狙撃の課題          

 ターゲットを狙う場所の選定に,ここまで
苦慮するとは….映画の狙撃場面で,標的を
地対空の関係で狙う意味が解った.地対地の
狙撃は市街地を,音速で車を走らせる困難が
存在する。

 何度も市街地での狙撃をシミュレートして
みたのだが,引き金を引く決意の瞬間から,
弾丸がターゲットに到達する時間は,非常に
長い.一瞬の間に様々な邪魔がターゲットを
遮る….

 直線に続く歩道に立って,50メートル先の
ターゲットを狙ったとしても,発射の瞬間に
途中の脇道や建物の出入口から,突発的に,
人や車が飛び出す.ターゲットは遮蔽され,
弾道は塞がれてしまう.

 更に,絶好の狙撃チャンスは極めて短い.
一瞬の逡巡がターゲットを安全圏に逃がす.
テレビ画面の人物に狙いを定める.引き金を
引く瞬間,画面が切り替わってしまうような
ものである.

 数発の弾丸を使用しても,初弾は,絶対に
外せない.確実に命中させる為に,初弾は,
標的射撃の正確さを要求される点で,姿勢の
安定を保つ片手撃ちが欠かせない.この辺り
素人の常識と違う.

 拳銃を両手で構えると,いかにもしっかり
固定される印象があるが,そのメリットは,
反動から次弾発射への回転を速めて,弾数で
ヒットさせる『数打ちゃ当たる』メリットが
あるばかりである.

 ほんの少し,射撃の基本を知って,片手で
標的の中心に弾痕をまとめられる腕を持つと
両手撃ちでは精密射撃が出来ないと気づく.
両手撃ちでの速射と正確さを発揮するのは,
俺様には無理である.

 拳銃の世界では,二列装弾と言う多装弾が
常識になったオートマチックからか,数撃つ
有利さが強調される.米軍45ガバメントは,
7発装填だったが,現代のベレッタM92Fに
代わってからは15発装填である.

 俺様は,練習には基本的に45ガバメント,
及び44マグナムを使う.反動の強さに慣れ,
これを恐れて起こる,無意識の動揺をなくす
意味がある.無駄撃ちをせず,ターゲットに
ヒットさせる為である.

 初めての射撃体験のおり,口径の大きさが
命中精度に,差ほどの影響を与えない現実を
知って,大型拳銃を使う習性が身についた.
デザート・イーグル50口径だけは,重さから
限界を感じている.

 使用する拳銃に恐れがあっては使えない.
大型拳銃に慣れると,38口径リボルバー等は
玩具感覚で撃てるようになる.反動を恐れる
無意識の反応も起こらず,冷静に,着弾点が
確認できるゆとりが生まれる.

 練習もせず,いきなり拳銃を撃った場合,
大抵,標的に弾痕が残らない結果に終わる.
引き金を引き,撃針が雷管を叩いて発射する
一瞬の間に銃口を下に向けてしまう.これは
当人には気がつかない.

 僅か30分の1秒の間に起きる現象である.
これがガンシャイと呼ばれる現象で,射撃の
基本を理解せずに,いきなり撃つと,標的を
狙うことよりも,撃つ瞬間に,恐怖を抱いて
しまうためにそうなってしまう.

 これを避けるには,徹底した空撃ち練習で
標的,照星,照門の3点一致の瞬間に引金を
引き終わる練習をする.撃鉄の落ちた瞬間を
自分の目で確認する.実弾射撃での反動は,
拳銃自体に任せればいい−−

 体にしみ込んで分かりきった基本が,心に
再現される.やはり緊張があるのだろうか.
拳銃を用いて狙撃する不自然な形態が緊張を
招く.元来,自分を犠牲にして,至近距離で
確実に仕留める道具である.

 ターゲットを狙うポイントは,一か所しか
なかった.距離は45メートル.ヒットさせて
確実に逃げるにしては,余りにも近すぎる.
だが,逃走することにこだわりはなかった.
体力的な自信がある訳でもない.

