核マル派の陰謀という罠

核マル派の陰謀という罠

 週刊誌の報道に掛かると,冤罪を主張する小冊子は,実は,過激派の陰謀とされて その内容を問題にしようともしないまま,葬り去る手法が使われる.物事を判断する 基準に,レッテルを先行させて実態を見ないのだ.                 俺様の判断基準は,基本的に誰が語っているのかを問題にしない.それよりも先に 何が語られているのか見極めることを優先させるのだ.真理を語るに資格は要らぬ. 時に邪悪なる存在が,神以上に善人を感動させる.                 物事の真理は,善悪を超越して存在する.それを見極めんとするなら,先ずは何が 語られているかを素直に見聞する必要がある.レッテルを先行させ,聞く耳を閉じて どんな真理が見極められるかを考えてみるがよい.                 それは,警察発表に忠実に従い,A少年を真犯人とする以外に報道の仕方を知らぬ マスコミ報道を絶対の真理として崇め奉ることなのである.実際,多くの人間の心は マスコミ信仰に支配されて,報道内容に帰依する.                 マスコミ報道に逆らう情報を流す存在は,邪悪なる存在として徹底して叩かれる. 或いは,テレビ各局のように,徹底してこれを無視して存在を明らかにすらしない. 始めから問題にせず,事実上,存在を否定する….                 その意味で,これを糾弾する目的で,その存在を明らかにしてしまった週刊誌は, 自ら墓穴を掘ってしまったことにもなる.もし週刊誌が冤罪冊子の存在を伝えねば, 俺様とて,その存在を知るには至らなかったのだ.                 全てのマスコミ報道を教典のように崇めて,素直にそれを信奉する者ばかりなら, かの週刊誌報道は,間違いなくその効果を発揮したに違いない.実際に,冤罪冊子を 見ようともせず,陰謀の書と断定した者もいた….                 それでも,内容を読んだ後,これが全くのでたらめな内容なら『どうしてテレビは これを糾弾して,事件の様子を正しく報道して,不安を拭い去ろうとしないのか』と 逆に,マスコミへの不審を口にするようになった.                 事程左様に『神戸小学生惨殺事件の真相』と題する二冊の小冊子の説得力は強い. 例えば,これを出版する『学創社』は,左翼系の出版社だとされる.そのイメージで これを捉えると,素直に読めなくなる者もいよう.                 然し,この事件が冤罪である可能性を,正面から伝える勇気を持った報道機関が, 全く存在しない現実を考えた場合,出版という形で,真理を明らかにせんとするなら 取り上げてくれる出版社は限られてしまうだろう.                 真相を伝えんとする強い目的意識が,ついに姿を現すまでに成長した経緯が見えて 興味深い.俺様は,この事件に関して,冤罪説などを唱えるのは,恐らく俺様以外に 存在しないだろうと思っていただけに驚いたのだ.                 俺様は,現地に赴いたことはなく,現場の状況について,マスコミ報道だけで知る 間接的な方法以外になかった.それでもA少年が犯人であることには,数々の疑惑を 拭い去れなくなったが,俺様の妄想ではなかった.                 俺様のマスコミ報道だけに依存した情報と違い,現実に現地を調査して,関係者に 話を聞いた結果から,冤罪の疑いを説いている冤罪冊子である.犯人が誰であるかを 問うは早計だが,警察発表への疑惑は濃厚である.                 俺様は,マスコミと言う漠然とした存在が,どこかで一つに纏まった大きな教団を 形成しているようにさえ思えるのだ.その情報を信じる多くの視聴者・読者は,既に そのマスコミ教団の熱心な信者にされているのだ.                 一人でも多くの人間に,気づかぬ内にマスコミ信者にされている現実に目覚めて, マスコミ以外の,特にマスコミが敵対視する情報に,冷静な観察の目を向けることに 関心を持って貰いたい.決して無駄にはなるまい.                 例えば,冤罪冊子が左翼系の出版社の刊行物であったと仮定しても,この俺様は, どちらかと言えば,生粋の右翼的思想の持ち主でもある.左翼とは相容れぬ敵対する 立場だが,敢えてそれに囚われずに真理を求める.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る