穴だらけ疑問だらけの調書内容

穴だらけ疑問だらけの調書内容

 その後,テレビでは断片的に文芸春秋の問題を取り上げられていたのだが,結局, 本当の事件の見直しには繋がらず,内容の如何に拘らず,結果的に,騒がれることで A少年の犯行を既成事実化する効果をもたらした.                 俺様の視点では,掲載された調書の内容は,現実に行われた犯罪を実行者の視点で 語っているとは感じられないのである.それだけの現実感がない.A少年の行動に, 犯罪の経過を無理矢理当てはめている印象が強い.                 A少年は,淳君を殺したのは,初めての殺人ではない筈だが,殺そうと思い立った 経過から,初めて殺人を考えたかのような経過が伺える.後に『確かに僕は…』と, 少女殺しを付け足すが,何故か作文的表現である.                 少女を襲った事件は,言わば,彼自身が言うところの「人間としての一線を超えた 重大な瞬間」であった筈だが,そこにさしたる感慨もなく,改めて,新規まき直しで 人を殺しに掛かる.そしてその満足感を味わった.                 人間の壊れやすさを実験する過程で,当然,相手の死を想定したと思える.然し, そこに殺人への思い入れが全くなかった.複数の少女に凶器を使いながら,一人しか 殺せなかったのに,男子を素手で殺そうと考えた?                 最終的には,靴ひもを解いて,それを使って首を絞めたと供述したというが,その 紐がなくなったガバガバの靴のまま,万引きに出向いたとされるが,これは相当に, 異様な光景で,目立つ点で万引きには不向きでは?                 胴体が発見された場所から,血痕が検出されなかったという報道を裏書するように A少年は,首を斬りに出かける際にビニール袋を持参した.現場で敷いて切断した. 然し,斬った後,地面に首を置いて鑑賞したのだ.                 この辺りの表現に,ビニール袋の存在が消失している.下手に小説を書くときに, よくこのような失敗をする.この時,A少年は,手袋をしていたと言うが,血染めに なったと思われるその手袋はどうしたのだろうか?                 首斬りの現場で,目や耳を傷つけたとされるのだが,その手袋には,一滴の血痕も 付着しなかったのか? ノコギリやカギは処分したが,手袋は処分しなかったようで 何故か唐突に押収されていることが記されている.                 A少年も,その手袋を絞め殺すとき,首を斬るときに使用したことに間違いないと 供述しているとされる.手袋から血痕が採取されたという報道もなかった.A少年は 実に巧みに,奇跡的な技で首を斬り落としたのか?                 別段,胴体がビニールに覆われていた訳ではないようだし,血液が全然こぼれず, 然も,A少年にも全く血痕が付着した様子もない.全くのきれいごとのままで,血を 飲む話へと移行してしまう.事実は小説よりも…?                 切断に使ったノコギリは,補助カバンに入れて,折り畳んで腹の中に入れて,首と 血の入ったビニール袋を持って,歩いて町の中を歩いたという.途中で補助カバンの 中にビニール袋を入れて持ち歩いたと記述がある.                 この状態で,機動隊員と遭遇して,職務質問に遭っているという.それでも何一つ 不審を抱かれずに,無事に通過している.人の気配に,回り道をしたために自転車を 置いたまま,現場を離れる不安にも言及がない….                 首を隠し,ノコギリを捨てた後,自転車を取りに戻って…と,淡々と記述が続く. ノコギリを捨てた時期の供述も曖昧である.そんなものかと思えば,納得することも 出来るだろうが,どうも今一つ現実感がないのだ.                 犯罪者の考えることは,先ず第一に警察に捕まらないことだろうと想像出来るが, 少年は,殺した状態で放置すれば,疑われる危険が少ないのに,何度となく,遺体に 接近を繰り返し,最終的には自宅に持ち帰った….                 淳君の行方不明が明らかになり,捜索が開始されている中,タンク山に向かって, 施設の中に入り,中に隠した遺体を引き出して首を斬る行動に出ている.地面に置き 鑑賞するゆとりこそあれ,発見される不安がない.                 死体に執着した点では,宮崎勤事件と全く同じである.そのように説明しなければ 辻褄が合わないので,そんな設定をするしかなかったのか? 俺様は,二つの事件を 冤罪の視点で見るが,共通する作為が感じられる.                 殺人を犯した後で,事前の友人と会う約束を果たしているなどは,正気の沙汰とは 思えないのである.然も,ちゃんと友人と遊んだ後,家に帰っている様子が伺える. 言わば,崇高な殺人の後で世俗の雑事に関わった.                 殺人,死体損壊という異常な事件である.普通の常識で判断出来ない部分もある. 然し,記述されているような少年の行動が,本当に取り得る行動なのか? 現実的な 実行が可能なのか? 現場百回に立ち返るべきだ.                 何故か事件の報道には,現場に取材する内容がなく,当局から漏れる情報ばかりが 強調される.本来,絶対に手に入らぬ情報を追いかけて,いつでも検証可能な現場に 全く取材を行おうとしない.誠に複雑怪奇である.                 マスコミの報道では,この文藝春秋の記事を生々しい犯行時の描写があるとする. 然し,空々しい三文小説的描写にしか思えない俺様である.犯行がバレないようにと 考えながら,見えやすい場所で死体の首を斬る….                 カバンに入れて衆人監視の中を平気で持ち運ぶ.或いは,隠した首をビニール袋に 入れた状態で,自転車の前カゴに入れて自宅に持ち帰った….誰かいるかも知れない 家に,そのビニールに入れた状態で運び入れる….                 幸い,誰も居なかったというが,親に,それが何であるかと問い詰められる危険を 考えたら,到底家に持ち帰るなどは出来ないと想像出来る.それは,異常なA少年の 狂気とするより『本職』の作文の方が納得出来る.                 然しながら,マスコミの報道は,掲載された調書の内容を検証する方向には一向に 向かわず,ただ『掲載は是か否か』の短い問題提起で終わってしまう.内容自体には 深く関わりを持ちたくないような雰囲気を感じる.                 まともにこの調書を読んだら,本当にA少年がこのような行動を取ったのか疑問に 思えて来るのが自然である.然し,その基本的な疑問は,抱くこと自体がタブーで, 誰一人それに触れようとしない印象が漂ってくる.                 世の中に,いや,この日本にどれだけの作家が居るのか知らないが,誰一人,この 調書の内容に深く言及する者が現れないのは,誠に奇妙なことである.このA少年は 間違いなく真犯人とする大前提を崩そうとしない.                 マスコミは,あらゆる疑問点を報道することはなく,常に国民を一つの固定観念で 納得させて,そこから逸脱することのないように,巧みにコントロールする情報を, 定期的に流す.文藝春秋の記事もその一つである.** 悪魔 **        ・目次に戻る