤原朝臣雅経らにおほせて、むかしいま時をわかたず、たかきいやしき人をきらはず、目に見えぬ神仏の言の葉も、うばたまの夢につたへたる事まで、ひろくもとめ、あまねく集めしむ。
 をの/\えらびたてまつれるところ、夏引の糸のひとすぢならず、夕の雲のおもひ定めがたきゆへに、緑の洞、花かうばしきあした、玉の砌、風すゞしきゆふべ、難波津の流れをくみて、すみ濁れるをさだめ、安積山の跡をたづねて、ふかき浅きをわかてり。
 万葉集にいれる歌は、これをのぞかず、古今よりこのかた七代の集にいれる歌をば、これを載する事なし。たゞし、詞の苑にあそび、筆の海をくみても、空とぶ鳥のあみをもれ、水にすむ魚のつりをのがれたるたぐひは、昔もなきにあらざれば、今も又しらざるところなり。すべてあつめたる歌二千ぢ二十巻、なづけて新古今和歌集といふ。
 春霞立田の山に初花をしのぶより、夏は妻恋ひする神なびの郭公、秋は風にちる葛城の紅葉、冬は白たへの富士の高嶺に雪つもる年の暮まで、みなおりにふれたる情なるべし。しかのみならず、高き屋にとをきをのぞみて、民の時をしり、末の露もとの雫によそへて、人の世をさとり、たまぼこの道のべに別れをしたひ、あまざかる鄙の長路に都をおもひ、高間の山の雲居のよそなる人をこひ、長柄の橋の浪にくちぬる名をおしみても、心中にうごき、言外にあらはれずといふことなし。いはむや、住吉の神は片そぎの言の葉をのこし、伝教大師はわがたつ杣の思ひをのべたまへり。かくのごとき、しらぬ昔の人の心をもあらはし、ゆきて見ぬ境の外のことをもしるは、たゞこの道ならし。
 そも/\むかしは五たび譲りし跡をたづねて、天つ日嗣の位にそなはり、いまは八隅知る名をのがれて、藐姑射の山に住処をしめたりといへども、天皇は子たる道をまもり、星の位はまつりごとをたすけし契りをわすれずして、天の下しげき言わざ、雲の上のいにしへにもかはらざりければ、よろづの民、春日野の草のなびかぬかたなく、よもの海、秋津島の月しづかにすみて、和歌の浦の跡をたづね、敷島の道をもてあそびつゝ、この集をえらびて、永き世につたへんとなり。
 かの万葉集はうたの源なり。時うつり言へだたりて、今の人しることかたし。延喜のひじりの御代には、四人に勅して古今集をえらばしめ、天暦のかしこきみかどは、五人におほせて後撰集をあつめしめたまへり。そののち、拾遺、後拾遺、金葉、詞華、千載等の集は、みな一人これをうけたまはれるゆへに、聞きもらし見をよばざるところもあるべし。よりて、古今、後撰のあとを改めず、五人のともがらを定めて、しるしたてまつらしむるなり。
 そのうへ、みづから定め、てづから磨けることは、とをくもろこしの文の道をたづぬれば、浜千鳥あとありといへども、わが国やまと言の葉始まりてのち、呉竹のよゝに、かゝるためしなんなかりける。
 このうち、みづからの歌を載せたること、古きたぐひはあれど、十首にはすぎざるべし。しかるを、今かれこれえらべるところ、三十首にあまれり。これみな、人の目たつべき色もなく、心とゞむべきふしもありがたきゆへに、かへりて、いづれとわきがたければ、森のくち葉かず積り、汀の藻くづかき捨てずなりぬることは、道にふける思ひふかくして、後の嘲りをかへりみざるなるべし。
 時に元久二年三月廿六日なんしるしをはりぬる。
 目をいやしみ、耳をたふとぶるあまり、石上ふるき跡を恥づといへども、流れをくみて、源をたづぬるゆへに、富緒河のたえせぬ道を興しつれば、露霜はあらたまるとも、松ふく風の散りうせず、春秋はめぐるとも、空ゆく月の曇なくして、この時にあへらんものは、これをよろこび、この道をあふがんものは、今をしのばざらめかも。

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入力  pearl
校正  nani
公開サイト 書籍デジタル化委員会
http://www.wao.or.jp/naniuji/
1999/11/20/掲載途中
底本 『新古今和歌集』日本古典文学大系11/1995/岩波書店
NO.030
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(註)
コード外の文字は[ ]で示し、別字またはカナで表記。
ウムラウト、アクサンなどは省略。