たかがガキされどガキ

たかがガキされどガキ

 俺様は,子供に人権なんか認めない.クソガキの正論ごときに,権力を与えれば, ヤツラは増長するだけだ.肩書だけの学者ドモは,子供の個性や人権を大事にせよと 抜かす.ならば,A少年の人権擁護に命を掛けろ.                 ここで言う人権擁護とは,彼が真犯人であるか否か,警察の発表と現場の状況が, 本当にピッタリ合致するのか否か,基本的な部分を,徹底的な検証に掛けることだ. 首は,斬られて間もなく晒された状況だった筈だ.                 裁きの権利を持たぬマスコミの少年裁きに徹底抗戦すべきである.然し,彼らは, 逆に取材に対して,得意になって警察発表を肯定する世迷言を並べ立てるばかりだ. 中継の後ろのニタニタ笑いのガキと同じレベルだ.                 ガキどもは,所詮,未熟なものである.何か危機に瀕したら大人が全責任を持って 守るべき存在である.少年が警察に疑われたら,子供には,その疑いを晴らす力など 何処にもない.マスコミが大人なら何をすべきか?                 警察に掛けられた疑いに,全く対処の方法を知らない無力な子供に対して,大人は 先ず何をすべきなのか? 警察が国家権力を以て行う子供いじめに加担することか? 少なくともマスコミは,そのように行動している.                 クソガキが大柄で体力を誇示しようが,生意気を抜かそうが,所詮はガキである. 責任能力などありはしない.そういう未熟な者に対して,全ての社会が,いい加減な 情報に基づいて,少年裁きに奔走して得意になる.                 未熟な存在であるガキは,何をしようと責任能力はない.俺様の目から見るなら, 二十代ですら責任能力はない.人権のない者には,何の責任能力もないのだ.自分が 何をしたかが分かるのは,ずっと後のことである.                 これは少年Aのことを言っているのではない.彼を徹底して裁いているマスコミも クソガキだとしているのである.学校でも家庭でも甘やかされて人権だの個性だのと 精一杯背伸びしたままエスカレータに乗せられた.                 学校を卒業して,ロクな社会体験もないまま,マスコミと言う権力社会に馴染んで 簡単に人を裁くことを覚えたクソガキ集団ほど恐ろしいものはない.このマスコミが 自分の恥知らずな行動に目覚める日は永久にない.                 多分,警察発表を鵜呑みにして,少年を徹底して裁いたとて,彼らにその罪悪感は 微塵もない筈である.事実上,子供を殺して平然としているのはマスコミでもある. 既成事実化した殺人犯少年Aには救いの道はない.                 マスコミは,やがて来る審判の日に地獄の業火に身を焼かれる宿命しかないことを しっかり自覚しておくべきだろう.学校の中にいじめがあるのではなく,社会全体が いじめ体質にある.マスコミは,A級戦犯である.                 俺様は,クソガキに人権だの個性だのを認めない.その反面,何があっても彼らを 守る義務は大人にあると確信する.だからこそ,逮捕された少年が,無実かも知れぬ 可能性を徹底的に追及する.それが大人だろうが?                 幾ら警察が逮捕したと言っても,それは飽くまでも警察の見方でしかない.警察は 直接,記者会見で話せるが,容疑者は,記者会見の席上に臨む訳ではない.誰一人, 直接,面談して話を聞くことが出来る訳ではない.                 この紛れもない現実を前にすれば,単純な警察発表だけで,簡単に,容疑者を裁く 報道など出来よう筈がない.殺された被害者の人権を尊重するならば,間違いなく, 殺した真犯人に到達することが絶対の条件である.                 頭部が置かれた正門前にあった血痕が,間違いなく首から流れ出たものなら,首は その当日に斬られて置かれたものと考えるのが自然である.切断して二日経た首から 血が流れる条件には,何が考えられるのだろうか?                 マスコミは,依然として,この絶対の矛盾に全く気がつかないのか? それとも, 何が何でも少年を犯人にしなければならない理由があるのか? それともこの矛盾を 晒したまま少年を裁くことに何か意味があるのか?                 週刊誌では,未だに『こんな少年をいつまで生かしておくんだ』と言わんばかりの 糾弾が続いている.何か非常に大型の台風のような化け物のために,A少年が今にも 生贄に供されて,殺されるのではないかと思える.                 週刊文春8/7では,野坂昭如の連載が復帰した.案の定,神戸首斬り事件関連の 記述である.先の記述と比較すると,いささかトーンダウンの印象は免れない.何せ 文春自体が,少年裁きの思想を強固に貫いている.                 A少年の報道に触れた周囲の反応を語り,逮捕の発表が開戦の発表と似ていると, 犯人逮捕がもたらした騒ぎなどを,少し離れた視点で冷やかに眺めている.A少年が 犯人じゃないとは絶対に書くなと圧力があったか?                 無論,俺様の独善的な印象に過ぎぬ.だが,末尾に,月ガ瀬村の事件などに触れて 『村人が,事件直後から,誰それが怪しいと噂していたケースは,慎重に扱った方が いい』と書いているところに,彼の本音を感じる.                 多種多様な報道機関がありながら,何故,警察発表が本当であるのか否かについて 検証を試みようとするところがないのか? 容疑の真偽を徹底的に検証することが, 社会全体のタブーになった.怪しげな風潮である.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る