マスコミよ.既報内容と検事調書を比較したらどうだ?

マスコミよ.既報内容と検事調書を比較せよ

 俺様には,全く体験のないことだが,ものを書いてそれを金に変えるには,原稿を 持って出版社回りというパターンがあるようだ.自分自身には,公開と販売の手段を 持たない作家は,出版社だけが唯一の頼りである.                 前回の話題ではないが,久田恵という作家が,事件の冤罪性を文芸春秋編集部へと ぶつけた.徹底してA少年叩きを信条とする相手である.間違っても『その可能性が ある』との答えが返ってくる筈のない相手なのだ.                 検事調書の公開に先立ち,文藝春秋の編集長は,昔からの親しい関係にある作家の 立花隆に相談を持ちかけたという.そして,受けるであろう批判を先取りして反論を 作家が書いたが,掲載には反対する作家ではない.                 多分,作家の中では,立花隆は,他の連中から一目置かれる存在なのだろう.彼が 主張することに正面から逆らう者はいない? 文藝春秋から金を貰う必要のある者に 二人の緊密さから生まれる主張には割り込めない.                 立花隆が『懲役13年』をベタ褒めしながら,事件現場の詳細を知る筈の検事が, それを前提に少年を尋問しながら書いた調書内容に,何一つ疑いを抱いてはいない. それは,事件を考える上で絶対不可侵条件なのだ.                 作家ドモは,書くことが商売とは言いながら,神戸小学生首斬り事件については, 我々以上に,テレビ報道に釘付けになっただろう.何度も執拗に放映された正門前の 血染めの映像を記憶するなら,疑問が沸き上がる.                 風呂場で,すっかり血を洗い流された首から,大量の血痕が出るものか? 然も, 切断から二日経過した首である.検事調書は,さながらテレビで放映される時代劇の 主役のように,一滴の血もA少年には付着しない.                 それこそ『手を洗うところはありませんか』と聞きたくなる状況なのに,A少年が 犯行後,手を洗う場面が全く出て来ない.検事調書は,どこかで筋書きを間違えたと 思われる.殺人犯人が手を洗わないとは考え難い.                 多分,殺人犯人の習性として,どこかで手を洗う習慣があって,筋書の何処かに, その場面を挿入しようと考えたが,状況が悪くて都合よく洗えるような適当な場所が なかった.『誘い出しのセリフに使っちまうか…』                 検事調書の内容は,現実に殺人事件を犯した犯人の供述ではなく,テレビドラマで 殺人事件を見た印象を聞き取って調書にしたようなものである.血も飛ばなければ, 臭いも全くない.ご清潔な首斬り猟奇犯罪である.                 実際,首の切断に使われた凶器も,捜査員の口から『鋭利な刃器』と発表された. これが捜査関係者お墨付きの調書ではノコギリに変わってしまっている.ノコギリが 鋭利な刃器とは思えぬ.この食い違いも謎である.                 犯人逮捕前の正式な警察発表の内容と,検事調書の内容の食い違いは重大である. 立花隆は,犯人逮捕前の情報をガセネタとしたが,まさか警察発表までも意味のない ガセネタにして,胡散臭い検事調書が最終発表か?                 何故か,マスコミのバカ者どもは,自分たちが散々報道した内容と,検事調書とを 見比べてみようともしない.それを比較したら,あんな検事調書なんて矛盾だらけで 事件そのものを根本から見直す必要に迫られよう.                 報道の中に矛盾があると,今までは混乱した状況の中で,情報が錯綜した所為だと 言い訳がなされて,そんなものを何時までも信じているのは,愚かであるかのような 言い方がなされた.それならば,今がチャンスだ.                 当局が集めた証拠を背景にして,それと何ら矛盾のない検事調書があるのだ.一体 報道のどこが間違っていたのか? 今こそマスコミは,その詳細な検証をすべきだ. 何故,些末的な少年犯罪を隠れ蓑に隠蔽するのか?                 本日も,拳銃強奪未遂事件のその後を執拗に放映して,暗黙の内に,A少年の影を ちらつかせる.こういう少年院放送を何時まで繰り返せば気が済むのだ? 徹底して 神戸小学生首斬り事件が蒸し返されぬようにする?                 本来,物書きは,その自由な視点から,あらゆる可能性を考慮して事件を見据える 感覚を持っていなければならない存在である.然し,コヤツらも,出版社との癒着に 侵されて,言いなりに記事を書く商人と化したか?                 出版社に日参して,原稿を掲載して貰うことに執念を燃やす中で,次第に,売れる 内容は何かを嗅ぎつける狡猾な商人に成り下がる.マスコミのお先棒を担いでいれば 作家先生と祭り上げてくれるし,テレビにも映る.                 もっとも,その数は,ほんのひと握りだ.後は二束三文の使い捨て乞食ライターで その日の生活の糧にも事欠くのか? 貧しさを覚悟するなら,原稿を売ることを捨て 自分が本当に思うところを,素直に書く道を選べ.                 逆に言えば,マスコミに丸抱えにされて,連載を書ける栄誉を受けた者には,その 自由な精神など期待できない.彼らは,その出版社の番犬に過ぎない.マスコミも, やがては崩壊する.抜け出すには早い方がいい….                 インターネットでの自己主張などは,所詮,乞食坊主の辻説法みたいなものだが, 大手マスコミの要請に応えて,自分の視点を失う御用商人になるよりは増しだろう. 後世に開く存在は,決して今の時代に花は開かぬ.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る