一審判決最大の疑問?

一審判決最大の疑問?


 改めて宮崎勤に対する判決理由要旨を検証すると,裁判所は,捜査段階の取り調べ 状況を『被告は,捜査段階では一応事実を認めていた…』と,公判における状況との 乖離を意図的に少なめに表現している.                      被告が逮捕された経緯は,いわゆる別件逮捕であり,この状況では,本来の容疑と されている連続幼女殺人事件での取り調べは出来ない建前である.それが可能なのは 彼が自ら進んで上申書を提出して積極的に自供をする必要がある.          捜査員が彼が本件の犯人であるとの確信を得て,直接,この事件の容疑で逮捕した 訳ではない.つまり,判決理由が記述する『一応事実を認めていた…』とする表現は 事実を曲解させた表現である.                          勿論,現実の捜査においては,上申書が提出される経緯には,何らかの取り調べが 捜査員の誘導によってなされると思われる.だが,そうした詳細や経緯が判決理由に 盛り込まれている訳ではない.                          実際,判決理由の中でも,被告は一切の証拠を残すことなく犯行を継続したとする 明確な記述がなされている.それがまた精神異常ではない証拠と断定されてもいる. よって『一応事実を認めた』のではなく『積極的に自白した』のだ.         裁判官は,積極的自白をした被告が,公判では,終始一貫,夢の中の犯行であると まともな供述をしていない現実に戸惑いながらも,密室での取り調べを正当化して, 何とか辻褄を合わせようと画策した痕跡をここに残した.              通常,一切を自供した犯人は,心安らかになる傾向があるとされるが,この被告は 犯行の詳細を積極的に供述したあとに,妄想を抱くようになってしまったとされる. 『単なる拘禁反応』で片づけられる簡単な状況ではない.              一体,法廷は,7年間何をして来たのかっ! 別件での逮捕から,積極的自供へと 移行する過程の詳細について,何一つ検証を試みた形跡がない.直接の証拠があって 逮捕された訳ではない事件にしては,犯罪の立証が極めてずさんである.       7年間,終始一貫被告の異常な姿勢が変わらない状況があったならば,裁判所は, 『事実認定を争わない』原点に,強い疑問を抱くことが当然である.既に,判決から 時間経過する中で,マスコミも疑問を投げかけることなく沈黙した.         様々な冤罪事件では,原点である捜査段階の取り調べに強い疑問が投げかけられて 始まるのだが,一人の人命を奪う死刑判決が下される重大事件であっても裁判所は, これに疑問を持たないようだ.                          捜査段階の取り調べに疑問がもたれるのは,最高裁判所から最終判決が下されて, 刑が確定した後に,再審請求をして,運良くこれが受理されてからのことで,人間の 一生を賭けた遠い未来のことになるのが実態である.                裁判官とて,マスコミによる事前の徹底した容疑者裁き騒動に逆らっての,独自の 見地から真実を見極めた上での判決などは,とても出せないのかも知れぬ.それだけ マスコミ報道の影響は恐ろしい.                         何かの事件で,もし警察に逮捕された場合,もし一切の事実に心当たりがなければ 何がどうあろうと,決して警察の言いなりになってはいけない教訓が浮かび上がる. 『早く帰りたいなら認めろ』に引っ掛かると,そのまま死刑である.         俺様は,心待ちにしていた判決で,最大限に慎重であるべき死刑宣告と言えども, 穴だらけの安易な判断で,いたずらに時間を長引かせて,最終的には極めて形式的に 下されるものであることを知った.                        マスコミが,安易な自己主張を積極的に繰り返す限り,冤罪が発生する可能性は, 昔とは比較にならぬ位に増大する危険を感じる.個人が,マスコミによって裁かれた 場合,それこそ抗う術のない幼児になってしまう.** 悪魔 **        冒頭に戻る