警察庁長官狙撃事件と神戸首切り事件の絡み

警察庁長官狙撃事件と神戸首切り事件の絡み

『結局,そういうことになるのか…』今朝の新聞を見てそう思う.現職の警察官が, 明確な犯行の記憶を語る自供をしても,すぐには発表せず,最終的には,実行犯では ないとして無罪放免である.真実そうかも知れぬ.                 これと比較すると,宮崎勤の場合には,上申書と犯行声明の筆跡の明らかな違いや 宮崎自身に,性犯罪を犯す必然のない肉体的な特質が語られているのに,これを一切 無視して,性欲を満たさんが為の凶行と断定した.                 何より重大なことは,明確な犯罪を犯した記憶があろうと,それは必ずしも本人が 犯罪を犯したことにはならないとする現実を警察自体が認めたことである.言わば, マインド・コントロールによる記憶操作を認めた.                 宮崎勤には,最初から催眠術に掛けられた雰囲気が存在した.言わば,警察当局の 手に依るマインド・コントロールである.本人の意図的な嘘は認めない判決である. それならば事実認定の原点から見直すべきである.                 宮崎勤は,日常的に非現実的な存在を簡単に容認してしまう極めて被暗示性の強い 性格である.一体,この一審判決の出るまでの異常に長い7年間,関係当局は,一体 何を調べていたのか.慎重な部分は何処にもない.                 ずっと裁判を傍聴して来たとする作家,佐木隆三とて『7年間慎重に審理してきた 結果だから間違いない』とするコメントを出している.今までこんな奇妙な犯罪者を みたことがないとしながら,事実認定は疑わない.                 俺様は,宮崎勤が催眠術で記憶を操作されたとして,自らも敢えて,常軌を逸した 推理だとしているが,何のことはない,警察もそういうことを認めるではないか…. 俺様の推論は妥当で,常軌を逸したとは言えない.                 他の事件との絡みで言えば,神戸での首切り殺人事件では,犯行声明を出すという 手口から,宮崎勤事件との絡みが取り沙汰される.神戸の犯行声明については何かと 劇画の文面を真似たものとする報道が盛んである.                 然し,劇画を持ち出さなくとも,ありふれた文面だと考えることも出来る.俺様は 最初の犯行声明が発表になったとき,ふと,宮崎勤を身代わりにした真犯人が,別の 土地で新たな犯行を開始したのか? とも考えた.                『私を捕まえてみたまえ』とする文面からは,この事件の犯人を特定出来たとしても 警察は逮捕出来ない裏事情があるのではないか? そんな疑いを感じたことろからの 連想である.後日の犯行声明は,疑いを濃くした.                『ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね』とする文面の意味は,妙に 象徴的である.更には『ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている』とする 一行は,解釈の仕方では,冤罪事件を感じ取れる.                『一人の人間』とするからには,これは憎むべき『野菜』ではない.替え玉にされた 人間が,まず死刑になり,その後に,真犯人である自分が別の事件で死刑になる…. 一つの罪で二人の人間が殺される意味ではないか?                 つまり,一人しかいない真犯人を二度殺すことになると解釈するのである.これも 俺様が,自分の推論に深く囚われて,思い込み深く考えるので,そういう解釈が出て 来るのである.一般常識では容認されないだろう.                 俺様が宮崎勤事件について書き進める過程で,一見,無関係に思える事件が,妙に 深い繋がりをもって感じられるというのも面白い現象である.これから先,更に強い 結びつきを連想させる事件が起きるかも知れない? ** 悪魔 **       ・目次に戻る