マスコミもガキと同じレベル

マスコミもガキと同じレベル

 誠に,現代のテレビ局は,ワルガキいじめがお好きである.絶対的にマスコミは, 教育者ではなく,単純な野次馬に過ぎない.火事場に駆けつけてワイワイ騒ぐだけで 何一つ事態を改善したり,解決に動く訳ではない.                 喫茶店で垂れ流されているテレビからも,教室の中の瑣末的な出来事がニュースで 流される.先生がカッターナイフを生徒の首に押し当てたとか,生徒が先生に向けて エアーガンを発射したとか….やはり学校放送だ.                 道端で引っ繰り返って『買ってくれぇ〜っ!』と泣き叫ぶ駄々っ子がいたとして, それをテレビがニュースとして扱うようなものである.ただ,その駄々っ子の体が, 大人のように大きいだけの話だ.所詮ガキである.                 そのように育てられた環境があるから仕方がない.上下関係のけじめについてさえ 何一つ教えられて来なかった.学校の現場でも,そんなことは教えもしない.逆に, 大人と子供の距離感さえなく,同一レベルにある.                 幾ら突っ張って,ガキが人を殺したところで,テレビ局がそういう駄々っ子の姿を 全く伝えないことが必要なのだ.何をしようと,社会には何の影響も与えないことを 諭す必要がある.学校も家庭もヤクザを見習えっ!                 学校や家庭で持て余すワルガキが,ヤクザの組員になったらどうなるか? 先ず, 絶対の基本が上下関係をシッカリ叩き込まれる.目上への挨拶は必須の条件,破れば 半殺しの目に遭う.年中,ペコペコしているだけ.                 ワルガキがエアーガン撃ったからとて,いちいち警察に垂れ込むんじゃねぇっ!  テメェらも教育者なら教室を死に場所と心得て,命懸けで教育に携わるのが本筋だ. このくだらねぇニュースを読むバカも最悪である.                 国家も一つや二つの事件でナイフ所持の規制まで始まる愚かさだ.悪い物は何か? ガキを教育出来ねぇ大人なのである.駄々っ子をそのまま野放しにして,ナイフさえ 持たせなければいい…,と真剣に考えて行動する.                 教育がシッカリ出来れば,拳銃持たせたところで悪さなどせぬものだ.上下関係の 厳しさがない世界をそのままにして何の問題解決になるのか? 報道される事件など 昔から何処にでもあった.報道されぬだけだった.                 テメェのガキ一人,満足に教育出来ねぇ軟弱な大人が多い社会である.マスコミの 報道は,そういう大人がガキどもに恐怖を抱いて益々萎縮するマイナス効果を生む. ワルなガキは同世代が殺人を犯したと嵩に掛かる.                 報道が,ワルなガキ共に優越感を与えて悪への行動意欲を促進しているのである. 名もない教室で起きた些細な事件がテレビに乗る.先生をやつけるにはエアーガンも 効果的だと,全国のワルなガキに知恵を付ける….                 然し,同じことをしても目立たぬ.それを超えるには,行動も必然的に拡大する. 相互に連絡の取りようもない全国のワルに,テレビが彼らのネットワーク役を務めて 情報提供している.何をしているかの自覚もない.                 いずれガキが拳銃で教師を撃つ.俺様は,以前からそういう予感がある.無教育な 猿と同じガキ共には,分別などあろう筈もない.しっかり上下のけじめを付けられぬ 者は猿以下である.そういうガキを社会が生んだ.                 宮崎勤事件といい,神戸小学生首斬り事件といい,確固たる証拠もない段階から, マスコミは容疑者を真犯人と断定して大騒ぎした.自らの報道の矛盾すら顧みない. 基本的に,野次馬とはそんなもので無責任である.                 ここに来て,この二つの事件については,俺様の他にも,事件を冤罪かも知れぬと 考えて具体的に調べに掛かっている存在が,それぞれの出版物から明らかになった. テレビ報道には,冤罪だとする視点は持ち得ない.                 テレビ報道では,二つの事件には,何の謎もなく犯人が確定している.不思議にも 『宮崎勤事件 夢の中』では,新聞や週刊誌など,印刷物からの引用は多数あるが, テレビ報道からの引用がない.神戸事件も同じだ.                 世間に圧倒的な影響を与えるテレビ報道は,事件の真相を考えるとき,全く相手に されていない….印刷物は情報伝達の手段であると同時に,記録媒体であり,保存も 簡単である.テレビは積極的に録画せねばならぬ.                 もしテレビ映像を自由に録画して,引用出来るものなら,真剣に録画を考えたい. 然し,勝手に引用してホームページに使えば『著作権もわきまえぬインターネットの 無法,これだから素人は駄目なんだ』と叩かれる.                 前後の脈絡も考えず,容疑に矛盾があろうと,お構いなしに突っ走るテレビ報道は これを叩くだけ無駄なメディアであると,最初から相手にされていないメディアか? あくまでも関係者に直接会うしか真相は判らぬ….                 例外的な事件を日常的に扱うテレビ報道は,一般の日常的な生活との間に,大きな 大きなギャップを生み出す.大多数が何の問題もなく平穏に暮らしている筈なのだ. テレビ漬けになると全ての子供が凶悪に見える….                 テレビは,強烈な有毒情報を流している側面を確実に持っている.それを自覚して 接するのは,視聴者の責任である.見ようと努力せずとも,至るところで垂れ流しの 無責任情報を,無意識にも受ける現代社会である.                 俺様のようにアレルギー反応を示す体質ならば『フンッ! また学校放送か…』と 蹴飛ばすのだが,一般人は,その度に『今のガキ共は…』と,その情報を受け取る. テレビ漬けが日常的な人間には,拒絶反応がない.                 もし宮崎勤事件,神戸小学生首斬り事件が冤罪だとしたら,特にテレビ報道の罪は 重大だが,それだけに彼らの結束は固くなる.冤罪の『え』の字も報道しない姿勢に 徹する決死の覚悟で,戦々恐々としているだろう.                 ミスを認めたくない官憲と,マスコミが結託すれば,小さな市民団体の活動など, 無きにも等しくなる.マスコミが冤罪の視点から取り上げるとしたら,今の関係者が 世代交代して,昔の報道の責任にされる時だろう.** 悪魔 **        ・目次に戻る