 完璧な身の安全を考えるなら,警備要員も
仕留めるべきだが,いずれ捕まる可能性は,
否定出来ない.隠れたものは,いずれ顕れる
真理がある.恐らく刑場でその一生を終えて
行く宿命には違いない.

 俺様自身が,反社会的行為に積極的になる
不思議な感覚も何処かにある.既にこの世に
未練がなくなった感覚の中にあっては,この
計画も,狙撃ゲームに過ぎず,死ぬまでの,
単なる暇つぶしに過ぎなかった.

 拳銃での狙撃にこだわるのも,その場で,
射殺される覚悟があってのこと.ある程度の
危険がなければ,ターゲットへの礼儀として
対等ではない.逃げる前提は必須であるが,
執着するつもりはなかった.

 気晴らしに街に出た.思えば,パソコンに
出会った街である.銃器との関わりを離れた
自分の世界がそこにあった.不思議な世界で
あった.ここへ来ると心が昔に戻る.電子に
魅せられた自分が帰ってくる….

 紙とペンと本だけの世界に,突然,電子の
世界が介入して来た瞬間であった.例えば,
膨大な文書の中から,特定の言葉だけを拾う
作業が,ほんの数秒で,一覧となって並んで
しまう世界である.

 狙撃の場所周辺の情報から,狙撃に最適な
位置を割り出す事も,今では可能であろう.
既に,パソコンの世界から遠のいた身では,
それも無理だった.セールスマン姿で自分の
足で探すしかなかった….

 コンピュータ関連の仕事から開放されて,
俺様は,ふと自分の視力がかなり落ちている
現実に気がついた.ある年齢からは,一定の
度数より悪くならないとされた近視である.
四十を迎えて尚,悪化した….

 眼鏡は,掛け続けなければならないとする
眼科や眼鏡屋の常識は正しいのか? 一つの
現象がいつも気になっていた.眼鏡を外した
瞬間,一瞬,視界がぼやけながらも,少し,
ピントが戻る現象である.

 巷で展開される視力訓練に共通する点は,
眼筋を柔軟にして,ほぼ固定されてしまった
ピント調整能力を回復させることのようだ.
近くを見て,次に遠くを見る繰り返しから,
眼筋に刺激を与える?

 だが,単純に視力回復のための訓練には,
全く面白みがない.そこで俺様が思いついた
練習方法が射撃だった.近くの照星と照門と
遠くの標的を見比べて,3点一致の瞬間に,
引き金を引く−−

 これを眼鏡を使用せずに実践する.それに
伴う精神的な集中力と,視点の移動が視力を
回復させるに違いない.眼鏡を外して訓練に
集中した.当初,この練習は,エアーガンを
使用した.

 然し,実際にやってみると,照星・照門が
よく見えず,まして,標的との一致点など,
正確には見えなかった.とても視力回復等,
図れるものではないとさえ思えた….然し,
ここから始めなければ….

 エアーガンの命中精度は,例えば空気銃と
比較したら散弾銃に等しい.ただ,大まかな
一定範囲に着弾すれば,その結果が,目安に
なった.床に散らばったプラスチック弾を,
拾うのも視力訓練になった.

 眼鏡を外して行動すれば,外された状態に
合わせようと,適応能力を発揮する感触が,
確かに感じられた….朝,目覚めた瞬間に,
真先に眼鏡を掛けた習慣が薄らいだ.今まで
眼鏡なしでは,何も出来なかった.

 エアーガンによる射撃練習を継続する中,
回復の兆候が顕著になった.度が弱くなった
眼鏡が,よく見えるようになり,買い換える
必要がなくなったことだ.眼鏡なしで生活が
自然に送れるようになった.

 街の看板の文字も,読み取れないものは,
なくなっている.新しく出来た店を探すにも
眼鏡は必要としなくなっていた.必然的に,
射撃での3点一致の瞬間も,よく捉えられて
腕は上がっていた?

 ハワイに旅行したおり,本物の拳銃射撃の
チャンスに恵まれた.38,45,44マグナム等
それぞれの口径で,弾丸の大半が,中心点に
集中していた.本物を初めて撃った成績とは
思えなかった.

