弱り目祟り目の正体について考える

弱り目祟り目の正体について考える



 これと言って悩み事の存在しない俺様である.例え生じたとしても,それは世俗の
雑事と切り捨てる.現実的な解決策を以て,努めて,心のわだかまりにならぬように
注意を払う.とは言いながら簡単ではない.                  

 心のわだかまりを放置することは危険である.ほんの少し油断すると,心はすぐに
それを捉えて離さなくなる.もの思いに沈みながらの運転にも繋がる.人間の目は,
決して外界ばかり見る訳ではない.                      

 目は基本的に,ご主人サマが心の中に抱えている,わだかまりを好んで見たがる.
目が外界ではなく,心の中を見ている現象は,ごく一般的・日常的な現象ではある.
ただ,それをハッキリと自覚出来ないだけである.               

 然も,目は常に一つのものしか見ることが出来ない.前を見ていても,常に全体を
見ている訳ではない.印象的な女が目に付けば,そこに釘付けにされる.自分の車に
危険が迫る光景があっても目に入らぬ….                   

 心の中に,わだかまりがあると,外を見ている筈の目も,気がつかぬ内に心の中に
視点を移動させてしまう.ぼんやりしてしまう瞬間は,目が心の中を見ているのだ.
孤独な運転作業に,そんな瞬間が忍び寄る….                 

 運転席に座った瞬間からは,目は運転に関わるセンサーの働きに専念させる習慣を
身につける必要がある.言ってみれば,運転席に座った瞬間から,世俗の雑事とは,
無縁な人間に変身するのである.                       

 何が起こるか解らぬ外界の旅に出る感覚で,言ってみれば,運転と言うゲームに,
専念する心構えが必要である.余計な雑念から離れられる世界が運転の世界になれば
大いなる救いにもなる?                           

 とは言いながら,それが現実からの逃避的な意味を持ってしまうと,自殺行為へと
向かう運転に導かれる….死神は,道でもないところに道を見いださせて,安心して
谷底に突っ込ませるかも知れぬ.                       

 信号の先が,ゆるやかに左にカーブする交差点で,一時期,真っ直ぐに突っ込んで
塀にぶつかる事故が続いた.そこを夜間走行するが,塀はよく見えている.どうして
突っ込んでしまうのか? 反射板が設置されて事故もなくなった.        

 目は,常にものをよく見ている.然し,視線の先が,内側と外側に分岐していて,
自分が今,どこを見ているかを自覚することが出来ない.脳は,目の見ている映像を
無批判に現実の映像と受け入れる.                      

 いかに外を見ていても,外界の刺激から,突然,思い出の世界へとさまよう視線の
移動が起きてしまう危険がある.何処か昔の女に似ている….なんて印象から,突然
内側へと視線が移動してしまう….                      

 交通弱者と言う存在は,自らが加害者になる可能性が低いだけに,余計に心の中を
見続けたまゝ,行動していることが多い.昔からヘッドホンステレオを当てたまゝの
コヤツ等が多い.                              

 考えてみれば,これは運転中の携帯電話同様に危険な代物であるが,最近,まるで
問題にされなくなっている.マスコミの視点も,一面的で,一つに心が奪われると,
他の報道を忘れてしまう.                          

 現代人は,気づかぬ内に,こんなものに影響され,振り回されているために,その
考え方も行動パターンも単純になっている.危険な社会を通行する自覚にも乏しく,
夢遊病者のように通行する….                        

 心が常に自分の現実を離れた遠いところを,さまよってしまう傾向が多分にある.
言ってみれば,情報社会の中で,超遠視的な生活をして,肝心の自分の身近な世界が
見えなくなっている.                            

 ただでさえ,目の前の現象から離れ易い心が,つまらぬマスコミ情報に晒されて,
更に,あらぬ方向にさまよっている.マスコミ報道では,極端な事例が展開される.
決して日常的ではない世界である.                      

 近頃,中高年を襲っている嵐に雇用不安が挙げられる.ハイテク化された社会で,
これについて行けぬ人間の悲哀をよく耳にする.漠然とした先行きの不安と言うのは
誠に始末に悪い.                              

 加えて,肉体的にも様々な故障が起きる可能性が高い.これに社会的なストレスが
相乗効果となって老朽化に拍車を掛ける.こんな中で運転をすると,注意力の減退が
日常的になって,かなり危ない….                      

 弱り目祟り目と,よく言われるが,慢性的な問題を抱えて,目が心の中を見据える
時間が長くなると,必然的に注意力が鈍り,結果的に災いを招き易い環境を,自分で
作り上げてしまうところから生まれる.                    

 必要以上に,問題を心の中にくすぶらせる習慣は,祟り目を呼び寄せる.ここから
いかに遠ざかるか? 個人的にどんな大きな災いでも,世間一般からみれば,所詮は
何処にでもある些細な現象でしかない.                    

