マスコミが口をぬぐう二回目の審判

マスコミが口をぬぐう二回目の審判?

 二回目の審判が開かれて,断片的にその情報が流れて来るのだが,現場に残された 文書や犯行声明の筆跡が,容疑者であるA少年の筆跡と同じものであることに疑問が あるとも受け取れる一部マスコミの報道があった.                 警察側は,任意同行を求める際に『筆跡が一致したから…』として,証拠があって 任意同行を求めた筈が,実は,その時点では鑑定結果も出ていない.よって,これは 証拠から削除するよう弁護側が要求したとされる.                 逮捕の記者会見の際,そのような筆跡の話はなかったと記憶する.凶器のナイフが 自宅から見つかったとして,任意同行の後,逮捕した.然し,結果的に,発見された ナイフは凶器ではなかった.確証は何もなかった.                 本質的に,証拠も揃わぬ内に容疑者逮捕の記者会見を開いた.マスコミは,それに 乗って,前後の見境もなく,A少年を犯人と断定して,以後,事実の確認を忘れて, あらゆる噂を証拠として,A少年叩きを開始した.                 疑わしい者を警察が取り調べるのは,仕方のない側面もある.時には,ありもせぬ 証拠を臭わせて,自白を引き出す芸当などは取り調べの常套手段であろう.それでも 真犯人を自供に追い込み,証拠が見つかればいい.                 俺様は,このテの捜査上のやり方が汚いなどと,枝葉末梢的な雑事にこだわって, 真犯人を裁判上の駆け引きで無実にしてしまうことに賛同するものではない.むしろ そういう悪を擁護する駆け引きには嫌悪感を抱く.                 問題は,犯人の残した筆跡とA少年の筆跡が結果的に一致しているか否かを問題の 核心にしなければならない.宮崎勤の事件では,似ても似つかぬ筆跡を,マスコミは 『筆跡が酷似』との大嘘を報じた経緯が語られた.                 果して,今回の事件で,筆跡は似ているのかいないのか? 報道では,警察側は, 『似ているから』とは言っていないと証言したとも伝えられる.では,肝心の筆跡は 同じなのか違うのか.筆跡鑑定も玉虫色の世界か?                 何故か,テレビとかラジオのニュースでは,ほとんど今回の審判の内容について, 報道されないことが奇妙である.A少年の逮捕から,弁護側の主張や取材は,極端に 少ない実態もある.それがマスコミの目的なのか?                 言わば,弁護側が警察に詰め寄る場面は,A少年に有利になってしまう.それでは 困るので,報道は出来るだけ控え目にする.少しでもA少年が無罪になる可能性には 目を瞑って,ひたすら悪印象有罪路線を堅持する.                 週刊文春が記した友が丘地区で起きたとされる『冤罪説冊子ばら蒔き事件』などは 少なくとも,神戸地区の精神科医全員の確認を取る作業や,友が丘地区の実態調査を 行った経緯が,記述の中から明らかに伺えるのだ.                 まさか週刊文春一社だけが,それを掴んだ訳ではあるまい.もしそうであったら, これは,彼らが喜ぶ大変な『独占スクープ』である.それとも報道協定で,A少年に 有利な報道は,自粛するという協定でもあるのか?                 A少年の任意同行は,警察官の姿をみて,A少年はガックリと首をうなだれたと, 報道したところもある.取り調べにも,事件のことになると,積極的に,際限もなく しゃべり続け,出所したらまた犯行に及ぶとか….                 要するに完璧に容疑を認めたかのような報道がなされた.ところが,この審判では 罪状認否を留保しているという.やったともやっていないとも供述していない.何故 マスコミは,この経緯を大きく問題にしないのか?                 確証のない心の闇の部分という,絶対的にA少年の印象を悪くする部分については 識者,評論家と称せられる輩を招いて,徹底してウダウダと埒もなき戯言を並べる. 任意同行時の警察の不手際には,盲目になるのか?                 有罪を確信しているのであれば『今になって認否留保はふてぶてしいっ!』