日本は自国の理念を失った

日本は自国の理念を失った

 何事においても,俺様が接する情報は断片的なもので,積極的に求めて得るものは 極めて少ない.見逃している可能性もある.然し,ゲリラの人質となっていた人から ゲリラに対するコメントが全く聞かれない.                    インタビューする側も,何故か聞こうともしない.例えば,事前にゲリラに対して 哀悼の意を表する発言が禁止されていた可能性を疑ってしまう.一部で捕らえられた ゲリラが処刑された報道もなされはしたが….                   フジモリは,これに対して『現場は混乱した戦場であったから云々』とごまかして 一件落着である.戦場ならばこそ捕虜の扱いは慎重でなければならぬ.日本政府は, 太平洋戦争時代の混乱を未だ卑屈に詫びていやがる.                日本という国は,例えば,交通弱者優先の社会で,例えば,飛び出しであろうが, 信号無視であろうが,歩行者が死ねば車の運転手は逮捕されてしまう.事ほど左様に 日本には人命を尊重する体質がある.                       そこには『ゲリラとて神の子』とした,かの大司教の考えと相通ずる思想がある. 無論,そこまでの深い理念を堅持している日本ではない.単純に,形だけが残された 習慣なので応用が利かない.                           ゲリラが行った公邸侵入までの経緯には,赤穂浪士による討ち入りを連想させた. 俺様は,怒りよりも感心する方が先だった.そこに『テロ』という印象はなかった. 犠牲者を出しての侵入でもなかった.                       その意味では,ゲリラこそが日本的であった.奇襲作戦は弱者の取る手段である. かつての日本軍が,圧倒的勢力を有する連合国に対して多用した得意の戦術だった. それだけにゲリラ全員死亡は無念である.                     ゲリラ全員射殺という結末に対して,日本政府が,そこに何ら疑念も持つことなく 最大限の賛辞を贈った現実は,日本独自の立場を忘れ,欧米流,肉食動物的残虐さを 容認したことを意味する.                            投降の意思を示したゲリラ側十代の少女まで射殺したペルー政府軍だが,力だけの 制圧で,何処までその政権が維持できるのか? 日本では『罪を憎んで人を憎まず』 こんな言葉が好んで使われた.今は昔の話である.                 その背後には,心を入れ替えることで,人はこの世で生まれ変わることが出来ると 確信した,更生を主体にした裁きの精神があった.然し,もはや弱い立場にある者の 反逆も同情されることもなくなった.教育自体が荒廃している.           日本のプロ野球で,圧倒的人気を保つ巨人だが,ここも選手を育てることも出来ず 金に飽かして他から選手を集める.他で育った選手に,フォームを変えようと愚かな 教育に走る.現代日本の象徴的な姿かも知れぬ.                  日本の人命に関する理念も,それを的確に反映させることも主張することもなく, 日本人の人質が無事だった結末だけを無条件に支持してしまう.あれは本当の意味で 救出だったのかどうか?                             金に飽かして強い主力選手を集めて優勝したとて,もはや,栄光の巨人軍とは遠い 存在になってしまったと感じる俺様だが,それでも日本人の大半が,こんなチームを ひいきにする.崩壊は伝統を失うところから始まる.** 悪魔 **       ・表紙に戻る