『文藝春秋編集部』沈鬱ムードとはコレいかに?

『文藝春秋編集部』沈鬱ムードとはコレいかに?

『神戸「少年」供述書をマスコミにばら撒いた「犯人」』週刊新潮3/12号に,こんな タイトルの記事が掲載されている.この記事が指している犯人とは一体誰なのか?  どうやらその犯人は,核マル派だと主張している.                 公安関係者の言葉として,彼らの手に掛かると,この手の資料を入手することは, 造作もないことであると言う.そう言う現実が本当であるなら,当然,当局は,その 機密の防衛対策に万全を果たしていたに違いない.                 何しろ,事件が冤罪であるとの主張が核マル派から出されていたことは承知であり 当然狙われる可能性は予測出来よう.それでも何処からか漏れてしまった.要するに 当局が自らの無為無策無能ぶりを認めたに等しい.                 では核マル派は,何故,折角入手した調書を自らの機関誌に掲載しなかったのか? マスコミ各社に送りつけ,彼らが掲載してくれることを待ち続けたと言いたいのか? 要するに,文藝春秋は,愚かにも嵌められたのか?                 然し,もし調書が正しくA少年の供述に基づいたもので,その裏付けを取った上で 書かれた正当な内容であるならば,その真実に,いささかの揺らぎもない筈である. 検事調書が彼らの主張を裏づけたなら問題である.                 記事の最後には,文藝春秋の編集部が,意気消沈している雰囲気が書かれている. 要するに,冤罪説に説得力があって,これを正面から論破する根拠が見つからない. だからこそ沈鬱なムードになったことは明らかだ.                   週刊新潮とて「会心の笑みを浮かべているのは核マルだけだった」などと,呑気に 冷やかしている場合ではなかろう.ましてや,公安関係者,バカ評論家共の言葉で, 主張を代弁させて責任逃れしている場合ではない.                 過激派であろうと,弁護側であろうと,検事調書が反論に遭遇して,意気消沈なら 裁判は弁護側の勝ちである.今,マスコミは,自らの本来の使命を忠実に見据えて, 己の愚行に対し厳しく自己反省をすべき秋である.                 今こそは勇気を持って事件の原点に立ち,事件の真相を改めて見直すべき,最期の チャンスである.保身のために,A少年を抹殺する愚を犯すべきではない.どうして 事件ヘの疑惑に正面から向き合う勇気がないのだ.                 このまま,事件を見直すこともせず,真実を闇に葬り去るつもりなら,間違いなく マスコミは崩壊への道を辿る.今,揺るぎない筈だった様々な権威が崩壊している. 次は,嘘で大衆を欺き続けたお前たちの番である.                                        ** 悪魔 **       ・目次に戻る