 薄暗い室内射撃場にて,眼鏡を使用せずに
撃った割に,満足できる成果だった.玩具で
行った射撃訓練とは言いながら,その結果は
見事に本物でも発揮された.射撃の基本は,
空撃ちにある.

 強力な44マグナムでも,反動はきついが,
しっかり握れば,片手撃ちも脅威ではない.
両足でしっかり重心を取り,標的に対して,
体を,ほゞ真横に向けた標的射撃の姿勢で,
両手撃ちより良い成績だった.

 44マグナムを模したエアーガンを使用した
訓練でも,引き金が落ちた一瞬,銃身が少し
下がるクセがグルーピングに反映していた.
空撃ちでのクセが実弾射撃に反映されている
現実に新鮮な驚きがあった.

 軽い引き金がいい成績を出させた.撃鉄を
上げた本物の44マグナムの引き金がこんなに
軽いものだとは…,それが為に最初の射撃で
暴発気味に2発を撃ってしまった.それでも
片手撃ちでは,それに対応していた.

 不思議なほど,落ちついていた.きちんと
6発毎に,排莢と装弾を繰り返した.これは
エアーガンでの練習で,常に今が何発目かを
把握する習慣が無意識に出て来た.さすがに
50発の片手撃ちはきつかった.

 不発を体験した.その瞬間,意に反して,
銃が跳ね上がった.一体,これは何なのか?
反動の衝撃を軽くしようと,引き金を引いた
瞬間に,体が勝手に銃を跳ね上げていた….
疲れた時に出るガンシャイである.

 無理して撃ち続けるのは危ない.排莢後,
暫く休息を取り,無理をせずに,両手撃ちに
切り換えて残りの弾丸を撃ち続けた.二発の
弾丸が黒点より上に着弾していた.それでも
全ての弾丸が得点圏内であった−−

 あれから,射撃目的のグァム島への旅行が
日常化した.『ワールド・ガン』なる日本人
経営の射撃場があって,あらゆる種類の拳銃
射撃が可能だった.拳銃を購入し,保管して
くれるシステムまである.さすがにそこまで
踏み込まなかった.

 現地での射撃は,国内でのエアーガンでの
練習の成果を確認する程度の意味しかない.
実弾を撃って,そこで腕を上げられる性質の
ものではない.が,実弾での速射等は現地で
慣れるしかない….

 秋葉原を歩いていると,ふっと,もう一度
やり直せる可能性に心が揺らいだ….やはり
来るべき街ではなかった….弱気になるのは
禁物である.所詮,過去の幻影である.今,
自分にここで生きられる道はない.

 病弱だった妻が突然の病気で死亡した時,
残りの人生が快適に送れるのではないか….
何処かでそんな期待もあった.然し,現実は
『この世での自分の使命が終わった』何故か
そんな実感が過っていた.

 顧みれば,かの病弱だった女との出会いが
生きる気力を与えた.自分に頼り切っている
者の為に生きる….常に,俺様の視界の中に
居たがる彼女の姿は,俺様自身の安らぎでも
あった.

 そんな彼女も晩年は元気になって,何処へ
も自由に出られるようになった.海外旅行の
時差にもさしたる疲労が残らない普通の体に
なった….だが,そんな妻が突然死んだ….
原因が全く分からなかった….

 無差別に毒物を散布する事件が発覚した.
やがて,それは宗教団体の手による計画的な
犯行と断定され,妻は,その被害にあった.
だが,妻の死因には,特異体質による発作と
されてしまった.

 俺様の怒りは,その医師の診断結果と共に
教団に向いた.彼らかも知れぬ.これだけの
大罪を犯しながら,例え死刑になるにしても
十年は生き長らえるとされる,教祖の存在に
強い憤りを感じていた.

 真っ当な市民に対する無差別殺戮を,直接
命令した人間が,最終判決が確定されるまで
厚い庇護の元,身の安全が確保されている.
被害者と同じ立場に立つことは絶対にない.
この矛盾は正さねばならぬ.

