神は,俺様に7年前の再現を命じたもうた?

神は,俺様に7年前の再現を命じたもうた?

 ショーペン・ハウエルによれば(ヲイヲイ),読書と学習は誰にも出来るのだが, 客観的な思索は,その天分に恵まれた者にしか出来ないという.受け売りは出来ても 自分でものを考えられる人間は少ないのだろうか?                 マスコミが軽はずみに流す言葉で,簡単に踊る人間の姿を見るにつけて,確かに, そういう理屈が成立することを実感させられる.だから宣伝も商売も止められない. マスコミが大衆を操作するのは,実に簡単である.                 例えば,人が裁かれる際に,言葉が効力を発揮するためには,法廷で宣誓した上で 証言をする必要がある.宣誓を拒絶したオウム真理教教祖が,退廷させられた事件が 印象的である.マスコミは,この手順を知らない.                 神戸で起きた首斬り殺人事件の犯人逮捕は,新たな意味を持ち始めていることを, 感じ始めている.神は,俺様に,警察発表をそのまま垂れ流す単純な拡声器と化した マスコミの悪行三昧を明らかにするように命じた.                 例えば,警察は,何故,裁判にもなっていない犯人の供述などを,逐一マスコミに 発表するのか? 一見すると,至極当たり前の日常的な現象なのだが,これは,実に 恐ろしい.容疑者が弁護士もなしに裁かれている.                 この記述は,今,初めてする訳ではない.7年前,宮崎勤が逮捕された後,俺様が 感じたことである.今朝のニュースは,警察が朝,少年の家を訪れた際,かの少年は ガックリとうなだれて任意同行に応じたと報じた.                 何故,警察は,今になって,そういう経緯を発表するのか? 当日の記者会見では 逃げるように,サッサと終わってしまったではないか.マスコミ報道に接する大衆が どう反応しているかを確認しながら流している….                 警察発表も,凶器の発見が二転三転する.当日,血染めのナイフを発見としたのに 今になって『血痕は付着していなかった.凶器ではない』とする.自供に基づいて, 凶器発見のために川ざらいをすると変化している.                 警察発表は,裁判所の判決ではない.それは,宣誓に基づいたものでもなければ, 確たる事実を確認出来るものでもない.時には,でっち上げ,犯人隠匿を行っている 犯罪集団の側面を持つ警察が流したデマと言える.                 それを読み上げるアナウンサーは『犯人の中学生が事前に犯行をほのめかしていた 事実が明らかになりました』と,自信たっぷり,高らかに読み上げる.こんな報道の ずっと後になって宣誓に基づいた裁判が行われる.                 歴然とした警察とマスコミの行う暴挙に対して,誰も何の疑問を感じないのか?  一部週刊誌の,中学生の写真掲載が問題にされているが,日常的なテメェらの報道に 同じ問題が潜んでいることには,全く気づかない.                 裁く権利など,微塵もない警察やマスコミが,いつからこんなに強い裁きの権力を 持つようになってしまったのか.無論,表面的には,それは裁きではないが,そんな 情報に接する大衆の大半は,それを鵜呑みにする.                 彼らは,自発的にものを考えられる能力を持っていない.学校教育の基本自体が, 鵜呑みの能力を養わせるためのシステムなのである.成績優秀な生徒とは,鵜呑みの 達人である.規格から外れない極意を究めている?                 この事件では,逮捕された少年には,弁護士かついている筈だが,マスコミ報道は 警察発表と平行しなければならない筈の弁護士の見解には触れていない.警察発表を 宣誓もせぬまま,事実と断定した発表をしている.                 これが裁判ならば,全て無効となってしまう.我々は,そういういい加減な報道を 教科書の記述のように受け入れている.もし裁判で,事実上,無効な報道とは異なる 発言が出ても,その事実に目を向けようとしない.                 大きな事件の裁判の傍聴は,散々,警察発表の拡声器の役割を果たしたマスコミが 占領しているのだ.被告に有利な経緯などは,意図的に切り捨てるくらいは常識だと 推測出来る.NHKとて,その例外ではないのだ.                 今朝,読み上げられたニュースを鵜呑みにすれば,警察は確証もないまま,少年の 家を訪れた.彼は,多くの要注意人物の一人に過ぎなかった.だから,何の確証とて ある訳ではなかった.ところが少年が観念した…?                 それにしては,朝,任意同行させた割に,逮捕は夜の7時を回っていた.警察は, 不確定な容疑者を尋問する前に,インターネット上に流れた『酒鬼薔薇』の文字列を 迅速に追う必要があった筈だが,何故か敬遠した.                 マスコミで,そんな情報が流れて,かなりの時間経過の中で,目撃者のところにも プロバイダーの元にも警察は出向いていなかった.それが報道され,警察は,やっと 重い腰を上げるかに見えた.だが,踏み止まった.                 少年の逮捕は,まさしく,警察がインターネット情報に,肉薄しなければならない 極限の状態のところでなされた.俺様が,ここで感じるのは,警察は,重大な情報に 接近することを,敢えて避けたかのように思えた.                 犯人は,中学生だったと,ぶち上げた衝撃で,世間は,インターネット上に流れた 情報を完璧に忘れてしまった.世間一般には,まだインターネットなんて霧の彼方の 世界である.ほとんど関心などありはしないのだ.                 俺様には,警察が敢えて中学生をこの時期に尋問したのは,何らかの時間稼ぎかと 思えた.だが,逐一少年に不利な情報を流し続けることで,世間一般に,真犯人だと 印象づける結果が,導き出されようとしている.                  容疑者逮捕前に,無責任に,それこそ,宣誓のない様々な目撃情報が流されたが, 全ては雲散霧消してしまった.マスコミに登場して,不審人物の目撃情報を語った, あの人々をマスコミは一体何処でかき集めたのか?                 目撃者をわざわざ校門前に連れて行って語らせて,警察発表に花を添えてやった. そして,中学生の逮捕と同時に消し飛んだ.それならば,マスコミ報道が「明らかに なりました」とする情報の信憑性にも疑惑は残る.                 7年前の暑い日々,マスコミは,宮崎勤叩きに躍起になっていた.そして,今日, 再び,全く同じ光景が繰り広げられようとしている.この事件をマスコミとは反対の 視点で捉えて,俺様は,7年前の再現を試みたい.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る