日テレ テレビ朝日のまやかし報道を斬る

日テレ テレビ朝日のまやかし報道を斬る

 暮れに来て,今年を回想する番組が散見される年の瀬である.天皇誕生日の23日, NTVでは,夕刻5時半からの『超特大生放送プラス1』で,神戸の事件が『その時 ボクの中に酒鬼薔薇が生まれた』と扱われていた.                 通常,事件を振り返る番組は,現場を中心にした当時の映像を中心に据える構成で なされるものだが,ほとんど無関係な映像と,A少年と母親の言葉をナレーションで 紹介して,生い立ちをグダグダ述べるだけだった.                 最後に,A少年の言葉として,このまま施設でひっそりと死にたい…とする言葉で 終わっていた.あたかも,この後,A少年が自殺しても不思議はないとする,事前の 暗示を視聴者に与えている印象さえ受けてしまう.                 こんなもの…何処まで信用出来るのか? 全体に稚拙な言葉の羅列で到底,核心に 迫る迫力に欠けた陳腐な内容だった.傑作なのは,このナレーションを振り返って, 専門家と称せられる輩が,分析を行なったことだ.                 そんな断片から猟奇殺人の動機に迫れるのか? 冗談はやめてくれっ! 番組では 当時のニュースが,ほんの数秒間流されただけだった.あれ程現場で執拗に中学生を 追いかけ回した取材攻勢は,全く行なわれない….                 今の現場を徹底して,映像に写し,徹底した住民へのインタビューはない.これは 当初から俺様が予想した通りである.とても今の現場に踏み込んだ取材が出来ない. 現場に頒布された冤罪冊子を無視した報道である.                 例えば,事件について報道が混乱していたと伝えられる部分が実に多かった筈だが 報道の何が間違いで何が正しかったのか? そんな自らの反省点すらない.あくまで A少年の犯行を絶対の前提に語るだけに終始した.                 マスコミに勇気があれば,頭部が置かれた正門前の血染めの現場を写し,A少年が 自宅に持ち帰ってジャブジャブ洗ったという報道内容を,同時に対比させる反省位は 行って貰わないと,俺様としては納得は出来ない.                 クリスマスイブのニュースステーションでも,酒鬼薔薇事件が回想されていたが, 久米宏は,自ら,冤罪の可能性があると発言したことは,おくびにも出さず,淡々と 的外れな視点で事件を語っているばかりだった….                 十四歳という年齢に関する,事件とは無関係な話題へと飛躍させた後,一転して, 被害者の人権問題という視点に移って,被害者の憤りの映像を写していた.要するに 加害者は保護され被害者には人権がないと訴える.                 俺様は,よく聞かれるこの被害者の人権について思うことは,被害者が,加害者の 罪が軽すぎると嘆くなら『目には目を,歯には歯を…』と,仇討ちと本懐を遂げて, 自らの気持ちをすっきりさせるべきだろうと思う.                 それが非合法的な行動であろうとも,合法的な結論に不満があるなら,問題解決は それしか方法はない.まさか賠償金を貰えば,スッキリするという訳でもなかろう. 真理として,被害者には,やられ損の法則がある.                 例えば,現在の法律では,例え,被害者が,生涯背負わなければならない障害者に なってしまっても,加害者は罪の償いとやらが済めば後は大手を振って生きられる. 然し,被害者は身体障害の現実を生涯負わされる.                 落語に『天災』という噺がある.怒りっぽく喧嘩っ早い男が『殴られたと思うから 腹も立つ.天災にあったと思えば腹も立たぬ』と諭されるという話である.いずれは 人間,皆死んで行く.早いか遅いかの違いである.                 宇宙の無限の時間を前にしては,十年の寿命も百年の寿命もさしたる違いはない. 生まれた全ての人間が,天寿を全う出来る訳ではない.人に殺されなくとも,難病に 殺され,突然の災難に殺される必然は避けられぬ.                 基本的に,人の一生は一寸先が闇なのである.何も改めて不確実性の時代だなどと 理を述べるまでもない.天災では,人は一応は諦めるが,それでも尚,誰かに責任が あるのではないかと恨みの晴らし場所を捜し回る.                 一方的な被害者は,常にこういう立場に追い込まれる必然がある.酒鬼薔薇事件が 特別なのではないのだ.むしろ,この事件は,報道の加熱が国民を異常な興奮状態に 導いて行った罪がある.反省を完璧に忘れている.                 A少年が容疑者として逮捕されてから,マスコミが,それをどう報じてきたかを, 徹底して検証して,反省すべき点,残された疑惑,捨てられた情報の意味等,自らが まき散らした混乱した情報の整理整頓をすべきだ.                 どうやら,マスコミが神戸小学生首斬り事件を回想する時には,徹底して現場から 離れて,ひたすら心の闇,十四歳の心,被害者の人権,果てはA少年への自殺勧告で お茶を濁す手法を取る.まやかし報道の極致だっ!                 マスコミは,今,自分たちが垂れ流した情報を振り返る勇気もないのだ.その中に 自分たちが犯した致命的な過ちを見据えることが怖いのである.これから大晦日まで どんな形で事件が回想されるのか,楽しみである.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る