手記『淳』から削られた内容は?

手記『淳』から削られた内容は?

 手記『淳』を書いた淳君の父親が,真相を明らかにしたいとして,加害者とされる A少年の両親を相手取って起こしていた1億円の損害賠償訴訟が,あっさり和解して 真相究明の目的が,突然,雲散霧消してしまった.                 何故,原告側は和解に応じてしまったのか? 賠償金が目的ではなかった筈だし, 本気で真実を明らかにしたいと思っていた筈である.加害者とされるA少年の両親が 全てを認めて分割での支払いに応じたと言うのだ.                 俺様は,改めて手記『淳』の内容に疑問を感じ始めている.それは,この手記が, 父親の書いた原文を忠実に反映したものなのだろうか? そんな疑問である.今一つ 真相を明らかにしたい意欲がぼやけて感じられる.                 遺族は,淳君が全く抵抗の跡もなく殺されたと警察からの報告を受けていた訳で, 大人には付いて行かない淳君なので,A少年が誘いをかけたことには納得していた. 然し,更に一歩先に起こる謎に迫れないものか…?                 文藝春秋の発売当初,遺族の心境として,それが読めなかったことは理解しても, それ以後,ずっと読まなかったのだろうか? A少年が,いかにして抵抗を受けずに 淳君を殺したのか? 検事調書に答えはあるのだ.                 抵抗の跡もなく殺されたという状況とは,全く違った壮絶な殺戮方法であった…. あるいは父親は,この矛盾と,A少年の犯行ノートが机上に置かれたまま発見された 矛盾と相俟って真相を知りたいと感じたのかも…?                 素人の原稿などは出版社側の手で,徹底して加筆・修正・削除・書き換えがあって 出版されるものではないかと推察する.まして新潮社とは言わば,冤罪説を徹底して 過激派の陰謀と一蹴した印象が根強く残っている.                 A少年が犯人ではないかも知れない可能性についての記述が仮にあったとしても, その部分は,巧妙に表現が変えられてしまうかも知れない.あるいは全部を削除して 一切を表に出さない可能性だって考えられるのだ.                 知り合いに過去に本を出版した人間がいる.仕上がった本を見て仰天したという. 書いた原稿の三分の二が削られて,実にスッキリしたものになったと….^_^;無駄な 記述も多いのだろうが,本人は強い不満を感じた.                 今,その御仁は,今度は自費出版でもいい,出来るだけ原文のまま出版するのだと 新たに執筆活動中であるという.こうした原稿の取り扱いを見聞して,手記『淳』も 削られて,抹殺された記述があるものと推察する.                 A少年の両親が,事実を全て認めて謝罪して,分割ながらも賠償金を支払うとする 対応に,報道されている以上に,より深く,被害者側の疑問が提起されていた痕跡が 感じられる.疑問を曝け出せない事情があるのか?                 ただ,被害者遺族の心には,基本的にA少年の犯行に疑いを持てるゆとりはない. まして,A少年の母親に対する悪いイメージから,家庭教育に問題があるとの視点で 見ている.少年犯罪の関する記述も多くなされる.                 自分の子供が犠牲になったことが何の教訓にもなっていないばかりか,少年犯罪を 助長する結果にすらなっている矛盾を感じてもいる.必要以上に執拗な報道の結果, 逆に,少年の心に犯罪への誘惑を誘発したようだ.                 俺様の視点に立てば,神戸小学生首斬り事件の犯人はA少年ではない.全く架空の 犯人がでっち上げられた.大人の犯行を少年だとしたことが全国の少年に信じられて A少年を超えようとする大きなうねりになった….                 だが,少年たちがどんなに頑張っても,神戸の事件を超えることは出来なかった. 俺様には,それがこの事件が少年の手による犯罪ではなかった隠れた証拠でもあると 信じている.今,必要なのは事件の再検証である.                 既に明らかになった事件の全貌を従えて,事件発生当初に遡って検証してみれば, そこに様々な矛盾が明らかになる.淳君の遺族が,訴訟を起こしたことで,あるいは その再検証の機会になることを期待したのだが….                 正門前の血染めの現場に,すっかり風呂場で洗い流した首を置いた供述の矛盾など 至るところに,検証された事実との矛盾が噴出する筈である.マスコミが先走って, 架空の事件を現実のものとして定着させて行った.                 今,マスコミは,和歌山で起きた毒入りカレー事件から,保険金連続殺人事件へと 関心を移して,連日,現実を無視して先走った報道に奔走している.然し,容疑者は せいぜい殺人未遂程度で逮捕されたに過ぎない….                 事件とは無関係な容疑者の過去を執拗に洗いざらい報道して時間をつぶしている. 殺人未遂容疑も,保険金連続殺人事件として報道しているのだ.確かに容疑は濃い. 毒入りカレー事件との関わりとも密接だと思える.                 林真須美なる女の口からは,カレーとの接点を出来るだけ遠く印象付けようとする 傾向があって,自分が関ったカレーとの接点について詳細に話そうとしない.自分が カレーの側に居た時間の詳細を語ろうと?しない.                 容疑者が積極的にマスコミに登場した事件だけに,一般の関心も高い.さながら, かつてのロス疑惑事件のような様相である.当初,匿名だった二人も,逮捕と同時に 実名呼び捨てに切り変わったのも面白いところだ.                 逮捕された容疑を離れて,事件はドラマ化されて行く.一般大衆は無邪気なもので 連日の報道を,連続ドラマのような感覚で見ている.使い古されて目新しさとてない 擦り切れ寸前の映像が繰り返し使われているのだ.                 ドラマとしても出来の悪さは他に類例を見ない.食傷気味ながらも,大衆は,結構 わくわくしながら,日々の連続三文ドラマに釘付けになっている.その中に,俺様も 含まれていることも確かで,誠に情けない限りだ.                 いかに容疑が濃厚でも,それが立証出来なければ有罪には出来ない.マスコミは, 警察に成り代わって,必死に容疑者を連続殺人犯としての印象付けに奔走している. 悪を裁くママゴト遊びをマジにやる子供のようだ.                 マスコミが悪を裁いて,世の中が善くなった試しはなく,逆に,犯罪を助長させる 効果を生み出すに過ぎない.立証されていない犯罪について,先走ってドラマ化して 現実化させる.悪は,これを目指して活性化する.                 容疑段階で,このように大騒ぎすることは,マスコミの年中行事である.かつては 神戸小学生首斬り事件もこのようであった.然し,冤罪の疑いが出てから? 殊更に 報道が縮小し,都合の悪い映像や情報が隠された.                 この執拗な取材と報道の繰り返しが真実の追究には向けられないところが,何とも 不可思議なマスコミの体質なのである.何故,今回の真実を明らかにする目的だった 訴訟が和解に終わったか? 詳細は闇の中である.                 A少年の両親が,全て事実を認めた上で…との経緯から推察するに,被害者側には あるいはA少年の犯行であることに一抹の疑念を感じていたのではないか? そこで 拒絶されるかも知れない額で訴訟に踏み切った….                 手記『淳』も,冤罪説をまともに取り上げない新潮社ではなく,インターネットの ホームページで被害者自らの生原稿で発表される形態であったら,あるいは隠された 本音の部分が明らかになった可能性も考えられた? ** 悪魔 **       ・目次に戻る