自主的思考力ゼロのマスコミ

自主的思考力ゼロのマスコミ

 週刊ポスト8/22・29には『ならば少年Aの両親を逮捕せよ!』とぶち上げた記事が ある.誰が言っているのかと読んでみれば『山形・中学生マット死事件』の被害者の 父親の意見を勝手にA少年にすり替えての解釈だ.                 その前に作家,柳美里の「少年Aの両親は記者会見をすべきだ」を引き合いにして これでは生ぬるいと言わんばかりに切り捨てて,親に子育ての責任を明らかにしろと 迫る.子供は,親よりもテレビが育てる時代だが?                 つまり『子供に責任が問えなければ,親を強制的に取り調べが出来てもいい』との 希望的な意見を,少年Aの両親に当てはめて断定的な表現にしたものである.然し, マット死事件と,今回の事件は同列には扱えない.                 マット死事件での問題点を叩いて,それをそっくり神戸の事件に当てはめられては 堪らない.神戸の事件は,本当に中学生であるA少年の犯行であるのかどうか,依然 不明であるのが実体である.犯人扱いは出来ない.                 マスコミは,この記事のように,他人の意見を拾っては拡大解釈,断定解釈をして 記事にしてしまう.マット死事件の被告側の反応を,あたかも神戸の事件も同じだと 思わせる.A少年が犯人である立証はなされない.                 マスコミは,犯行を立証することもなく,警察発表にある矛盾を探そうともせず, それを最終判決にして,ただ闇雲に裁きだけを繰り返す.これ程の記事のスペースを 警察発表の検証に使う勇気を持ったらどうなんだ.                 この記事は,冒頭に『「真相」が覆い隠されて行く』としている.興味深いのは, 元札幌高検検事長の佐藤道夫・参院議員の指摘で『容疑者の少年に「私はシロです」 と主張されたらお手上げだ』という実態もある….                 俺様の視点から,これを考えれば『警察のでっち上げ事件もまた闇の中に消える』 可能性を秘めている訳である.実際,マスコミで伝えられる犯行の経過は,その中に 多くの矛盾があり,言い逃れ可能な仕掛けがある.                 死体を隠した施設の外で,被害者を殺害して,その後,鍵を切断したりして,中に 運び込んだとするが,どのような手段を使ったか? 切断して二日経過した首なのに どうしてあのような大量の血痕が現場にあったか?                 本当に,これが『嘘偽りのない』警察の本格的な取り調べの結果ならば,ここには 無限の疑惑が生まれてしまう.警察の発表は,到底信用することは出来ないとして, A少年が『不処分』となる可能性は極めて高い….                 俺様は,マスコミ共が一度として明確な根拠も示さぬままに,このように執拗に, 徹底してA少年を叩いている実態を不気味に思う.おざなりな警察発表は,それほど 信頼に足りるだけ絶対の信憑性があるのだろうか?                 俺様には,警察とマスコミは明らかにグルになって,A少年裁きをして,真犯人の 隠蔽工作をしているとしか思えない.マスコミの全てが,全く同じ報道をして一度も 事件の経過と,伝えられる犯行の経過を調べない.                 画一的な報道の背後には,協定が出来上がっていると見るのが自然である.大体, 事件から日数が経過すれば,最初からの経緯が流されて,改めて事件を振り返って, 様々な論議がなされるが,それは一切なされない.                 もしマスコミに勇気があるのなら,事件の経過を最初から振り返って,警察発表と 照合してみたらどうなのか? 合わせて犯人逮捕前に流された無数の映像を検証して A少年の行動を,徹底して追跡して明らかにせよ.                 一般の人間に『何故A少年が犯人だと思うのか』と問えば,テレビで言ってたとか 週刊誌に書いてあったと答えが返ってくる.ものを考えない輩の,そのテの答えには 腹も立つが,常識的な反応とて罪はないとしよう.                 然し,一般にそれほど大きな影響を与える当のマスコミには,その絶大の信頼には 的確に応える必要があり,厳正な事実の確認が必要である筈だ.ところがマスコミが それを果たさず警察発表の鵜呑みでお茶を濁した.                 つまり,マスコミは,何かミスがあった場合を恐れてか,ともかく誰か名の知れた 人間の意見を引き合いに出して,その尻馬に乗って,自分の主張を代弁させている. 権威ある警察の発表なら虎の威も借りられる訳だ.                 マスコミは,自分が何を果たすべきかが,まるで分かっていない.まともに自分の 使命も自覚出来ない.本日夕刻のTBSテレビのニュースでは,先頃,死刑になった 永山則夫を称して『永山則夫氏』と敬称を付けた.                「私どもでは死刑になったことで罪の償いが済んだと判断して…」などと弁解した. おいおい….もし永山則夫が無期懲役ならば生涯呼び捨てである.獄中ですら生きる 権利を否定されるが死刑である.抹殺なのである.                 死刑は,執行されて罪が償われるのではない.償えない罪を裁くのが死刑である. 懲役と同列に考えられる裁きではない.然も,TBSが展開した報道の内容に,何の 意味があったのか? 死刑囚を持ち上げただけか?                 マスコミが下手にものを考えると,幼い判断を下して,その未熟で愚鈍なる実体を さらけ出してしまう.突然,この世で一切の存在を消された4人の被害者を尻目に, 死刑囚に敬称を付けて書かれた原稿を紹介する….                 28年前に殺された人々が,一体どんな人だったのか? それには全く触れずに, 生き延びた死刑囚の活動を敬称を付けて紹介する.一方で,中学生を証拠も挙げずに 猟奇殺人犯呼ばわりして徹底して裁きを継続する.                 一般の人間がマスコミの報道を信じて,A少年裁きに加担するように,マスコミは 警察発表を信じて未成年者を平然と裁く.万一間違ったら取り返しのつかない危険を 全く考えずに….既に,崩壊する前兆かも知れぬ.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る