事件に今を自覚できぬ人間の弱点をみる

事件に今を自覚できぬ人間の弱点をみる

 昨晩,筑紫哲也のニュース番組の中で,弁護士側の発表として,容疑者の中学生は 『学校に恨みはない』『先生に殴られたことはない』と言ったと伝えて『容疑者は, 捜査員と弁護士に違うことを言っている』とした.                 報道に接する側の判断では,警察側と弁護士側の発表が正反対であるとすべきだ. 本当に容疑者が二枚舌を使ったか否か,実際には確認のしようがない.報道の事実は 警察側と弁護士の発表に,違いがあるだけである.                 重要な一点として,容疑者は,弁護士に対しても,犯行を認めていることを挙げる 必要があろう.ただ,これは丸一日中,警察に缶詰になった中学生の供述である点を 考慮して考える必要があると俺様は強調しておく.                 肝心の凶器は未だ発見されていない.それでも,警察は,凶器を捨てた池を,ほゞ 特定したので,近くその発見に着手すると伝えている.容疑者の供述が二転三転した ためになかなか特定することが出来なかったとか?                 要するに,未だ確たる証拠もない実体には変わりがない.然し,警察発表は,既に アメリカとイギリスに波紋を広げていると,昨夕の朝日新聞が伝えていた.要するに 警察は,当初,嘘の証拠で容疑者逮捕を発表した.                『自供に基づいて,自宅から血の付いたナイフが発見された』とした筈が,その後, これを取り消した.つまり,この段階で,容疑は完璧に保留されなければならない. 然し,世間は『犯人は中学生だった』と大騒ぎ….                 血に飢えた狼のように,世間は,真偽の確認は後回しにして,ともかく,中学生の 残虐な犯行と言う報道にむしゃぶりついた.報道は,絶対的な真実として一人歩きを 始めてしまった.世間は,この中学生を許さない.                 この番組の中で,弁護士への脅迫があったことも伝えていた.『何故あんなヤツを 弁護しなきゃならんのだ』と言う訳である.警察やマスコミの伝える情報は,真偽を 判断する手順なしに,真理として伝わってしまう.                 俺様のようにひねくれた人間は,警察発表なんて,頭から信じない.別段,警察に 恨みがある訳ではない.ただ,令状もなしに任意で中学生を警察に引っ張って行き, 一日缶詰にしただけで,俺様は十分な疑惑を持つ.                『お前が犯行を否認すると,両親がどうなるか分からんぞ』例えば,俺様が捜査員で この中学生に,弁護士の前でも容疑を認めさせるとしたら,こんな脅し文句を使う. 震災時の作文からすれば,親思いの容疑者である.                 つまり『もし自分の両親が震災で死んで,村山首相が来たら,例え死刑になっても 何をしたかわからない』こんな意味の作文を残しているとの報道から判断するのだ. 対策の遅れに,当時は,首相への非難が集中した.                 当時の住民感情からすれば,誰もが頷ける内容であった筈だ.だからこそ学校側も 作文をそのまま掲載したのだろう.全くとんでもねぇ中学生だ,こんなヤツは,俺が 死刑にしてやる! 今なら違和感なくこう言える.                 今朝のニュースでは,大阪で中学生が釣りをしていたら,男にいきなり腹を殴られ 「死ねっ!」と,4メートル下の川に投げ込まれたと言う事件を伝えていた.一連の 報道との関わり,或いは酒鬼薔薇が別にいたのか?                 YAHOO検索で『酒鬼薔薇』の文字列で検索して,ネットサーフィンする中で, この文字がインターネットの掲示板に流されたのは,目撃者の勘違いとする警察側の 判断がなされたと,サンケイ新聞が伝えていた….                 これに対して目撃者は,確かに見たと反論している.自分の他にも十人は見ており 島根からも同様の情報があったと,警察からも聞いたと語る.この経過は,容疑者が 未だ逮捕される前の27日と28日両日の報道である.                 警察側の発表が『他に目撃者がいない』とするだけでは,最後まで追及を試みての 結論とは思えない.深く最後まで追及した結果であれば,それを,そのまま伝えれば いいものを,捜査打ち切りの印象には疑惑が残る.                 海外にまで,容疑者が中学生であったとする報道が流れて一人歩きをしているが, 結局,中学生の犯行である確たる証拠はないままである.