マスコミ報道は流言飛語の温床かっ!

マスコミ報道は流言飛語の温床かっ!

 最近は,神戸小学生首斬り事件もすっかりマスコミから姿を消した.そんな中で, A少年の犯行が確定したまま,人々の記憶の彼方に定着して行く.だが,マスコミは 今,神戸の現場を取材する勇気はとてもなかろう.                 先に,週刊誌が現場周辺の全戸に,冤罪冊子が配られたと報じた.それを胡散臭い いい加減なものであるとする視点からの報道であった.つまり重大な内容に対して, 正面から対峙して覆す試みをした報道はないのだ.                 つまり冤罪冊子の内容自体を論理的,実践的に否定して,住民の不安を一掃させる 報道はないのである.すると周辺の住民は,冤罪冊子の内容を事実として受け止めて 新たな不安を抱えて取り残されたことになるのだ.                 こんな状況で,事件現場を取材した場合,もし冤罪冊子を突きつけられて,これに お前たちはどう答えるのだと迫られたら,彼らに返す言葉があるのだろうか? 先ず 生中継で現場報道など恐ろしくて出来ないだろう.                 実際,俺様が二冊の冤罪冊子を読んで感じたことは,その記述が極めて具体的で, 現場に立ち会った人々から取材をした結果を詳細に報じている.もし,これが全くの でたらめならテレビ局の取材で不安は一掃される.                『神戸事件の真相を究明する会』が取材した人々に確認の取材をすれば済むことだ. 災害時の流言飛語から地域住民を救い,正しい情報を伝えることは,マスコミが担う 当然の使命は,ここに摘要されるのが当然である.                 結果的に,マスコミは,自分たちが散々食い散らかした現場で,それとは全く違う 正反対の流言飛語が氾濫しているのに,それに何一つ正面から答えようとはしない. マスコミに勇気があるなら生で現場中継してみろ!                 正門前の首は,最初の目撃情報から通報までの一時間余りの間に,少なくとも3度 置き直されており,5時半から6時40分の時間帯に,犯人が現場周辺に居た可能性を 強く指摘している.これだけで疑惑は膨れ上がる.                 この冤罪冊子はまた,現場に関わった人々に,警察からの圧力が加わって,新たな 証言が採れなくなっているとも報じている.『協力しようとしたのに犯人扱いにされ 嫌になった』と証言する記述もあり,謎は深まる.                 今まで散々,A少年が犯人だと信じていた知人も,この冤罪冊子を読んで,これが 嘘とはとても思えない…と言い出している.マスコミが自ら犯した過ちを認めるとは 知人は信じていない.不信感だけが残されている.                 現場周辺に配付された冤罪冊子を流言飛語扱いにするなら,マスコミは,この中で 指摘されている疑問に正面から答える必要がある.自らは何一つA少年が犯人である 根拠も示さず,散々,叩き続けた重大責任がある.                 マスコミが徹底して無視すれば,過激派の陰謀だとした冤罪冊子の内容が真実で, マスコミ報道こそ流言飛語だったと認識されるだろう.要するに,冤罪説に正面から 反論出来ない絶対的な決め手に事欠いているのだ.                 何からの形でマスコミの取材を受け,結果が報道された当事者には,自分の主張と 報道の内容が,あまりにかけ離れている現実に愕然とする現象が普遍的に存在する. そんな現実に接してマスコミ嫌いになる人も多い.                 神戸の事件も,現場に関わった人々の印象と,マスコミ報道の間には,まるで違う 認識の違いがある.警察発表と同時に,自分が取材した貴重な情報の全てを捨てて, 何一つ確認出来ない官憲発表を真実として伝えた.                 企業と総会屋の癒着構造が取り沙汰された昨今である.それを叩くマスコミ自体, 『記者クラブ』と言う官憲との癒着の温床を抱えている.官憲のお仕着せ発表には, 忠実に従うことで,出入りの権利を確保している.                 自らの足で稼いだ貴重な情報より『記者クラブ』の席で得られた情報を重視する. 庶民からの通報で明らかになった事件は,周辺住民や目撃者から得られる直接情報を 捨てずに,警察発表の外ある事実と捉えるべきだ.                 更に,時間経過の中で明らかにされる事実と,今までの報道の矛盾点,間違いなら 何故それを犯したのか? それを明らかにして説明するのがマスコミの責任である. コロコロ変わった警察発表の謎も放置されている.                 神戸の事件は,警察発表と現場に関わった人々の印象,更に現場の状況との間に, 大きな食い違いが生じている.その全ての情報を事実として捉えて見つめなければ, 事件全体の真相を解明することなど出来はしない.                 常に警察発表の一つだけが真実なら,冤罪などは幾らでも作り上げられる.まるで ドラマの制作と同じである.事件を多角的に見つめる常識を,今更マスコミに説くも 愚かだが,それが出来なくなっているのが現実だ.                 視聴者から金を巻き上げるNHKとて,現場の庶民の情報を切り捨てて報道する. 警察発表だけを真実として取り上げた.幾らテレビ局が増えても,官憲の広報機関と 横並び報道が増え,真実を隠す手段が増えるだけ.                 事件を追うマスコミが,記者クラブを離れ,独自の取材で得た情報から真相に迫る 当たり前の姿勢に目覚めぬ限り,報道機関の信用は,次第に下降線を辿るのは,理の 必然である.白紙で現場百回の初歩に立ち返れっ!                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る