更生の機能も可能性もない社会

更生の機能も可能性もない社会

 神戸首斬り殺人の容疑者にされた少年は,結局,学校からも社会からも一度として 信頼されたこともないままに,抹殺されることばかり考えられた子供である.ここに 少年を更生させる機能や可能性は全くみいだせぬ.                 不良品は,使い捨ての時代そのままである.少年が逮捕されて,本当にその人権を 守る気概があるなら,マスコミが率先して,常に,警察発表の真偽を追究する姿勢が 要求される.警察の過ちは,過去に幾らでもある.                 少年が間違いなく犯行を行ったのかどうか? 供述内容として伝えられる内容を, 実際に検証した報道機関はない.死体を隠した施設の鍵は,扉に付けられた状態で, 鉄ノコで切れるものか.その切り屑はあったのか?                 手近にある週刊女性8/5に『少年の全供述書徹底検証』とする,大袈裟な記事が 掲載されている.これによると少年Aは,アンテナ近くにある草むらの中で被害者の 首を手で絞めたが,無理と判断して靴紐を解いた.                 それも片手で被害者の首を締め付けたまま,片手で自分のスニーカーの紐を解き, それを使って絞め殺した.週刊文春に野坂昭如の記述では,まず頭部をなぐられて, 無抵抗状態で首を絞めたとあって,一貫性がない.                 遺体をその場に隠し,ここから施設の中に入るために,わざわざ鉄ノコと南京錠を 万引きして,ナイフも手に入れて再び現場を訪れて,作業を継続したと言う.何とも 手順の悪い犯行であり,情報にはまとまりがない.                 予め,鍵を付け替えておいた上で,被害者と現場に来て,一緒にその中に入ったと 推測していたが,わざわざ施設の外で殺して,重くなった筈の死体を,一体,一人で どのように運び込んだのか.不自然な状況である.                 少年Aは,何度もこのタンク山を往復したことになる.まず,被害者を誘い込む. 次に,道具を取りに戻って再び現場を訪れて,鍵の付け替え,遺体の運搬,更には, 首の切断に従事して,首と遺体を放置して帰った.                 翌日また現場に戻って,ポリ袋に首を入れて自宅に持ち帰ったという.この辺りも スンゲェ度胸だとは思うが,自宅に持ち帰ってからの作業も,自分の机で頭部に傷を 付け,目にバツ印,口を割くなど,凄惨を極める.                 ごていねいに,この首を風呂場で洗い,自室の屋根裏に隠して,徹夜で犯行声明を 仕上げ,表紙にカッコイイ漢字を羅列した.この手紙は,警察からもマスコミからも 未だに公開されない.公開をはばかる理由は何か?                 容疑者が自分の行動について,終始一貫した説明をせずに,内容が二転三転すれば 嘘をついていると断定される.然し,警察の発表,マスコミ報道はまちまちである. こういうあやふやな前提で中学生が叩かれている.                 マスコミは,少年が家裁に送られた後も,執拗に,少年の悪い噂を拾い集めては, これを放送している.現地の父母・教育関係者等も少年に掛けられた疑惑について, 全く疑いを持っている様子もない.不思議である.                 少年Aが犯人であろうとなかろうと,中学生であるという視点で,徹底して,その 犯行を疑って,警察発表に厳しく検証を加えるモラルが必要だ.容疑者の自分でも, 警察発表より信じられた事実が更生への道が開く.                 今の状況は,この中学生を頭から犯人と決め付けて,犯人でない可能性については 全く考慮されていない.俺様の感覚では,これは社会の末期的症状としか思えない. 然し,俺様の外の世界では,常識で通用している.                 普段の素行が悪いばかりに,いい加減な警察発表の瞬間から,世紀の猟奇犯罪者に 大変身してしまった一人の中学生である.『9年の間に14の純粋な魂を取る』と, 堂々と語っているとか….全ては警察発表である.                『こんなヤツが僅か2年で出てくる』と,世間は戦々恐々である.俺様には,未だに この中学生が,この猟奇犯罪をやったとは信じていない.警察発表の徹底検証がなく 信じる根拠が希薄で,証拠物件自体も貧弱である.                 そして何度も書くが,切断して二日経て,なお且つ風呂場で洗った頭部から,あの 正門前に見られた大量の血痕が,果たして流れてくるものか否か? そうした重大な 疑問にも,明確な検証がなされなければならない.                 オカルト的な視点まで持ち出して解こうとする前に,人間界にありふれた月並みな 視点に立ってみることが常識なのである.『あれはUFOだ』と騒ぐ前に,何か別の 現象を見間違えた可能性を考えるのは常識である.                 常識では計り知れない事件や現象は,まずその出所の信頼性をチェックすることが 基本である.150万分の1の確率に信頼を置くより,胡散臭い警察の発表を疑って 厳密にチェックすることは至極当然のことである.                 マスコミに流れる情報は,その入口で少年を犯人としない前提を,全て切り捨てて 犯人とする前提を定理にした上で,全ての放送が計画されている裏があると疑える. つまり,意図的に幻を現実だと見せる陰謀である.                 ものを書くことを商売にしている者は,この時期,少年Aを猟奇犯罪の真犯人だと 断定しなければ商売にはならない? 俺様は,自らの使命感に根差して書くことを, その信条とする.もの書きを安易に商売にはせぬ?                 もの書きは,次の時代に芽を出す著述をなすことが,本来のあり方である.例えば 書いたものを金にして,それで生活するというのは,未来のために蒔いた種を自分で ほじくり返して,自分で食べてしまうことになる.                 もの書きが顧客のニーズに合わせる商人になってしまった時代である.宛にならぬ マスコミの情報に翻弄される庶民は,バーチャル・リアリティの幻に浮かれている. その陰でとんでもない怪物が野放しになっている?                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る