被害者遺族の手記『淳』を読んで

被害者遺族の手記『淳』を読んで

 神戸小学生首斬り事件の新たな展開として,遺族の手記『淳』が出版されている. 事件最大の当事者から,事件も最も近い所から公開される点で重大な関心を抱いた. 新しい事実が明らかになる期待をもって購入した.                 これを読んで最も強く感じたことは,ご両親が,いかに子供を深く愛していたかの 一点である.子を失った親の悲しみと,ずっと残されて付いて回る精神的な後遺症に 遠い昔の俺様の父親を思い出させるものがあった.                 俺様の弟は,五歳で病死したが,わが父親は,その死を悲しみ,何かにつけて弟の 話題を口にした.墓も買ってあったにも拘わらず,結局,30年後に自分が死ぬまで, 小さな遺骨を手元から離さなかった経緯もあった.                 いつかは亡き我が子の手記を…と考え続けていたようだ.結果的に病死だったが, それでも,子を亡くした親とは,その悲しみが,心にずっと刻まれたまま,最後まで 引きずってしまう.淳君の父親もそうなのかも….                 余談はともかく,子を失った親の嘆き悲しみの深さが,滲み出る記述が強く印象に 残った.淳君の死後,父親の見た夢の情景の中に,父親の心が,必死に癒しを求める 現実が痛いほど感じられた.二重構造の夢である.                 死んだはずのわが子を抱いている自分に,それが明らかに夢だと気づいてしまう. このまま居て欲しいと願う中で無情にも夢から覚める.然し,手の中にはまだ淳君が 抱かれている.喜んだ瞬間,唐突に夢から覚める.                 夢とは残酷なものである.然し,深い悲しみの中にも,つかの間の安らぎを得た? どうしようもない苦痛と救いようのない絶望の中で,心は必死に傷の癒しに向かう. それがつかの間,こんな夢を見させるのだろうか?                 何の意味もなく,突然,我が子を殺された衝撃は,体験者でなければ分からぬ…. そんな悲嘆の中で,マスコミが軽薄なクセに獰猛な牙を持って,情け容赦なく一家を 襲撃する.弱い者叩きを,報道の自由で押し切る.                 子を亡くした悲しみの中にも,マスコミに対する強い怒りが描かれている.僧侶に 化けて? 中に入ろうとした者もいた.事件が起こる度に,そっとして欲しいと願う 被害者を,徹底して叩く快感を味わっているのか?                 事件の真相に迫る点では,残念ながら肝心の遺族が,事件の情報からは,最も遠い 存在になってしまう現実がある.事件を冷静に捉えられるゆとりなどは生まれない. マスコミ攻勢によって,生活が完璧に破戒される.                 遺族は,マスコミに取り囲まれて,遺体を自宅に安置させる希望すら叶えられず, 死者との最後の別れすら,十分に行えなかった.ヤツラは,写真を撮影するために, 車の出入口を塞ぎ,遺族を止まらせる手段も取る.                 マンションの廊下に一晩中張り付いた記者がいたり,休みなく押される呼び鈴で, 日常生活が完璧に破戒されて,買い物にも出られず,出入りの警察に頼んだり,時に A少年の母親の協力も受け入れた状況もあった….                 事件に関する記述で,警察から直接聞いた話として,淳君は,全く抵抗の跡もなく 殺されたという一点が明らかにされている.淳君の性格は,例え顔見知りであろうと 大人には付いて行かないことも念頭にあったとか.                 連れ出したのは,年齢の低い人間を想定したという.犯行声明を見た時の印象も, 漫画世代の十代の書いたものだとの印象を受けたという.高校生の犯行の可能性すら 脳裏を過ったという.子供を知る親の感触である.                 加えて,A少年の母親の取った不審な行動が記されている.買物を届けたときに, 警察が,まだ家に居るのか? 何人いるのか? などと質問したいう.まるで捜査の 進み具合を探っていたようにも感じられたようだ.                 ただ,殺人事件の被害者の家庭…,これは,マスコミばかりではなく,近隣に同じ 立場の家庭があったら,話好きで好奇心の強い人間なら事件について聞きたくなる. 事件とは無関係に加害者の母親の評判はよくない.                 