四重人格が作られたものである痕跡

四重人格が作られたものである痕跡


 宮ア勤被告を多重人格と鑑定する判断が出されたときに感じたことは,その当時, 丁度,『24人のビリー・ミリガン』と題する多重人格をテーマにした書籍が書店に 並んでいた頃である.                              その時々の流行に合わせた病名を容疑者に当て嵌めて,センセーショナルに世間を 納得させんする画策が行われているような気がしたものだ.週刊文春4/24号に掲載の 四重人格を思わせる筆跡だが,これは極めて不自然な四重人格である.        何故ならば,四人の筆跡のすべてが文通相手に同じ対応をしている.然も,四人の すべてがアニメに関心を持っている.文通相手に対して,時間的な連続性を認識して 応対している.                                 俺様は当時,24人のビリー・ミリガンを読んでみたが,多重人格の場合,人格が 変われば,特定の人に対する応対も変わると判断する.四人の人格が,一人の女性と 文通したなら,四人が初めて応対した状況があっていい.              取って付けたように筆跡だけを変えるだけで,それとなく四重人格を暗示しようと 画策した未熟な痕跡が歴然としている.宮ア勤自身は,もう一人の自分の存在には, 『ありっこない』とキッパリ否定している.                    日本では馴染みのない多重人格を,強引に当て嵌めようと画策したために,こんな 初歩的な失態を露呈してしまったと俺様はみる.あの『犯行声明』や『告白文』は, 宮ア勤が書いた証拠は,本当に揃っているのか?                  判決理由の中で,冷酷な犯行の手口として,これらを宮ア勤が書いたものであると 決め付けているが,その内容について,どれだけ検証しているのだろうか? 文通の 内容から類推するに,とてもこんな面倒な手紙が書ける人間ではない.        最大の疑惑が感じられる一点は,警察を『署長』と『捜査員』の二つにごく自然に 分けて捉えている箇所である.警察内部にいる人間でなければ不可能な認識形態だと 俺様は断定する.この異常な点にどれだけの検証がなされたか?           然も,新聞報道が『犯行声明』を報じるときには,こうした記述部分が,しっかり 隠されている.マスコミは,事件について無駄な大騒ぎをするが,このような重要な 記述箇所に何一つ触れなかった.                         マスコミがいかに画一的な報道をするかの典型が,今回の一審判決を言い渡された 瞬間の宮ア勤の様子である.どの報道も一様に『全く表情を変えることなく裁判官を 見つめていた』となってしまう.                         文通相手の女性が語るところでは,『それまで無表情を装っていた彼の顔が一瞬, 動揺したように思われました(中略)判決理由を聞いていた頃は,すでに退屈そうな そぶりでした』となっていた.                          微妙に動揺した表情を捉えている.マスコミは,こうした表情を見逃したのか?  それとも最初から『無表情』と表現することに決まっていたのか? マスコミ報道は 常に異常な宮ア勤を伝える絶対の前提がある?                   この分通相手の女性が,一瞬の動揺を捉えたのは,極めて人間的な宮ア勤の一面を 的確に表現していると思える.然し,一瞬の動揺を伝えるマスコミ報道はない.常に 宮ア勤の報道は『無表情』に統一されているのか? ** 悪魔 **       冒頭に戻る