とでも 叩いたらどうなんだ? バモイドオキ神とか,ニーチェとか,心の闇の部分などは, まるで姿を見せる気配もないゾ.これは作り話か?                 改めて,A少年逮捕の記者会見の様子を思い起こすがよい.終始,しどろもどろな あの会見から,警察の真犯人逮捕の確信が伺えるのか? 出来るだけ早く記者会見を 終わらそうと浮足立って,ほとんど上の空だった.                「凶器は?」「え….あ….ナイフです」「刃渡りは?」「分かりません」これで, 僅か7分で終わった.後は,本当かどうかも分からぬ密室でなされたやり取りだけが まるで審判でのやりとりのように報道され続けた.                 報道では,十七日にも少年の処分が決まるとされているが,単純な少年犯罪とは, 明らかに様子が違う今回の事件を,そんなに簡単に審判が下せるのか? 先のように 事実の確認ですら曖昧で以後さしたる進展もない.                 ふと電車の中吊り広告を見上げたら『遺体切断,血飲みの性儀式』と,週刊女性の 広告が目に止まった.審判は淡々として,派手な動きがないのに,まことしやかなる 噂が派手にまき散らされて,全く衰えを知らない.                 マスコミは,執拗にA少年がやったという印象だけは,強く流し続けるが,肝心の 確証に基づく部分には,沈黙したままである.審判では,やったともやってないとも 断定されていないのだ.これを忘れてはならない.                 今回の事件を通して,マスコミ報道に疑惑を持ち続けることの難しさを実感する. これだけ言われるのだから,やったことに間違いはないのではないか.周囲の人間も 皆,俺様の言葉には耳を貸さず,週刊誌を信じる.                 実際,あたかも神戸の事件をフォローする意味を含めているのか,執拗に,十代の 殺人を報道する傾向もある.オーストラリアでの留学生も十六才に殺されたとされる 誠にタイミングのいい事件も舞い込んできている.                 報道の害毒は誠に甚大で,我が妻とて,俺様のお側にお仕えをしながら,その心は マスコミに奪われておる.『今の十代は何をするか,本当に分からないよ』などと, 十代から被害を受けたこともないクセにのたまう.                 我慢するとか,忍耐力のないガキ共は,カッとすれば何をしでかすか分からない. 言ってみれば,猿に近い行動は取れるだろう.だが,冷徹に内面から生まれる哲学的 思索に基づいて凶行に走るのは思春期以後である.                 これだけ一人の中学生を徹底して裁いた結果が,もしも冤罪だったら,マスコミの トップは,皆,校門の前に雁首並べて土下座しても間に合わぬ.A少年を散々叩いた マスコミの寄生虫も同罪だ.首だけは洗っておけ.                 改めて,A少年を叩き続ける輩に告ぐ.テメェら,腹切って,見事に死んで詫びる 覚悟と勇気位は持っているんだろうな? さしづめ週刊新潮と週刊文春は,廃刊して 詫びを入れる位のことは覚悟の上のことだろうな.                 事件が起きたことは間違いがない.そして,それを実行した犯人が存在することも 確かなことである.執拗なオカルト話は,本当の犯人を隠蔽する工作としての意味を 持っているようなことはないのか? どうなんだ!                 或いはA少年が,徹底的に学校への恨みを抱いて,校長と教師全員を道連れにして 自らの恨みの深さを誇示する目的でやったとしたら,或いはそういうこともあるかと 信じられる部分もある.ところがそれが何もない.                 少年の周囲の人間は,誰も悪い訳ではなくて,ただ,突然,何の原因もなく湧いた バモイドオキ神サマへの帰依という荒唐無稽なところに原因を置いて,底知れぬ闇と 持て囃す.それなら再発防止は考えるだけ無駄だ.                 俺様に言わせれば,事件が冤罪であるから,容疑者以外に責任者を出してはまずい 事情があるのだ.校長や教師を,警察のでっち上げた冤罪事件のとばっちりで責任は 問えない.そこで,A少年だけを悪者にしたのだ.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る