具体的な内容は忘れたが,報道が過熱していた頃,有田芳生も,噂話に加担して, 『これはもう有名な話で…』などと,事件に関係のない話で,母親をこき下ろした. 家庭に問題があるから…とする印象を与えていた.                 本の中でも,被害者宅の留守番を引き受けながら,たまごっちを二つも持ち込んで いたとか,自分の子供の自慢話しかしなかったとか,一体,どんな人間なのかと姉が 怒りをあらわにしたエピソードが紹介されている.                 非常識な印象は免れぬが,それだけ事件を重大に考えている様子は感じられない. まして自分の息子が事件に関係している可能性などは,微塵も考えていない能天気な 行動とも思える.遺体発見の前日の行動でもある.                 A少年の机の上から押収された犯行メモについて,何ヶ月も机の上に置かれていた ノートに両親が全く気がつかなかった点にも不審を抱いている.息子が逮捕されたら 痕跡があるか否か,親として部屋は調べるだろう.                 文藝春秋が検事調書を公開した時は,前日に警察から連絡があり『日刊ゲンダイと 文藝春秋に何か出るらしいから注意していて下さい』と言われて,父親は文藝春秋を 購入したが,とても中身は読めなかったという….                 自分の子供が殺される状況を冷静に読める状況ではなかったとは思う.残念なのは 全く抵抗の跡がなく殺されたと警察に教えられたのに,調書では,淳君は,正反対に 激しく争って,散々苦労して殺された経緯がある.                 巧みに連れ出されたのではなく,有無を言わせず,一気に殺された可能性もあり, むしろ抵抗なく殺せるのは屈強な大人とも考えられる.中学生が連れ出した小学生を 抵抗なく殺すには,どんな方法があるのだろうか?                 連続通り魔事件のように,不意を突いてハンマーで殴るとか? A少年が真犯人と 考えても,丈夫な男の子を素手で,弱い女の子をハンマーでという,一貫性のなさが 何とも不自然で,こうした点もやはり疑問が残る.                 遺族の印象では,当初の感触から,警察が発表したA少年逮捕というニュースに, 信じられぬ思いの中に,当初の印象に合致する点で,さほど深い疑惑も抱かぬうちに 犯人として容認する意識が定着して行ったようだ.                 何故,A少年の両親は,真っ先に謝罪に来ないのか,強い不審の念を抱いている. ずっと後になって来た手紙の内容は,公開された通り魔事件の被害者宛の謝罪文と, 全く同じで誠意のない文面に怒りを感じたという.                 ただ,客観的に冤罪の可能性を考える視点に立つと,自分の子供がやったのだとの 確信が持てない限り,積極的な謝罪に向かう気持ちには,ためらいが生じるかも…. 家裁やマスコミの結論に必ずしも親は同調しない.                 別の報道で,この被害者の遺族は,加害者の両親を相手取って1億円の損害賠償を 求める訴訟を起こすことが伝えられていた.被害者の遺族は,審判のいかなる経過も 無縁の存在で,何一つ知らされない不満が残る….                 事件当初,行方不明になった後,公開捜査になった段階で,淳君の紹介が,事実と 違った報道がされてしまったと言う.知的障害が極端に強調されて,自分の名前を, 言える程度…と伝えるなど事実との乖離が著しい.                 このような無責任なマスコミ報道を体験してしまえば,その後の事件報道の内容を どこまで事実として受け入れられるか? やはり,関係当局から,当事者にきちんと 文書なり,口頭での説明を受けられる必要もある.                 民事裁判で,損害賠償を求めることで,全ての事実を,遺族自身が直接知る意味で 裁判の意義は大きい.改めて事件の詳細が再検証された結果,この状況をみる限り, A少年の犯行とは思えず,よって賠償責任なし…?                 仮に,こんな判決が出されてしまったら,事態はどうなってしまうのか? 俺様は そんな結果を漠然と期待してしまう.少なくとも,本当に少年一人で,あんな凶行が 実行出来たのか否か,冷静に検証する場が必要だ. ** 悪魔 **       ・目次に戻る