垣間見るマスコミの実態

垣間見るマスコミの実態

 例えば,断片的に見聞した最近の神戸小学生首斬り事件は,いずれもフォーカスが 容疑者の写真を掲載した問題から取り上げられていた.こうすることで,自分たちが どんな報道をしてきたかの反省から遠ざかれる….                 要するに,フォーカス叩きで,ごまかしが利くのである.自分たちも,証拠もない 状態で逮捕された少年を始めから犯人扱いで徹底して報道した席には免れぬ点では, フォーカスの姿勢と何ら変わるところはない筈だ.                 そんなおりに,週刊文春12月25日号に『筑紫哲也降ろしTBSのドロドロ』とする 記事が掲載された.取り上げている事件とは,直接の関係はないが,テレビ局の取る 報道姿勢の一端が垣間見られて興味深いところだ.                 記事は,TBS内部から漏れてきた話を纏める形で書かれている.それによると, TBS内部には,筑紫哲也派と反筑紫派の対立がある.反筑紫派というのは,どうも 報道全般を取り仕切る報道部サイドを指すらしい.                 筑紫哲也というキャスターは,言わば,この報道部サイドという代官の言うことに 耳を貸さず,勝手な報道姿勢を貫くクセがあって疎まれている.多局と比較しても, 視聴率は落ちるし,もはや彼は,窓際サンらしい.                 ここで俺様が注目するのは,例えば,他に多くの重要なニュースがあるというのに 筑紫哲也は,頑固に一週間ぶっ通しで,沖縄問題を続けていたと管理職側には不平が ある.キャスターに裁量権を与えない姿勢である.                 それでも筑紫派という取り巻きを抱えているからこそ,そういう自由も確保されて 押し切ることが出来たのだろうが,通常は,管理職側の意向に逆らうことは出来ない 暗黙の了解事項が厳然として存在する気配である.                 もはや筑紫哲也の名前ではスポンサーが付かない,60を過ぎてまでキャスターを やってはいけない,視聴率が取れない.古い朝日新聞の体質が出て,お説教染みると 反筑紫派の批判は,矢継ぎ早の攻撃が続けられる.                 記事の中では,筑紫のオッカァがステージ・ワイフとして有名な存在で,TBSに 押しかけて,ギャラの交渉までやってのけ,久米や落合より下とは何事かとわめくと 面白おかしく書き立ててなかなか読み応えがある?                 そこで週刊文春が,当の筑紫哲也ご本人に意見を聞こうと質問状を出したところ, 何故か,ご本人ではなく,この報道部サイドから,関係者と言う曖昧な匿名に隠れて いい加減な記事を書けば法的手段に訴えると来た.                 然し,天下のテレビ局が『匿名に隠れて云々』するのは笑止千万である.何故なら ニュース・ソースを明かさないのは,マスコミの常識であるからだ.誰が語ったかも 明かさず,A少年を叩いたマスコミの凶行を見よ.                 例えば,その人間の個性で保たれる番組が,その本人の意思より,管理職の意向で 決められることが常識であるとしたら,これほどバカバカしいことはない.視聴者を 愚弄するものであろう.然し,これが真相なのか?                 俺様自身,例えば,筑紫哲也と言うキャラクターに好意は持っていない.所詮は, あの程度だろうという感覚である.然し,例えば,反筑紫サイドが批判する視点は, 的外れだと感じる.彼に自由にやらせればいい….                 要するに,俺様が常々,全てのニュースが,一つの方向性を持たされるのは,この 管理職の厳然とした統制があるからだとする推測は,ここで図らずも露呈された…. つまり現場のキャスターに,裁量の自由はないっ!                 一度は,神戸首斬り事件の冤罪の可能性まで述べたとされる久米宏だが,その後は 一切,沈黙したままではないか? 彼とて,お上の意向に逆らって,自説を展開する 自由はないのだ.繰り返せば,処罰の対象だろう.                 週刊文春の報道に依れば,筑紫哲也のギャラが3億円と噂される.そんなに高額な 収入が得られるなら,お上に逆らってまで自説にこだわるのは愚かな行動であろう. 金をくれる者の顔色は,内容選択に影響を与える.                 視聴率,売上向上が至上命令のマスコミである.少ない知識階級よりも,下世話な 話を好む大衆が狙い目である.その意味で筑紫哲也は,厄介払いの対象かも知れぬ. この『頑迷古老』サンも来春までの生命だろうか?                 時折,マスコミで,インターネットが無法者の巣窟であるかのように喧伝される. 個人の情報が,全世界を駆けめぐる等と大げさに言われるのだが,その規模は,到底 マスコミには及ばず,テレビとは比較にならない.                 特定のテレビ番組が学校や職場で話題になることはあるが,特定のホームページが 同列の次元で話題になることはない.パソコン自体の普及率,ホームページの数から 到底,マスコミのパワーに対抗出来る訳ではない.                 テレビの影響力は,一瞬にして数百万人に及ぶ.利口な人間なら,彼らが積極的に 取り上げる話題をもって,彼らに取り入ることを考えるだろう.彼らに歯向かう力は 大海の藻屑と消える.然し,決して無駄ではない.                 基本的に,俺様の外にある世界は幻に過ぎない.俺様が死んだ瞬間に,その一切が 俺様の世界から消滅してしまう.外の世界はまた,俺様の消滅に何一つ影響されず, 何事もなかったように存在を維持するだけである.                 何も果たさぬままに死ねば,俺様の存在した痕跡は瞬く間に消失するだけである. それでも,こうして書いたものを残すだけでも,俺様を直接知らぬ人々にも何らかの 痕跡を残すことが出来る.だから本音を残すのだ.                 幻である外の世界に,新たな幻影を生み出しているのが,マスコミの世界である. 彼らは,同じニュースを何度も繰り返して報道する.徹底して伝播しようと努める. 例外的な事件が,常識的な事件に変化してしまう.                 マスコミは,一方通行の情報伝達手段である.彼らと同じ規模で対抗する手段は, 残念ながら存在しない.彼らは,批判が返る双方向性を拒絶するのだ.だから文春の 質問に,場合によっては法的手段に訴えるとする.                 謂われのない記事であれば,内容の個々について,丹念に反論すればいいことだ. もし,そんな記事を書けば,法的手段に訴えるなど,マスコミが取るべきではない. それは,名誉回復の伝達手段を持たぬ者の手段だ.                 つまり,マスコミは,自らを批判する者を許そうとしない隠れた体質があるのだ. それは,彼ら自身,批判に対抗出来る有効な論理的基盤を持っていない証拠である. 結局,何ら自らの存在理由に基づいた理念がない.                 伊丹某が自殺したと言えば,その模様を,皇族の葬儀と同じ言葉づかいで中継する 愚かさを露呈する.執拗に芸人の世界を重要視するメディアが,同じレベルで報道に 取り組んでいる.芸人と一般人の区別も出来ない.                 評判を売り物にする芸人に行なう張り込み取材を,一般人に強行する愚を犯して, 被害者を出している.然し,その実態を伝える手段はない.彼らがする取材の過程で どんなに多くの被害者が出ても,実態は伝わらぬ.                 これからはテレビの世界も,有料の多チャンネル時代になろうとしている.そこで マスコミ情報を受け取った側の実態を伝える専門のメディアが登場してもいい筈だ. 21世紀はマスコミ公害を明らかにする時代だっ!                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る