驚きももの木前世紀?

驚きももの木前世紀?

 昨日,テレビ番組の『驚きももの木20世紀』では,松本サリン事件で,マスコミと 警察から徹底して犯人扱いで報道された河野義行さんの闘いを放映していた.然し, マスコミが根本的に反省している姿勢はなかった.                 一人の新聞記者が河野さんを犯人に間違いないと思い込んでいた点を懺悔させて, マスコミの謝罪にすり替えている程度の底の浅い内容だった.もしこの番組から何か 得るものがあったら,それは,マスコミの怖さだ.                 マスコミが,二度と再び冤罪に加担するような間違いを犯さないとする,不退転の 決意など微塵もなかった.逆に,番組の最後に,いつ同じことが自分の身に起こるか 分からないと,マスコミの怖さを誇示する始末だ.                 自由な立場で意見が言える人間は無数にいる.然し,マスコミの作った台本通りに 意見を言わないと,多分,出演など出来ないのだろう.例えばテレビで『A少年は, 冤罪の犠牲者かも知れない』とは絶対に言えない.                 番組に出ている小物の操り人形が,上の顔色を伺いながら,小手先の再発防止策を 語ったところで,無意味な寝言に過ぎない.責任ある者がマスコミに対立する意見を 同じ比率で伝えると約束して実行する訳でもない.                 マスコミの役割は,全てが同じ論調で,国民を一つの意見に縛りつけて,いつでも 一つの方向へと導けるように,日頃から習慣づけることであろう.自由に意見を言う 権利の行使は,少なくとも金儲けには繋がらない.                 規定を逸脱しないように…との制約の中で,金を出す者の逆鱗に触れない範囲で, 要請に応える売文作業が現実的な『もの書き』の姿である.プロの『もの書き』とは 製品の欠陥を隠して書くいわゆる商人に過ぎない.                 松本サリン事件の騒ぎをマスコミで見聞した俺様は,あの宮崎勤事件の二の舞かと 戦慄を覚えた.無論,既に宮崎勤事件は,世間では彼が犯人で決着している.然し, 俺様の中では,未だ真犯人だとの確信は持てない.                 冷静にして公正な視点から,ものを見ることが出来る人々が報道関係者だと,昔は 信じていた.『事件記者』などと言うテレビドラマがもて囃された,遠い昔の子供の 時代である.今や予断と偏見が取材のアイテムだ.                 容疑者となってマスコミの前に立つことは,彼らが,決して拭い去ろうとはしない 偏見のフィルターを通して,それが一般に伝わることを意味する.河野さんを犯人と 断定した視点は,嘘を一面トップの見出しにした.                 未だ最終判決の出ていない宮崎勤事件,処分が確定した神戸小学生首斬り事件で, 彼らを犯人だと断定した報道の中に,同じ予断と偏見から,とんでもない嘘が,未だ 修正もされないまま一般に信じられてはいないか?                 然し,文藝春秋を擁護した立花隆は,犯人逮捕前の情報の全てを,ガセネタとして 切り捨てて,お祭り騒ぎのA少年裁き報道については批判をしない.犯人逮捕前に, 予断と偏見が持ち込まれる要素などなかった筈だ.                 全く唐突に持ち込まれた容疑者A少年の存在は,一夜にしてそれまでの取材結果が 完璧に切り捨てられて,翌朝には揺るぎない真犯人として確定してしまった.以後, 様々な目撃情報と犯人像が完全に消えてしまった.                 本当に松本サリン事件を反省するなら,この一夜にして変貌した結果,突然現れて 確定したA少年犯人説に,厳しい検証が加えられてしかるべきである.ここで調書が 一般に公開された以上,今,徹底検証をすべきだ.                 他の報道で,今回の調書の公開が十年・二十年後に真実を明らかにするきっかけに なるかも知れないなどと,悠長なことを言った者もおるが,今,出来ることを,何故 未来に先送りする必要があろう.今が大事なのだ.** 悪魔 **        ・目次に戻る