警察にも確かに闇の世界がある

警察にも確かに闇の世界がある

 今回の神戸首斬り殺人事件で,犯人として逮捕されたA少年の扱われ方を見ると, どんな人間でも,犯人にされる可能性が怖い.家族の知らない二面性があるとして, その内面を断定されて精神病院に隔離出来るのだ.                 こうなると身内が,弁護しても通るものではない.身内が逮捕された後,徹底して 冤罪を主張しても,マスコミが犯人だと断定して,逆に身内を攻撃して下手をすれば 共犯に仕立てられるかも知れない不安すら感じる.                 実際,この事件で『A少年を裁けないなら両親を裁け』と糾弾した週刊誌が現実に 存在した実例がある.身を隠しておとなしくしてこれである.これでは迂闊に弁護も 出来ない.身内の弁護が更に立場を悪くして行く.                 マスコミは,公平に事件を報道していない.最終的な審判が出る前…というより, 逮捕された瞬間から徹底して犯人として決めつけた.彼以外に犯人を考えなかった. 冤罪説は,マスコミへの敵対行為になってしまう.                 真っ向から,冤罪説を訴えても,マスコミはこれを無視する.週刊新潮 10/23号で 地元の冤罪説が徹底して叩かれた例が記憶に新しい.然し,週刊新潮とて,A少年が 犯人である絶対的な確証を示している訳ではない.                 だが,期せずして,この週刊新潮の記事は,警察発表の闇を暴露する形になった. 遺体の鑑定に当たった法医学関係者が『当初から頭部切断はノコギリによるもの,と 発表した』とするが,警察はナイフにこだわった.                 事件当初,警察は『頭部は鋭利な刃器(じんき)で切断』とし『ノコギリか?』の 質問に『確定できない』と答えた.質問した記者には,鋭利な刃器から,ノコギリが 連想されたのか? それとも鑑定人の意見なのか?                 然し,A少年が逮捕された時の記者会見でも『自宅を捜索して凶器を発見した』と 警察は発表した.『凶器は?』の質問に『ナイフです』と答えた.確証のない逮捕は 明らかである.そのナイフは凶器の一部でもない.                『命の重さ取材して』と題する産経新聞の本に,凶器とされるノコギリが池の中から 引き上げられた瞬間の写真が掲載されている.磁石の先に光る物が吸いついて…,と 記され,実際,そのノコギリは白く写されている.                 ノコギリは,池に沈められて一ヵ月以上経ても白く光って引き上げられるものか? 泥だらけになって写真には黒く写る形で引き上げられるような気もするが,それでも 供述通りとされて,唯一の? 証拠物件となった.                 ここで発見されたノコギリは,本当に鍵と首の切断に使われたものなのだろうか? 中学生が犯人だとされる事件である.万が一にも過ちがあってはならない筈である. 何よりも信じ難い事件でもある.冤罪は許されぬ.                 改めて問うのも空しいのだが,マスコミに,冷静に真実を追求する姿勢に欠如した 現実がありはしないか? マスコミが警察側の視点から離れて,客観的視点に立って 各社独自の観点を展開する勇気が必要な筈である.                 俺様は,いたずらに警察権力を敵対視するものではない.ただ,どうしてもそこに 闇に隠された世界を感じる.取調室で罪を認めたり,供述調書を取られてしまえば, それが裁判で覆ることはない現実は確かなようだ.                 宮崎勤事件と神戸の事件を通して,その現実が浮かび上がった.裁判官は,敢えて 取調室の状況を検証することはない.例え,未成年者が任意同行から,一ヵ月以上, 拘留されようとも,その異常性すら問わないのだ.                 裁判所も避けて通る警察の聖域である.これでは,読者・視聴者には偉そうにする マスコミでも,逆らうことは出来ぬ闇の世界があるのかも知れぬ.実際,記者クラブ 出入り禁止と言う厳然とした報復の実態もあった.                 警察の機嫌を損ねることは,現場の取材記者にとって,競争に負けることであり, 情報源を失うことでもある.警察発表に疑惑を抱いた記事など,書けよう筈もない. こんな軟弱なマスコミのしり馬に乗るのは愚かだ.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る