もしこれが間違いだったら 日本の警察やマスコミの信用は一気に失墜する….                 起きてもいない中学生の猟奇的殺人を,現実のものとして報道してしまった責任は 取り返しがつかぬ.多くの人間が,ありもしない恐怖に晒されたことになる.それが 引き金となって,猟奇殺人が頻発する危険もある.                 恐れたことが現実になる,想念はやがて形を現す真理にも繋がる.警察が容疑者を 逮捕した場合,その真偽の確認を最優先することが当然の手順だが,既にマスコミに そのような良識を期待するのは絶対に無理である.                 ニュース性,話題性が報道の絶対的基準であり,それが本当であるか否かは,全く 考慮されない.弁護士が容疑者に接見したニュースよりも,警察発表の方が話題性に 富んでいる.これに水をさしては商品にならない.                 今は,ニュースも商品なのである.求める者の感情を強く刺激するニュースこそ, 報道機関の生命である.『中学生が猟奇殺人を犯したっ!』これで沸騰した感情は, もはや,それを打ち消すニュースを敵対するのだ.                 マスコミは,制御出来ない視聴者の感情を刺激することを自らの使命としている. CMを見せて,商品を買わせたいのだし,そうした効果があって,また,次の仕事を 貰える.理性に訴える情報は金にはならないのだ.                 これがため,弁護士サイドの情報は,後回しにされて,警察発表の続報を優先した 報道がなされてしまう.それでも,今回は,弁護士が毎日接見していると言う点で, 宮崎勤事件とは,大きく違う点として評価出来る.                 当のメインテーマである宮崎勤事件のケースでは,弁護士の接見が二ヵ月もなく, 一方的な警察発表だけを取り上げて,マスコミが宮崎勤への憎しみを煽り立てた…. 弁護士も事実認定を争わず,冷却効果もなかった.                 ただ,マスコミの体質からして,弁護士接見の報道は,金にならないニュースで, 何処も報道したがらない? もはや中学生のホラー映画に夢中の世間である.もはや 上映を止める訳には行かないところまで来ている.                 例えば,俺様が知人との世間話で,この事件を話題にしても,その多くは中学生の 犯行を既成の事実として話したがる.まだ証拠が固まった訳ではない…などの言動は 必ず嫌われる.世間は,血に飢えているのである.                 あることないこと他人の噂話,週刊誌の芸能ニュース等,ともかく無責任な話題で 彼らは盛り上がりたいのである.識者と言われる人間ドモも『何が中学生を,こんな 残虐な犯罪に駆り立てたのか』話したいのである.                 特異な事件が起きると,必ずコヤツらが登場して,勝手な理屈をこね回すのだが, それが犯罪防止に繋がるのものではない.展開される論理とて一般人の想像とさして 変わりはしない.ただ肩書で権威を持たせるだけ.                 この事件の犯行が誰によるものだったのかを十分に納得する形で認められるのは, ずっと先のことになりそうな気がする.何処か宮崎勤事件に共通する違和感があって にわかには,マスコミ報道に同調する気にならぬ.                 犯行声明の内容と,容疑者の完璧な結びつきについてすら明らかではない.むしろ 昨晩の放送にあったような『学校に対する恨みがない』とすれば,矛盾すら出てきて 困惑する部分もある.内容の謎も,未解明である.                 人間の能力では,今を正確に把握することが出来ないが,それにも気づかぬ二つの 弱点が共存する.人間は,自分の思い込みに支配されて行動している.思い込みから 抜け出さぬ限り,他の世界を見ることは出来ない.                 既に,マスコミ報道に接した多くの人間が,逮捕された中学生が絶対の真犯人だと 思い込んでいる.然し,事実を冷静に見極めもせずに,逮捕された中学生についての 先走った報道は,自らの未熟さを晒け出すことだ.                 真理に照らせば,何が起きているかを正確に把握出来ない報道機関が,それを自覚 出来ぬことにも気づかず,警察発表の鵜呑みが,言論の自由なのだと確信している. 新潮社の姿勢は,人間が有する弱点の見本である.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る