事件に拘る俺様の執念を明かす

事件に拘る俺様の執念を明かす

 問題の写真週刊誌を見ていないが,神戸小学生首斬り事件の舞台となった中学校の 校長先生がストリップを見ていたとかマスコミで騒がれていた.間もなく定年退職の 身の上とも伝えられた.誠に間の悪いことである.                 ここでふと思ったのてある.A少年の席を残すことなく卒業させることで,学校も 自らの重荷を降ろしてしまった.後はもう,彼がどうなろうと,事件がどうあろうと 知ったことではない.校長サンも裸踊りにご満悦.                 こういう報道に接して,改めて顧みれば,俺様自身,事件とは何も関係がない身で 何を一人,思い込み深く事件への疑惑を書き続けるのか? そんな疑問に立ち返る. 実は,事件への関心は45年前に起きた事件に遡る.                 当時,警察官をしていた俺様の父親は,大火事件に遭遇した.その火災で,俺様も 焼け出された被災者の一人でもある.極めて明白な事実から,父親は,その大火が, 自分の部下である警察官の放火だと徹底主張した.                 然し,事件は失火であるとの結論で一件落着.自説である放火説に拘り続けた父は それが原因で警察を退職させれられた.以後,父は,死ぬまで,この事件への拘りを 自ら発行する新聞で訴え続ける執念を見せたのだ.                 然し,俺様がその事件に関心を持ったのは,父が死んだ後のことだった.無念にも 父が生きている間は,その事件に何一つ関心を持つこともなかった.家が火災に遭い 父は当直の身でありながら,自宅に帰ってきた….                 そのことが内部のひんしゅくを買って,父は最終的に退職させられた….そういう 漠然とした印象があったこともあり,また,父親にあまり良い印象のなかった俺様は その事件に深い関心を寄せることもなかったのだ.                 然し,父の死後,遺品の整理をする過程で,事件に関する詳細な原稿を発見して, 俺様は愕然とした.父の主張は正しかったかも知れない.俺様は,当時の新聞記事を 合わせ読む中で,次第にそう感じるようになった.                 然も,当時の新聞記事から,信じられない記事が見つかって,俺様は仰天した…. 父は,自らの記述の中で,家に戻って家族の無事を確認して,火元の家族を探すなど 現場周辺にいて一度も署に戻らなかったという….                 だが,父の行動は,佳話として「自宅の子供の無事を確認するや署にとって返して 職員の召集やら連絡に奔走して,署員の感激を買った」と,嘘の美談仕立ての記事が 掲載されていた.責められるべきが何故,美談に?                 この大火事件は,死者九人を出した事件にも関わらず,事件の続報を伝える夕刊で 「放火の疑いなし」との見解が発表された.完全焼失で,証拠もほとんどないとする 大火にも拘らず….然も事件には,続きがあった.                 この火災では行方不明者が一人いた.この行方が分からぬ中,確証もない状況では この行方不明者が放火して逃げたかも知れないとも疑える.翌年に,父の主張からか 県警が事件を再調査するとの記事が新聞に載った.                 この翌日,火元の旅館に行方不明者からのハガキが届いた.然し,家族の話では, まるで当人の筆跡とは違うものであった.あたかも,行方不明者が生きているように 工作した疑いが持たれる.彼に放火の動機もない.                 然し,このはがきについて,警察署長は,このはがきを,父がいたずらで出したと 発表した.父は,容疑者を部下の警官だと名指しで放火説を唱えた.行方不明者への 疑いはなかった.では,出す必要のあった者は…?                 ただ,当時の報道は冷静で,その署長の発表に対しては「背後に複雑な事情」との 見出しで,署長の話を鵜呑みにした発表はしなかった.結局,この事件は迷宮入り? 行方不明者は死体の数え間違いで処理されたのだ.                 いかに捜査がずさんだとしても死体の数え間違いとは信じられぬ.人の骨が溶けて 消えるには,溶鉱炉の中に匹敵する高熱が必要だと偶然の機会に知った.木造家屋の 火災で,死体の数が分からなくなるものかどうか?                 つまり,明らかに行方不明者は存在したのであり,現場に死体ともなっていない. それでも発見されない理由は,犯人に仕立てられるべく殺されて何処かに運ばれた? 父はここまで考えていなかったが結論はそうなる.                 早々と焼け跡に自分の仮住まいを建てようとした住民に『ここには道路が通るから 家を建てては駄目だ』と,役所の人間に注意されたと言う報道もある.一体,これが 本当に偶発的な火災で有り得るのか極めて疑問だ.                 大火事件のずっと後,駅から海岸に至る直線道路建設計画が話題になった.然し, 焼失面積が少なかったから計画が頓挫した? そう言いたいような内容記事の論調も 疑惑を深める.父が考えもしなかった謎でもある.                 大まかに話せば,俺様が宮崎勤事件,神戸小学生首斬り事件の二つに,強い関心を 抱く背景には,この『大火事件』がある.この事件の経過が,事件の報道を見聞する 尺度になった.二つの事件には,同じ疑惑がある.                 俺様は,直接,何の関係もない二つの事件への疑惑を書きながら,45年前の事件を 見据えているのである.いずれこの二つの事件の真相が明らかにされた後,俺様は, 改めて,かの大火事件についての詳細を書きたい.                 故に,俺様が事件への関心を持つパワーには筋金が入っておる.いずれ書くことに 飽きて放り出すだろうなどと考えるのは大きな間違いである.マスコミが造り上げた 冤罪の可能性には,手を緩めず徹底追及つもりだ.                 やがて来る,神戸小学生首斬り事件からの一周年に,マスコミはどんな報道形態で 対処するつもりなのか? しっかりと見極めてやるつもりである.自分たちの映した 映像・書いた記事と検事調書の比較位はやれよな?                 父は,退職後,事実上,三十年間,無駄な訴えを続け,たった一人の息子にすら, 顧みられることもなく病死した.俺様の背後には,壮烈な父の怨念が控えておるっ! 現代の事件は,その呪いに賭けても疑惑を晴らす.                 マスコミのまやかし報道が,いかに強力であろうとも,俺様には,親子二代に亘る 怨念が控えておる.滅多なことで成仏するような代物ではない.『この恨み晴らさで おかりょうかぁ…』と言う訳だ.執念深いぞう….                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る