 サラ金地獄の中にあって,出口のない世界をさまよっても,今や,そんな人間は,
何処にでもゴロゴロしている.そんな人間を食い物にすることを職業にする世界すら
出現している.                               

 苦しみ悩んでも仕方がない.所詮は,身から出た錆である.出来ることは,平然と
明るく振る舞うこと位しかなかろう.そんな中で下手に死んで行けば,或いは永遠に
わだかまりの中に,たたずむ結果になる.                   

 人の心の中に沸き上がる雑念は,決して止まることがない.眠っていてさえ,夢を
出現させて,様々な雑念の世界に遊んでしまう.無念無想とは,無生物の世界でも,
或いは存在しないのかも知れぬ.                       

 たまたまトンネルを通りかかったバスが,突然の崩落に遭って,乗客乗務員全員が
死亡と言う事故が記憶に新しい.トンネルも,普段は,無生物を装いながらも,その
最期には,いけにえを得て生命体として死んで行く….             

 刃物も銃弾も無生物には違いないのだが,それでも時には,この無生物が人の血を
欲しがるのだ.お前が乗っている車も,エンジンの始動で生命体と化し,それだけで
我慢出来ずに血を欲しがる….                        

 昔は,刀が人の血を欲しがって,持ち主の心を狂わせたとか? 愛刀ともなれば,
それは生命体となるを願って,血を欲しがる必然が待つ….翻って現代ではどうか?
愛車などと称して車をピカピカに磨く輩がおるが….              

 車を大事にすればするほど,その必然として,自ら生物としての存在を求めて血を
求めてさまようのかも知れぬ….他に血を求められなければ,武士が切腹する乗りで
運転者の血糊を得ようと触手を伸ばしてくる….                

 肉体を持って行動している存在が死んだとて,その意識が素直に失われて単純に,
無生物に帰る訳ではない….何処かのホームページに接続した状態で回線を切っても
ホームページの画面は残る….回線の死後も生き続けている….         

 最期に抱いたイメージが,そのまま人の死後に残る.罪を犯した中で死んで行けば
正にその罪の意識が永遠に定着してしまう.そうした残像が成仏を妨げる.死んでも
その意識は何処かで問題を抱えてしまう.                   

 幾ら肉体が眠っても,人の意識は,夢と言う特殊な世界で目覚めて,肉体を離れた
活動を展開してしまう.夢の世界へ現実に赴くことは出来ない.現代では,意識は,
電子の世界に入り込んでさまよう.                      

 こんな世界での出逢いから,恋が芽生えて結ばれた人間も多い.また,この世界で
不倫に発展して,現実の家庭生活を崩壊させた人間もいる….意識は捉えた世界を,
現実の世界だと思い込む必然である.                     

 それ故に,アニメと言う仮想の世界を,現実の世界だと信じ込んで行動する人間が
いても不思議はない.多くの人間の意識は,テレビを通して,実に種々雑多な仮想の
世界をさまよっている.                           

 これが仮想であるというのは,肉体レベルの行動範囲での感覚に過ぎない.意識が
行動する範囲の全てが現実の世界なのである.同じ空間に人間が居ても,それぞれの
意識が別の世界に居るケースも多い.                     

 喫茶店で向かい合って座りながら,コーヒーを飲んでいても,それぞれが,違った
マンガを読んでいる光景は,決して珍しくはない.種々雑多な人間が,空間を同じく
共有していても,別の世界にいるのだ.                    

 それ故に,進行方向の信号が赤でも,その人間の意識が肉体と同じ空間に位置して
それを把握しない限りは,それを認識することは出来ない.現代人の一般傾向として
肉体と意識がバラついている.                        

 現代の情報化社会が,人間の肉体と意識をバラバラにしている.仮想空間が現実に
変化している中で,多くの人間は,肉体を忘れて行動している.この傾向は,益々,
拡大の一途を辿り,信じられぬ事故を多発させて行く.             

 大体,自分の収入を無視した経済生活を営んで,借金地獄に陥るのも,担保もない
人間に金を貸し出したサラ金業者が,利用者に,借りて返させる方式を以てババ抜き
ゲームを楽しんでいるからである.                      

 今,自分の肉体が何処にいるのか? それを改めて,しっかり認識すること.この
当たり前なことが出来なくなっている人間が増えている.こんな怪しげな感覚で変な
宗教に魅せられて超能力を目指す傾向もある.                 

 つまらぬ超能力に魅せられてしまうと,自分の肉体と意識は,更に分裂して完全に
人格を破壊してしまう.自分の肉体と意識を完全に一致させる技術こそが,大いなる
超能力にも匹敵する力を発揮させるのだ.** 悪魔 **           

   日本語の表紙に戻る