 歳月は流れて,事件そのものが風化して,
彼は死刑を免れるかも知れぬ.例え,死刑に
なろうとも,覚悟の死を全うさせるのか? 
生きられる人生を,突然ぶった切ってこそ,
因果応報なのだ.

 困難かに思えた拳銃の入手が,嘘のように
簡単だった経緯に,宿命的な因縁を感じた.
テレカを売っていた外人に,ガンはあるかと
聞いたら,警戒もされずに,『あるある』と
言われた.

 騙されるのかとの懸念もあったが,彼は,
俺様を裏通りに案内して,人けのない道端で
暫く待つように指示した.戻って来た彼は,
38スペシャルを見せ,『コレ十万円ね…』と
言った.

 人けのないのを確認すると,弾倉を開いて
弾丸のない事を確認すると,弾倉を閉じて,
左手親指を撃鉄に当て,ダブルアクションで
素早く動作を確認した.駄目だった.回転に
引っ掛かりがある.

 弾丸を見れば,薬莢が黒ずんだ,明らかな
再生品だった.火薬量もどうなっているのか
解ったものではない.俺様はそれらの欠陥を
指摘して,その場を去ろうとした.が,男は
どんなものでも用意出来ると言った.

 44マグナム新品と,弾丸の新品が欲しいと
伝えた.それなら用意出来ると,俺様を別の
場所に案内した.下手をすると,そのまま,
始末される懸念も感じたが,ならば,寿命と
諦めるまでであった.

 小さなビルの中に案内された.壁を開くと
地下への通路が開いた.表面は,どうみても
只の壁であった.地下への階段を降りると,
そこは,さながらグァムのガン・ショップを
思わせる様相を呈していた.

 あるところにあるものは金だけではない.
そこで8インチ銃身の44マグナムがあった.
小気味のいい乾いたクリック音を響かせて,
動作は完璧だった.『試し撃ちが出来る』と
男が言った….

 地下3階が射撃場になっていた.距離は,
十メートル.元は,空気銃の射撃場として,
使われた事のある場所と言う雰囲気である.
まさか…,日本でハワイ・グァム島での射撃
体験が再現出来るとは….

 どんな組織かは知らぬままに,メンバーに
なる事を条件に拳銃と弾丸を手に入れた….
決行した後には,ないも同然の生命である.
何も恐れる必要はなかった.運命的な必然を
生きている感触があった.

 そのクラブで,或いは,このまま,射撃を
生き甲斐として生きる道もある….新たに,
コンピュータの世界に生きるには無理だが,
惹かれる射撃の世界で生きる道もあるか….
ふっとそんな雑念が過った.

 昔,頻繁に通った町に来て,自分の決意に
微かな揺らぎを感じていた.俺様は,結局,
大それた事は出来ぬ小心な人間か….たかが
妻に死なれた程度で,生き甲斐をなくしたと
感じる辺りにも小さな自分を感じる.

『いすず』と言う店の前で,足が止まった.
一種のディスカウントショップである.この
先にある宮崎電機と並んで,珍しい品物を,
よく漁った記憶が蘇る.然し,今更好奇心で
行動する意味もない….

 中にあった一品が,俺様に衝撃を与えた.
それは双眼鏡を眼鏡に改造した代物だった.
前後のレンズの距離が可変で調整を行なう.
『これは使える!』掛けて見てそう感じた.

 これを目に掛ければ,スコープ付き拳銃の
代わりになるのではないか.スコープ付きの
銃器は,脱着しただけて照準がずれる恐れが
ある.だが,これならば,オープンサイトの
まま標的が大きく捉えられる….

 購入し,実際に,それを着用して試射して
みると効果は期待通りだった.着弾が明瞭に
観察出来る….その結果に満足した俺様は,
目が覚めた.ターゲットを仕留める,絶対の
覚悟が揺るぎないものになった.

 迷いは払拭され,ターゲットを狙う課題に
集中していた自分に戻る事が出来た.それが
多分,自分の最期になる瞬間かも知れぬが,
もはや悔いはない.華々しく散る事だけが,
最後の望みだった.END
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