マスコミ真理教の闇を考える

マスコミ真理教の闇を考える

 最近,読んでいる『命の重さ取材して』と題する産経新聞社の本であるが,事件は 事実上,終結しているのに,この本の中からも様々な疑惑が持ち上がる.犯人逮捕の 前,マスコミは現場を警察のように捜索していた.                 この本の中にも,テレビ局が簡単なルートから上がって,険しいルートの上に出て 2〜3歩降りて,木の枝につかまって,あたかも,その下から登ってきたふりをして 息切れを装ってヤラセ報道をしていたと憤慨する.                 様々なマスコミが,犯人は,どのルートから死体を運んだかの検証を試みていた. それならば,何故,山中で被害者を殺害して,局舎に運び込んだとする供述に検証を 加えないのか? 殺害現場すら特定されていない.                 もし,局舎周辺に登ってしまえば,殺害して遺体を運び込めるルートが特定される 現実的な検証が出来るものなら,これは絶対的なスクープである.少年の供述内容が 審判に盛り込まれてミスリードの危険はないのだ.                 少年叩きに躍起となったマスコミである.供述に現実的な検証が出来るとなれば, 絶対に行動に踏み込む筈である.いや踏み込んだに違いないのだ.然し,ニュースに ならない.殺害現場も運搬ルートもあり得ない….                 多分,現場の記者,リポータの類は,その現実に困惑している.然し,彼らとて, マスコミ真理教の操り人形である.自らの自由意思で発表出来る立場にはないのだ. それとも…自ら踏み固めて現場をヤラセで作るか?                 マスコミで意見を言える佐木隆三は,週刊朝日10/31の中で,精神病でもなかった A少年を,医療少年院に入れる矛盾を,裁判官と鑑定人の阿吽の呼吸だと,珍妙なる 推察で納得している.奴はマスコミの信者である.                 これは,今後,どんな人間でも阿吽の呼吸とやらで,簡単に精神病院送りに出来る 前例ともなってしまう.阿吽の呼吸で精神病でもない人間を,簡単に精神病院送りに 出来てしまうことに,何の危機感も感じていない.                 宮崎勤事件を冤罪だとする俺様には,この冤罪が晴らされぬと,同じ手法で新たな 冤罪の成立を容易にする怖さを感じる.全く良心の痛みも感じずに猟奇殺人を犯した 犯人が精神異常ではないとする判定も疑問である.                 この点も,宮ア勤の事件と同じである.例えば,二つの事件が冤罪であるとすれば 説明が可能なことが多いのである.二人とも,罪の意識が全くないとされているが, やってもいない犯罪に罪の意識は感じようがない.                 身内の死が猟奇殺人の動機となったと,前代未聞の仮説が宮崎勤の事件で使われ, 世間が納得してしまうと,それと同じ手法が,神戸首斬り殺人事件にも流用された. 冤罪のパターンとしても,二つの事件は似ている.                 事件が活字になっていると,どうしても手に取ってみる俺様である.然し,どれも 頭からA少年を犯人であるという絶対的な前提を振りかざしている.現実的な検証は 全くなされていない.この現実の背後に何がある?                 日本には,自己主張が出来る物書きはいないのか? 強い疑惑を感じる.作家とは 基本的に自己主張をする存在である.然し,自己主張では食えない.マスコミ追従の 生き残り体質に徹しておれば食える道が開かれる?                 俺様が執拗に冤罪の可能性の視点に立って書くのは,マスコミが,有罪確定路線に 徹して,それ以外の可能性を完璧に無視した報道をするからである.A少年の両親が 地元の冤罪冊子に登場しても,一切報道もしない.                 マスコミが追い切れなかった人物が,知られざる地元の冤罪冊子にインタビューを 受けたとなれば,これは特大ニュースになってしかるべきである.然し,先行された 悔しさと屈辱から,徹底して無視したに違いない.                 自分たちの主張に反対する存在には,徹底した攻撃を加えたり,徹底して無視する 体質はオウム真理教そのものだったが,同じ体質がマスコミの中にもある.俺様は, これを『マスコミ真理教』と命名した最近である.                 原点に戻って,本当に二人は犯人なのか? これを徹底検証する必要があるのだ. 然し,もはやマスコミに,それを期待することは出来ない.彼らは,明確な意図から 二人を犯人に仕立て上げようとしているのである.                 無論,俺様の勝手な推測に過ぎない.然し,状況を考えれば,徹底した犯人扱いは マスコミの採るべき報道姿勢ではない.何が起きても,冷静に事実を伝えればいい. 冤罪冊子が配られたら素直に報道すればいいのだ.                 然し,判決も出ていない段階で,平然と犯人扱いにして,容疑者と家族を徹底して 叩き続けた.マスコミは,完璧に人民裁判の場と化しているのである.判決の前に, 裁判所が出すべき判断に,強い暗示を与えて行く.                 今のマスコミは,明らかに越権行為に走っている.そして,この現実には,異議を 唱える者がいない.情報の流通経路であるマスコミは,結束して国を支配する方向を 目指しているのかも知れない.誰が支配者なのか?                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る