今や都会の雑踏のごときテレビの存在

    今や都会の雑踏のごときテレビの存在



 テレビを見なくなってから,外界への関心が薄らいでいる生活を感じる.それ故に
NHKに感じる様々な矛盾も,民放を含めたテレビ自体を見ない生活環境の中では,
他人事に感じる.理不尽な集金人とて訪れない….               

 実際,テレビという存在が全く無用な感覚になっている.それどころか,テレビを
設置するのは,家の中で『道草を食うようなものだ』と感じるようになった.本気で
テレビを見ていたら生活が破壊されるとさえ思う.               

 俺様は,二十代の十年,一人暮らしで住まいにテレビを置かない生活をしていた.
外界から離れることに意味のある家の中にあって,何故,外界の騒音を家の中にまで
引き入れるがごときテレビを点けて暮らすのか…?               

 結婚してテレビの設置をして,テレビのアンテナが壊れるまでは,テレビの世界に
毒されてしまった.テレビがあることが当たり前に思えて来た.歳も三十代だった.
然し,今,再びテレビなしの昔が帰って来ている.               

 今や年齢も55歳である.最近,原因不明の貧血を起こして数十メートルも歩けず,
急遽,入院する羽目になった.大腸ガンを疑われて,胃カメラから大腸ファイバーの
検査を受け,輸血などの騒ぎになって大変だった.               

 何しろヘモグロピンの値が正常値の1/3で,5という単位しかないと言われた.
この状態では立っていられない筈だと言われた.ロクに動けずに家で寝ながら病院へ
行けるタイミングを見計らっていた状況だった….               

 寝たり起きたりの状態の中で,食欲だけが異常にあった.今にして思えば,貧血を
治すべく体が必死に栄養補給を促していたのかも知れない.朝,食べずに病院に行き
そのまま検査から強制的に入院させられた状況だ.               

 一週間でともかく退院して,増血剤を服用する毎日になって,三ヶ月を経た最近,
やっと血液の状態が正常値に戻った.入院から五日間食事が与えられず,空腹の中で
餓死するかに思えたが,何事もなく退院出来た….               

 俺様の中では,一種の臨死にも近い感覚があった.案外,生きられる時間は短く,
終わりは何時来てもおかしくはない.結局,俺様もごく普通の人間に過ぎないのだと
思い知った.退院後は,時間が貴重に感じられる.               

 NHKに限らず,テレビという外界の騒音に晒されて,個人の静かな生活を忘れ,
現代人は一体,どんな生活をしているのか? 多分,現代人は,テレビの騒音なしで
生きられない奇妙な体質になってしまったようだ.               

 それが常識になってしまえば,テレビがあるのが当たり前になるし,それなしでは
とても生きられない感覚になる.俺様の感覚では,そんな生活の中では,自分の心が
何を考えているのか見つめ直す時間が消えている.               

 他人がどう生活しようが,傍からとやかく言えるものでもないが,テレビを離れて
自分のやりたいことはないのかと不思議に思う.貧血は治ったが,予期せぬところで
死が迫っていた体験が,時間の無駄を痛感させる.               

 それでもズルズルと無意味に生き延びて老醜を晒しながら生きるのかも知れない.
俺様は無職だが,暇を持て余すことがない.何でこんなに時間的ゆとりがないのか?
時折,不思議に思う.妙に一日の流れが速すぎる.               

 テレビがあった頃,例えば,超自然に関するテレビ番組があれば,何としてでも,
それを見たいと思ったものである.今もそのテの話に関心はある.ところが,何故か
そんな番組でも見たいとは思わなくなっている….               

 幾ら他人の体験を見せられても,それを何処まで信用していいのか解らないのだ.
テレビに対する信頼感がなくなっている.自分の生活を犠牲にしてまで,見るだけの
価値がテレビにあるとは,とても思えない現状だ.               

 然し,テレビが伝えたことは間違いのない真実として常識として定着してしまう.
絶対的な真実を見抜く目は,テレビにはありはしない.それらしく見せることこそが
彼らの絶対的な信念であり,無二の姿勢でもある.               

 自分の日常生活と全くかけ離れた事件でも,テレビによって全ての人間の体験へと
変わってしまう.時には「テレビでこれだけ放送しているのに知らない人がいる」と
憤慨している芸人風情がよくいる世界でもある….               

