言葉の性質 前提と真理

言葉の性質 前提と真理

 俺様が,ものを書くことを覚えたずっと若い頃,一つの素朴な疑問を感じていた. それは『言葉は,何故あり得ないことを表現できるのか?』である.最近になって, 改めてそれを考えると『この世自体が幻だから…』                 あり得ないことを表現出来る言葉の特性は,人間に無限の可能性を与えてくれる. 未知の世界を探求するには,柔軟な表現が可能な言葉が,絶対的に必要だと感じる. 『もし〜ならば…』この前提で未来に対処できる.                 今は,あり得ないが,将来は起こり得るかも知れない様々な前提を用意して,幻の 世界を無限に構築することが出来る.ただ,そうした言葉の可能性は,常に,幻から 実在の世界への橋渡しとなるところに意味がある.                 言い換えれば,言葉は,人間に,真理を探究するために無限の表現が可能な特性を 有して定着している.この次元でものを考えると,言論の自由と言う言葉には,全く 意味がない.基本的な言葉の性質を述べただけ….                 敢えて,俺様の次元で,言論の自由を語れば,真理の探究という絶対の命題から, 全てが許される.兵庫県警が,そそくさと逃げる,質問の一切を許さない記者会見で 一人の中学生を犯人だとする『真理』を発表した.                 然し,本来,これは一つの前提に過ぎない.だから,その前提が本当なのか否かを 検証する動きが当然起こらなければならない.真理は,幻の空間に浮かんだ未知なる 存在である.それを知るために無限の自由がある.                 ところが,警察発表という極めてあいまいでいい加減な一つの前提が,真理として 世間に伝播してしまった.これ以外の可能性は完全に否定されて,事件について何か コメントするには,真理の受け入れが要求される.                 言葉は自由を失い,不確かな前提を真理として受け入れなければ,マスコミでは, 何も意見を言うことが出来ない.マスコミに登場して,意見を言う人間は,皆一様に 中学生が真犯人だとする常識を根底に置いている.                 本当に中学生の人権を守る気概があるなら,警察が発表する犯人に,厳しく検証を 加える必要がある.未成年者の扱いに慎重であるならば,当然,警察発表が,本当か 否かを厳しくチェックする必要があった筈である.                 戦後五十年を節目に,昔の日本を称して『愚かな戦争をした』と徹底した裁きが, 日本のメディアで行われた.ハワイ奇襲攻撃に幕を切って落とした開戦に,日本中が 提灯行列に沸いた.そんな背景など全く忘れて….                 かつての日本が,数多の犠牲を経て,アジアを守った尊い聖戦を,侵略戦争として 一蹴するマスコミ報道である.その前提も他国の意見を,警察発表と同様,そのまま 鵜呑みにして,日本だけを悪者にする立場を取る.                 欧米のするアジアへの横暴弾圧を前に何処のアジア民族が対抗できたというのか. 唯一,我が国だけが彼らに刃向かい,結果的に彼らのアジア支配の野望を粉砕した. 日本は,欧米に必ずこの恨みを晴らされるだろう.                 神戸大震災発生の三十分後に,イギリスから,早くも救援部隊の出動を打診したと 報道された鮮烈な記憶が蘇る.香港返還の後,イギリスは新たに日本を狙っている? そんな恐怖が俺様の脳裏を過ぎった.妄想なのか?                 日本政府が頑なに海外からの援助を断り続けた背景には,案外,俺様同様,欧米に 合法的に侵略される危機を感じた所為なのか? などと好意的に考えたくなる部分も 存在した.他国の好意をここまで疑うのも異常か?                 ともかく一つの前提が提起されると,それがどんなにいい加減なものであっても, マスコミは,それを絶対の真理に持ち上げてしまう.かつての日本の偉業を冒涜した メディアは,いずれ自ら未熟さを露呈するだろう.                 但し,今,マスコミを裁く勢力は皆無である.自らの欠陥によって,自然崩壊する 瞬間を待つしかない.俺様自身,例えば,中学生が首斬り殺人事件の真犯人であると 断定した上で,ものを書く方がはるかに楽である.                 然し,絶対的な決め手を欠いた警察発表,マスコミ報道だけでは,とても金儲けで マスコミで喋る輩の真似は出来ない.例えば,本当の識者が,中学生犯人説に異論を 唱えたら,それをマスコミは取り上げるだろうか?                 俺様のような考えを発表せんとする識者は,マスコミで活動は出来なくなる現実が 歴然とあるのかも知れぬ.ニュースで『更に犯行の詳細が明らかになりました』と, 発表する一方で,反対意見は載せる訳に行かない?                 テレビのワイドショーでは,中学生が間違いのない犯人との前提で,様々な人間が 勝手な理屈で中学生裁きを繰り返す.これは今や日常的な光景である.もはや反省の 出来る状態ではない.崩壊まで突き進むだろう….                 警察発表は一つの前提に過ぎない.絶対の真理とは程遠く,極めて崩れ易いのだ. こんなドロ舟に乗って,大騒ぎをしている輩が,俺様には愚かに見えるが,彼らは, いざとなれば警察を裁けばいいと考えているのか?                 マスコミは,真理の探究に向かう姿勢からは,程遠い未熟な報道に血道を上げる. あり得ないことを表現出来る言葉の性質は,隠された真理を探究するための,柔軟な 武器として存在する.使い方を間違えてはならぬ.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る