無法者擁護の交通法規

無法者擁護の交通法規



 例えば,安全運転の思想には,無法者を保護する理不尽な精神がある.歩行者とは
隙あらば,信号無視は勿論,所構わず安全確認もせずに横断する,傍若無人な存在で
運転する者は,そういう輩を保護しなければならない.             

 実際に車がブレーキを掛けなければ,間違いなく衝突する距離で横断を開始する.
彼らはいつでも車を止めさせる特権を持って,自分は絶対に車には轢かれないとする
信仰心に支えられているかようだ.                      

 運転する者の常識から,この距離でまさか横断はしないだろうと思うのは間違いで
神様がついていると確信する人間の常識では,それでも安全な距離なのである.車が
止まれば,神様がお守り下さったと思い込む.                 

 事故死する人間の数は毎年決まっている.それだけの死者予備軍が予め用意されて
順番待ちをしているのだ.そんな下準備があるからこそ,一定数の死者が確保されて
毎年の数値を一定数に保てるのだ.                      

 後は,そういう命知らずの存在を想定せず,平然とぶっ飛ばして来る車との衝突の
タイミングを待つばかりである.事故にあった歩行者の多くが,車は見えたと言う.
渡り切れる,車が止まると思ったと言う.                   

 そういう人間は,いつも車の前を平然と横断する習慣がある.車の存在は,言わば
投手がゆるいボールを投げた瞬間だと判断する.剛速球か,ゆるいボールかの判定は
手元を離れた瞬間には解らない.                       

 ゆっくりした車の前を横断する感覚で,剛速球ダンプの前を横断すれば,止まれる
道理はない.車の軽いブレーキで渡れる歩行者も,ブレーキを掛けるいとまもなく,
一瞬に衝突の瞬間を迎えてしまう.                      

 例えば,交通法規がどうあろうと,自分の身は自分で守らなければならないのは,
生物の絶対的な鉄則である.例えば,歩行者になった場合,青信号で横断しても尚,
身の安全は確保されない.                          

 信号に気づかず,歩行者にも気がつかず,そのまま突っ込んで来る車を想定して,
安全確認して横断する必要がある.『法規を守れば法規があなたを守る』このような
世迷言を信じてはいけない.                         

 法規は,事故の際に当事者の行動の判断基準となるだけで事故を防ぐ効果はない.
法規は,破る者がいてこそ初めて法規なのである.無法の数が圧倒的に多いところに
法規が生まれる.身を守る効果はほとんどない.                

 特に,最近は,痴呆で病院や家庭を抜け出して,夜中に路上を徘徊するボケ老人の
数が増えている.彼らは,平然と高速道路にも入り込んで,時折,冥土への旅立ちを
している.今後,この数は更に増え続けるだろう.               

 俺様は,日頃,いわゆる安全運転を心掛けるが,決して人命尊重などという崇高な
精神からではない.いわゆる交通弱者とされる無法者を,法律が安全運転する車より
深く保護しているからだ.                          

 幾ら安全運転をしようが,ひとたび無法な歩行者を死なせたら逮捕は免れぬのだ.
彼らが崇高な生命体であるなら,自らの生命を守るべく,最大限の安全を考える筈で
無謀な飛び出しなどはしないだろう.彼らは生ゴミである.           

 うっかり轢いたら車が汚い血で汚れる生ゴミである.誰しも犬猫の轢死体を避けて
通過する筈だ.彼らは生きた轢死体である.『本日も汚い生ゴミを轢くような事態に
遭遇しませんように…』こう祈るのだ.                    

 そんな俺様も,一歩車から降りれば,今度は,テメェが汚ねぇ生ゴミに変身する.
いかに天下の偉大なる俺様だとて,傍からみれば,単なる薄汚ねぇ中年爺で,彼らの
目には見えぬかも知れぬ.                          

 ものの道理も考えずに,ぶっ飛ばして走り回る車が多い現実がある.間違っても,
『手を上げて横断歩道を』渡ってはいけない.車がいないときに渡るのが身の安全を
守る最大の知恵である.                           

 手を上げて止まってくれるのは,客が欲しくて仕方がないタクシー程度だろうし,
止まった車の後から,追突して来る暴走車がないとは言えないのだ.それに,外国で
手を上げても,その意味は通じない.                     

 歩行者ではなく車を優先とする国では,横断歩道の信号も短い.年寄りがのんびり
渡れる十分な時間はない.きびきびと行動しなければ,道路の真ん中で立ち往生して
しまう.日本は生き馬の目を抜く国際感覚からも遠いのだ.           

 然し,この日本にあって,歩行者が轢かれた場合,例外なく歩行者を悪とするのが
鉄道である.止まれなかった電車が悪いとされる例は聞いたことがない.それでも,
閉まっている遮断機を無視して轢かれるバカが後を立たない.          

 歩行者や自転車は,信号が赤であろうが遮断機が降りていようが,鵜の目鷹の目で
僅かな隙を狙っていつでも渡ろうとする.轢かれれば死ぬ自覚に乏しいのだ.生命の
尊厳とは無縁な輩である.鉄道と車にどれほどの違いがあるのか?        

 自らの生命を守るのは法律ではなく,法を超えた自分自身の注意力である.自分が
横断する方向が青信号でも暴走車が走り抜ける.その意味では,信号を無視しても,
自分の注意力で渡れると言う理屈も成り立つ.                 

 それでも,俺様は歩行者の立場でも信号を厳格に守る.自分の注意力だけで渡ると
意識のレベルが低下している状態に自分が気がつかぬことがあるからだ.赤信号では
渡れない法規を破ること自体が,そのレベルの低下である.           

『車は見えたんだけれど…』と,『赤信号は分かっていたんだけど…』は,全く同じ
レベルの認識不足なのである.青信号を確認して,尚且つ安全確認を自分の注意力を
以て裏付ける.この二重の安全ロックが必要である.              

 本日も,生きた生ゴミが,いけにえとなることも知らず,神様のご加護を信じて,
信号無視に,飛び出しに,セッセと励んでいるのである.こんなゴミにつまづいて,
人生を棒に振らぬように注意が必要である.** 悪魔 **          

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