マスコミは歴史や現体験から何も学べぬ能無し

マスコミは歴史や現体験から何も学べぬ能無し

 例えば,作家の中で,野坂昭如が週刊文春7/17の『もういくつねると』の中で 『本当に少年が犯人なのか,ぼくはまだ疑問を持っている』と書いている.俺様は, この見出しを見た記憶を辿ってずっと探していた.                 多分,見たのは新聞の週刊誌広告だったと思う.それも週刊文春だったと記憶して 喫茶店でこれを手にしたが,発見出来なかった.目次にある,淳君惨殺の特集にある 7つの見出しの中には,そんな見出しはなかった.                 本日,再び喫茶店を訪れて,野坂昭如の名前があったことを思い出して,見出しで この名前を探すと…『もういつくねると 野坂昭如』とあった.まさかこんな中に, 惨殺事件の話題があろうとは想像も出来なかった.                 週刊文春も,容疑者の中学生を過激に裁く記事の見出しは,派手に付けるのだが, 作家の書いた『本当に少年が犯人なのか,ぼくはまだ疑問を持っている』の記事など 目次の中では,見出しにもならない現実を知った.                 要するに,特集に対して水を差すような意見である.こんなものを見出しにしては 特集の意味がなくなる? 本当は,事件に関して,警察発表,マスコミ報道に逆らう 記述などはして欲しくない本音を見る思いがする.                 本文の『数々の不可解な点』と見出しのついた箇所からの記述で,その後の警察の 発表との矛盾に出会った.容疑者が逮捕された後,警察は,容疑者が首を正門の塀に 置く際に,背が届かなかったので落としたとした.                 更に,これは頭部の傷とも一致する極めて重大な供述であるとした.ところが…, 野坂昭如の記述する事件直後の警察発表では,被害者は,まず頭部をなぐられた後, 無抵抗状態で首を絞められた….傷は幾つあった?                 最初に殴られた傷と,落としたとされる傷は,それぞれ別にあったのか? 然し, 当初の発表では落としたのではなく,置き直されたと発表がなされた.落ちた傷と, 生前に殴られた傷では,生体反応で識別が出来る.                 この生体反応から,落ちたものではなく『置き直された』と一面的に報道されたと 判断できる.ところが,容疑者が捕まってからは,背が届かなくて落としたと警察は 発表した.置き直された発表の真偽はどうなのか?                 今朝のニュースでは,連続通り魔事件で,少年を再逮捕したと報道されているが, 根本的な事実確認を,何一つやろうとしないマスコミ報道には,もはや少年の供述と 断定される事実を,何一つ信じる気にはならない.                 テレビの映像で,弁護士が何かを読み上げている映像はあるが,その声は聞かれず ニュースを読み上げるアナウンサーの手短な説明だけが上滑りして終わる.ここに, 公平な報道の期待することすら虚しい気分になる.                 また,本日の夕刻のニュースで,マスコミに声を乗せて貰った弁護士の何と迫力に 乏しい声であることか.これではまともに警察と渡り合えるとも思えぬ.指を咥えて なされるがままに,ただ観察するだけなのだろう.                 戦時中,すべての報道機関は,軍部の圧力で,正確な情報を伝えられず,大本営の 発表をそのまま報道した.戦後,何かにつけて,報道機関は,これを懺悔する習慣が 定着した.権力に屈しない報道姿勢を貫くのだと.                 然し,今日の現状を見るならば,マスコミは,歴史からも,また,現体験でもある 松本サリン事件の教訓からも,何一つ学んではいない.マスコミに,真実を追究する 気概があるなら,警察発表に検証を加えるべきだ.                 然し,朝日は警察に逆らうどころか,必死に彼らの発表を後押ししている.天下の 朝日新聞に出来ることは,その日暮しのプロパイダーに圧力をかけたり,気に入らぬ ホームページ潰しなどコソ泥レベルの仕事である.                 天下に君臨するこの朝日新聞は,今朝の報道で,さながら自分が見てきたように, 容疑者の近況を伝え,昔の事件の記述を合わせて,執拗に容疑者のイメージダウンに 努めて,警察発表を懸命にバックアップしている.                 大本営発表と同じ,警察発表を繰り返している現状は,警察発表を真実だとして, 多くの国民を信じ込ませて,少年少女までをも駆り立てて,容疑者裁きを奨励する. 教師もマスコミ報道を鵜呑みにして子供に伝える.                 小中学生が『あのようなことをした中学生は死刑になって当然だと思う』などと, テレビカメラに向かって発言する姿に,俺様は,慄然とさせられる.結局,学校では 子供たちに,いじめのやり方を教育しているのだ.                 先生が生徒を集めて教えるべきことは『警察の発表とマスコミの報道で言うことは まだ本当に決まった結果ではない.いたずらに容疑者をを悪く言ってはいけない』と 正確に伝えることでなければならない筈なのだが.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る