気づかぬ内に眠る怖さ…

気づかぬ内に眠る怖さ…
 人間の意識は,それが変化して行く過程を,自分で認識出来ない弱点がある.今, 夢を見ているのか,それとも現実の世界に居るのか? それすら明確ではない.今, 意識が捉えている世界を常に現実であると判断するばかりである.          自分が眠気を感じていることすら気が付かず,眠り込んでしまう現象も存在する. それが何処で起こるか分からない….例えば,長距離を運転中に,自分が,目的地に 至るどの地点を走っているのか,フッとわからなくなることがある.         慣れた道でも,その全ての道筋を記憶しているとは限らない.在り来たりの風景が 続く道を走行して,『ここは何処だっけ?』などと,信じられぬ思いに囚われる…. それでも,何とか思い出してホッとする….                    似たような現象に,走っている場所を勘違いしてしまう状況がある.さる地点で, 全くかけ離れたところにある道を走行しているような錯覚を起こして,あるべき道が なくなっている…などと驚く….                         多分,こういう状況は,気が付かぬ間に,注意力が眠ってしまった瞬間であろうと 思う.事故の形態で,何でこんなところに突っ込んでしまうのか? 不思議な状況も あるが,案外,こういう錯覚が原因なのかも知れぬ.                こうした現象は,夜に多く起こる.多くの情報が欠落している中,実際に,自分が 何処を走っているかを正確に把握することは,本当は,非常に難しいのかも知れぬ. 自分が思っているところを走っている保証は何処にもない….            現実に見える道を観察して走ればいいが,記憶する道に囚われてしまうと,記憶と 一致しない部分を無理矢理捻じ曲げて,道のないところに道を作って走ってしまう? その結果,とんでもないところに車を乗り入れたりする?              左右いずれかに進まねばならぬT字路を直進して,通れる筈もない,小さな鳥居に 突っ込んだ車を見たことがある.例えば,飲酒運転とは,そんな錯覚を起こしやすい 状況を作り出すことも考えられる.                        俺様は,酒を飲まぬので飲酒運転の醍醐味を知らない.^_^; 恐らくは,外界より 心の内側の世界が大きく広がる世界である.普通以上に,考えられない錯覚を起こす 要素が多くなると思われる.                           知っている道を走行する時,記憶の中を走っているにも等しい.初めて走る道では 緊張や疲れを感じる度合いが多い.特に,細い道に入り込んだ場合は,不安がこれに 加わって,ハラハラドキドキである.                       結局,その先がどうなっているのか,記憶の助けが得られないからである.本当は 常に,初めての道を走行する注意力と,外界への強い関心が必要な筈だが,次第に, 慣れがそれらを眠らせてしまう.                         運転自体に慣れてしまえば,更に余計な作業を行いながらの運転も平然と行える. トラックを運転しながら,スイカを食っていたヤツもいた.最近,運転しながらの, 携帯電話使用中の事故が問題になっている.                    注意力が電話に奪われて,見えていることが認識に結びつかない現象が生まれる. 微妙な操作が無意識に行われている運転の操作の中に,電話が入り込むことで,何が どのように欠落するのか? これが未解明でもある?                電話に依らずとも,注意力が半減してしまう場面は至るところに存在する.直接, 運転に関係のない部分に注意力を奪われる点で,ミニスカートで自転車に乗る美女の 存在も侮り難い….                               特に,ペダルを高い位置において足を乗せている美女が,立て膝気味に信号待ちの 姿勢は,思わず姿勢を低くして,脇見運転をしたくなる衝動に駆られる.見える訳が ない…とは思いながらも…心残りである.                     目は,しっかり前を向いていても,心の中はスカートの中を見続けていたりする. こんなところに,つまらぬ心の迷いが生じる? これは携帯電話以上に悪質である. ミニスカートは取り締まるべきである.                      迷いと言えば…,車で道に迷った時,不思議なことに,別の方向から同じ交差点に 出てしまう体験が思い出される.方向性を見失うと,同じところを回ってしまう?  そんな中で,次第に一つの方向を見いだして行く….                今,自分が,どの辺りにいるのか分からなくなると,誠に心もとないものである. 特に初めて来た場所では,地図の上で通っている筈の道から外れてしまうと,もはや どの方向にずれているのかも分からなくなる….                  特に,標識すらない夜間の田舎道では,ただひたすら,幹線道路に突き当たるまで 走り続けるしかない….このような場合には,眠気を感じている暇はないが,そんな 緊張の中で,冷静さを失っていることが多い.                   まるで狐狸妖怪の類に化かされている雰囲気があって,なかなか不気味でもある. 