 テレビに出ている人間は,自分の出演で日本を支配している感覚になっている…?
自分の一言が,万人に影響を与える凄い力を持っていると錯覚しているかも知れぬ.
キャスターなる輩は,ドレもコレも偉そうである.               

 実際,全国のテレビの前には,ボカーンと口を開けて,そんなアホバカの戯言にも
耳を傾けてくれる無垢な視聴者が,信じられないほどいることは間違いないだろう.
見栄と虚構と足の引っ張り合いの愚かな世界だが.               

 テレビを見ていた頃,よくテレビに向かって罵声を浴びせる俺様がいた.それだけ
出演している人間に腹立たしい思いをすることがよくあった.本当につまらぬことで
静かであるべき生活に余計な感情の乱れが起きる.               

 愚かなのは俺様なのか,出演する人間なのかは知らぬが,議論にも討論にもならぬ
一方通行の空しい叫びに過ぎない.今ならば,インターネットを通して彼らに対する
文句も言えようが,相手にするのもバカバカしい.               

 彼らは豊かな生活をする出演が商売の人間だ.その彼らに無一文の人間が無報酬で
自分の時間を割いて,わざわざ苦言を呈するのも愚かな話である.隙だらけの単純な
論理をまくしたてるだけで彼らは商売になるのだ.               

 ましてや受信料まで払って見てやる程の内容とてないNHKなど言語道断である.
そういうバカバカしいテレビを時間を割いて見る場合,時間給を支払って貰いたい.
俺様にはテレビを見るのは労働にも等しい感覚だ.               

 十二月からテレビがデジタル化されたそうで,朝日新聞でも特集記事が掲載され,
何かと視聴を煽っていたのだが,相変わらずのNHKは,無料の民放に割り込んで,
無差別縦断集金の利権を当然の如く確保している.               

 もし視聴者が今少し賢くなれば,民放から受信料を取り立てることも出来るのだ.
『見てやるから金を払え』と言える道は必ず開ける.尤も,そこに至る段階として,
テレビのない生活を楽しむゆとりが必要なのだが.               

 本当にテレビなしでも十分生活は成り立つし,俺様などは,そのお陰で心穏やかな
生活を営んでいる状況である.テレビで流される情報に一体何があるのか? 個人に
重大な支障が出るような事態があるのかどうか….               

 俺様は,テレビを見る時間なんて本当に無駄だと思える.一体,いつから家の中が
映画館になってしまったのか? 自分の時間を無くしてテレビに心を明渡すだけでは
人間の進化は停滞すると確信している俺様である.               

 狭い家の中,外界の騒音にも等しいテレビという小さな窓に縛られて身動きもせず
それに見入る姿というのは,何処か変だとは思わないのか? 多分,今時,テレビも
ない方が異常だと言われるのが落ちだとは思う….               

 二十代の頃,自分に必要なのは,空しい時間の中にたたずんで自分自身を見つめる
十分な時間を持つことだと感じていた.然し,それは思うようには実現せず,読書に
夢中になったり,ギターを練習したりになった….               

 あるいは,必勝法の極意を求めて,金のある限りパチンコに夢中になっていた….
金がなくなれば空しく時を過ごす….何一つとして生産的な生活ではなかったが….
それでもテレビに関心が向かなかったのも不思議.               

 テレビの世界で展開される論理が,非常に単純で,世の中こんなにも簡単な理屈で
通ってしまうかのような奇妙な錯覚を与える世界だと感じていた.人間の心はもっと
複雑多岐で,簡単には割り切れるものではない….               

 今でも,例えばほんの少し立ち止まってテレビを見ると,非常識が常識である筈の
芸人が,道徳の教科書に出てくるようなことを真顔で話している.それ以外に道など
何処にもないかのようにのたまっていらっしゃる.               

 NHKなどは,誰も彼も皆,謹厳実直なまじめ人間ばかりだというような顔つきで
お話をなさっていらっしゃる.まことに歯の浮くような空々しい世界が展開される.
やれやれ….こんなもの見せて金を取りたいワケ?               

 たまにテレビに接する機会があっても妙にシラけてしまう.心はすぐにテレビから
離れてしまう.多分,現代では,こういう感覚自体が理解されないだろうとは思う.
然し,テレビの呪縛から開放されれば解るのだが?       ** 悪魔 **

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