西暦二千年こそNHK崩壊元年にすべきだっ!

西暦二千年こそNHK崩壊元年にすべきだっ!



 平成11年12月3日付けの朝日新聞によれば,現在あるテレビは,2010年には,何も
映らなくなるという.完璧なデジタル化に移行するとか.俺様は,この数ヶ月の間,
自宅でテレビの映像を見ていない生活をしている.               

 別段,テレビがなくても全く困ることもなさそうである.わが妻は,テレビ番組に
関心があるものの,小型ラジオで音声を聞くだけである.少しは見える目で,映像を
見たいのかと思ったが,そんな必要はないという.               

 俺様自身,することは無限にある.テレビ番組を見るために時間を割くゆとりすら
生まれない.時間的なゆとりではなく,精神的なゆとりがないのである.それでも,
番組表を丹念に見れば関心のある番組はあるが….               

 然し,どうしても見たいかと自らに問えば,実はどうでもいい….以前は録画して
後で見ようと思った番組もあったが,結局,それも見ないことが多かった.それだけ
情報をテレビに依存しない体質になって来ている.               

 自分に無縁な情報の洪水に,敢えて身を晒す必要は感じない.それ故に,テレビが
全面的にデジタル化されようが,全く見られなくなろうが,一向に脅威は感じない.
現在は,デジタル対応テレビがパソコンより高い.               

 俺様の近い将来を見据えれば,着実に生活費は先細りになる.埒もなき幻影などに
大枚の金を払う贅沢は許されなくなるのが実情である.テレビなくて何の不自由なき
生活感覚こそが必要になることは必定なのである.               

 余談ながら,わが市営住宅では,月に三百円の老人会費を惜しんで会に入らぬ人も
少なくないのである.この現実こそ明日は我が身である.毎日見るものに,果たして
どれだけの人間が金を払えるのか,疑問でもある.               

 俺様が二十代の頃は,一人暮しでテレビのない生活をしていた.ふと振り返ると,
その時間が非常に濃縮されて,この上もなく充実していたと感じられるのは,或いは
テレビを置かなかったことにあるかとも思える….               

 人間は,もっとより多くの時間を自らの心との対話に時間を割くべきではないか?
無論,余計なお世話である.然し,テレビの論理に自らの魂を奪われると,自分では
何にも考えられない人間になることは確かである.               

 ところで,俺様が先の記事に興味を持ったのは,NHKは,デジタル化されて尚,
ばら撒き放送を継続して無差別集金を続けるのか疑問を持ったからだ,NHK会長の
海老沢勝二は千日で一千万世帯の普及を目指すと?               

 普及とは,デジタル化の普及ということだろう.一千万世帯の契約ではなさそう.
つまり,デジタルテレビを備えれば,自動的に取立てが可能となる仕組みだろうか?
或いは,現在の契約を有無を言わせず継続させる?               

 NHK放送受信の可否を選択出来る余地を残さずに,現在の集金体制を,そのまま
持続させる腹なのだろう.然し,多チャンネル時代になれば,ますますNHK自体の
存在理由は影が薄くなる.それでも保護するのか?               

 持てばそのままNHKとの受信契約を結ばせる強制的有料というやり方が,今後も
継続されるのか? こんな理不尽な制度は,今世紀限りで終わらせるべきだと思う.
西暦2000年こそ,NHK崩壊元年とすべきだ.               

 デジタル・テレビ時代への移行は,NHKの存在理由が消滅する秋である.今や,
NHKは自らの手で自らの存在を解体すべき時期だ.今からでも遅くはない.千日で
確実に自らの存在を解き,悠久の彼方へ失せろっ!               

 さもなくば,呪いの藁人形,五寸釘を打つ槌の響きは,永遠にお前たちの耳元から
離れることはないだろう.俺様は,毎日毎晩,その怨念をNHKに向けて放射する.
効果の程は,自らの胸に聞け.痛みはないかぁ…? ** 悪魔 **     

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