地図に従っている筈の道で,そこから外れてしまうのは,何処かの地点で,注意力が 散漫になってしまったのである.                         これも一種の知らぬ間の眠りに近い状況である.道に迷っている時間は,あるいは 夢を見ているのかも知れぬ.通り抜けてみれば,どうしてそんなところに迷い込んで 堂々巡りをしていたのかサッパリ解らぬ….                    こんな時『今まで道に迷って帰れなくなったことはない』そのように鷹揚に構えて のんびり解らぬ道を走り続けるゆとりが必要でもある.ただ,ガソリンがなくなると もはやパニックであるが….^_^;                         現在,俺様は,カーナビを装備しているので,昔のような戸惑いに遭遇することも なくなった.然し,カーナビとて故障するかも知れない.そういう時の為に,地図や コンパスは備えておく必要がある.                        最近は,車で出掛けた先で,突然,ボケに見舞われて,自分の居る場所ばかりか, 帰るべき家が何処なのか分からなくなってしまうケースが報告されている.車という 孤独な空間の中で,人は広い心の世界をさまよってしまう….            外界に注意して走っていながら,同時に,心の中には様々な想念がよぎっている. 時には,外界の状況とは,まるで無関係な,あらぬ独り言を口走りながらの,非常に 危ない状況で車を走らせている….                        外界から関心が離れた瞬間でも,心の中の残像が,あたかもそれを見ているような 錯覚を起こさせる.瞬時に変わった状況に気づかずに,残像で捉えた情報に基づいて 走らせてしまうと,突然のショックが襲う仕組みである.             『車を運転する』状態を,心理的に表現すれば,自分の心の世界と外に広がる世界を 常に一致させて走行することなのである.それに狂いが生じると,事故が発生する. 自分の思い込みと,外界が一致しなかった…のである.               心は,常に外界の情報を忠実に反映するものでなければならず,自ら勝手な情報を 生み出してそれに従ってはならぬ.規則や正しさがどうあろうと,不合理な現象は, どうしても起こるのだ.                             いかに規則に従い,制限速度を守って走行していようと,事故を起こしてしまえば それは結果的には正しい運転ではなかったことになる.現場の状況がどうあろうとも その瞬間,そこに通り合わせてしまった不運は避けられない.            明確に目的地を目指して走行しているようでも,実は,本当の目的地が解らない. いつものように会社に向かったつもりが,途中,予期せぬ事故に遭遇して,敢え無い 最期を遂げるかも知れぬ.                            怪我だけで済んだにしても,入院すれば,会社に行く途中で道に迷って,結局は, 辿り着けない状況になったことと同じである.自分の心の世界が外界と一致せずに, 不合理な結果を招く….                             注意力の欠如が眠りへの一歩であるとすれば,人は,いつ何処ででも眠っている. 多分,車を運転を習う段階になって,初めて人間は,『注意して見る』ことを学ぶ. 自転車の感覚で車を運転したら,事故は時間の問題である.             無免許で乗れる自転車は,何も考えずに,歩いている時の延長線上で,交通感覚を 捉えている.そういう感覚を,教習所でしっかり洗い落とさないと,車は,安全には 乗れない.運転免許取得が覚醒への一歩であるとも言える.             道路を移動する上で,運転免許取得後,一年間の緊張は,注意力の何たるかを知る 最大のチャンスでもある.新しい環境への適応を果たす意味でも,様々な試練の場が 展開される.その恐怖に負けたら運転は出来なくなる….              そんな緊張が十年もすると,皆,何処かへ消えてしまう….そして遂には,俺様の ように,運転中に居眠りまでするようになる….慣れとは,必然的に眠りに繋がる. 慣れの中にいかに緊張を持続するか?                       これには強いショックが必要である.居眠り運転で塀をぶち破ったショックから, 俺様は目を覚ました….実際,それだけ眠かったのに,何とかその車で帰る時には, 全然眠くなかったのが不思議である.                       現実に事故を起こして目覚めるのではなく,何とか,別のショックで目覚められる 工夫が必要でもある.然し,多くの人間が仕事を抱えて,深い眠りから覚めることも 出来ないのだ.『それじゃ仕事にならない』と言う眠りである.           許容範囲は最大限に活用するし,積載量オーバーは常識だし,60キロ制限装置等も 取り外して90キロ以上でぶっ飛ばす.大惨事を引き起こして,やっと目が覚める…. その瞬間に自分が死ねば,遂に目覚めぬまま永遠に眠る….             何処に向かって進んでいるのか? 人は必然的に自分の死に向かって走っている. そのゴールは,一番最後でいい筈なのだが,外界への関心が薄れると,それが真先に 来てしまう.今,向かっているのは本当にこの世の目的地か?  ** 悪魔 **

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