平成維新の幻想

 審査員の言葉は,何を意味しているのか?
それは彼の歌い方に対する評価ではなくて,
歌詞に対する苦情にも等しかった.やはり,
最初から,合格にはさせない意図があったと
考えるしかない.

 後味の悪い印象を残したカラオケの録画を
見終わった後,テレビ画面に切り換えると,
元従軍慰安婦だったと称する人間が,賠償を
求める騒ぎを映し出していた.やれやれ…,
またか….

 終戦五十年を迎える今年は,こんな騒ぎが
一層過激に展開されるのか? マスコミが,
この問題で口を開けば,日本軍の侵略行為を
題目のように唱える.これに異議を差し挟む
ことを許さない.

 終戦直後,占領軍政策による,洗脳教育の
復活を見るようだ.日本は,この五十年間,
一度として,軍事力を行使したことはない.
この平和国家に,何故,今,戦争責任を問う
必要があるのか?

 詳しい経緯を知ろうともせずに,われらが
父や祖父の生きた時代に対して,自らの手で
汚名を着せるマスコミは,一体,何処の国が
統括しているのだろうか? とても,俺様の
所属する日本とは思えぬ.

 日本が戦争責任を問われている時,欧米は
国連を隠れ蓑に,必ず,何処かで軍事行動を
起こしている.日本には,批判する資格など
ないのだと牽制しているかのようだ.実際,
何も批判出来ないのである.

 湾岸戦争では,発信本拠地を日本に置いた
マスコミは,正義のイラクを叩いた.もし,
歴史を知っていれば,間違っても,イラクを
悪玉には出来ない筈だ.イラクは,さながら
五十数年前の日本と同じだった.

 欧米の圧倒的勢力は,イラクから補給路を
絶って困窮させ,必然的な武力行使に打って
出るのを待って,正義の美名を以て,報復を
開始した.かつての日本が,これと全く同じ
作戦に晒されたのだ.

 チェチェンへのロシア軍の攻撃について,
マスコミは,その得意な正義の批判も忘れて
高見の見物を決め込んでいる.湾岸戦争で,
イラクを叩いた勢いは何処にもない.大国の
行動は全て正義になる時代なのか?

 武力による国際紛争解決は,往年の常識で
あり,今日尚,日本国以外の国では,これが
常識である.いつから日本は,唯々諾々と,
侵略国の汚名に甘んじる国家になったのか?
かつての戦争…,それは….

 座して死を待つか,それとも,一年余りの
石油備蓄に全てを賭けて,起死回生の戦いを
仕掛けるか.やるなら一挙に敵を殲滅させな
くてはならなかった.東亜侵略百年の野望を
一挙に粉砕する歴史的決意であった.

 もしも,日本が武装蜂起せず,座して死を
待っていたなら,アジアは未だ欧米支配下に
納まってしまったに違いない.中国,韓国,
北朝鮮が独立した国家であり得たかどうか?
それすら疑わしい.

 戦後,国土復興を目指す,生き残り組は,
嫌々ながら戦争に駆り出された個人レベルの
被害者意識しか持てなかった.天皇の名の下
上官から体罰を受け,陛下の名の下に名誉の
戦死を強制された.

 死に切れず,あるいは要領よく生き残った
者たちが,天皇を,悪しざまに罵っていた.
こやつらに,崇高なる戦争の目的など,理解
出来よう筈もないのだ.所詮,個人レベルの
意識から抜け出せぬのだ.

 戦後五十年も経って,私の青春を返せと,
声高に叫ぶ従軍慰安婦.彼女らは,苦難から
立ち上がって,未来に向かって生き続ける,
人間の基本的な姿勢がないのか? 本当に,
自分の意思で主張するのか?

 どんな恨みも悲しみも,自らの内の自然な
浄化作用の働きを以て,昇華され,建設的な
方向に向かうエネルギーに変換されて行く.
それが本来の姿である.この短い人生を恨み
つらみで生きて来たのか?

 自らの内で浄化も消化もされず,ましてや
昇華等,起こりようもない中で,心貧しく,
五十年の歳月を生きてしまったとするなら,
それだけで同情に値するが,それは当人の,
愚かさでしかない.

 そんな心に,謝罪の言葉が注がれようが,
賠償が果たされようが,多分,心は,永遠に
晴れる事はあるまい.金がなくなれば,再び
恨みつらみがぶり返すだけである.結局は,
成長の力のない人間である.

 聞けば,すぐに忘れる言葉,使えばすぐに
消えてしまう賠償でそんな傷が癒される筈も
ない.彼らは,自然治癒力を失った気の毒な
障害者である.こんな民や国家は,偉大なる
日本民族の保護下に置かれてよい.

 それ故にこそ我が大日本帝国は,列強国の
極東支配から,かの国を守ろうとしたのだ.
彼らが攻め落とされれば,いずれこの日本が
支配される.そういう壮大なる見通しの下に
アジア全体の護りに入ったのである.

 我が日本民族は,卑屈な侵略者ではない.
彼ら自身が,しっかり自国を護り,成長する
力を備えてさえおれば,敢えて,日本が手を
出す事もなかった.かの国家は,戦後50年も
無駄に過ごして来ただけである.

 日本国を侵略国と決めつけるのであれば,
自らの国から,全ての日本人,日本企業を,
徹底し排除した上で,完全な自主独立の道を
歩まねばならぬ筈である.

 戦争侵略問題が一段落すれば,その次には
戦後日本のアジア支配が問題にされる図式が
見えて来る.アジアの安い労働力を,製品の
コストダウンを狙う日本企業は,海外の安い
労働力を搾取する侵略者なのである.

 今日,マスコミの一方的で一面的な報道に
接する度に,一庶民に過ぎない俺様の心には
いい知れぬ憤りが沸き上がる.アメリカでは
原爆投下が戦争の終結を早めたとする意見が
正論として罷り通る.

 欧米のするアジア侵略阻止を図った,かの
大戦の意義など,日本では,俎上に乗る前に
排斥されてしまう.何処かで天誅を加えねば
日本民族の正義が,欧米のした侵略行為を,
一身に背負わされてしまう.

 突然,電話が鳴った.もっとも,電話とは
そうしたものである.驚くには値しないが,
通常,掛かって来る時間帯ではなかった.
「隊長っ! 決起の日はっ!」
 配下の永峰の声だった.

「失礼ですが…どちらにお掛けですか?」
 敢えて間違い電話を装った.極めて不審な
電話であった.隊員は,俺様を確認した後に
話す決まりになっている.その電話はすぐに
切れた.

 秘密の漏洩には,特に神経を使っていた.
通話は公衆電話に限り,出来るだけISDN
対応の電話機を使い,番号を十分に確認して
スタートボタンを押す常識が定着していた.
間違い電話が防げる.

 自宅から,隊員宅相互の直接の連絡は一切
禁止である.相互の繋がりが当局に知られる
恐れがあった.敢えて,永峰に確認の電話は
入れなかった.あくまでも間違い電話として
通す必要がある.

 合法的,かつ自然にマスコミに入り込み,
お互いが同志であると悟られぬ配慮が必要で
あった.入り込んだ同志が,標的を落とす.
一つの番組を占拠することに,主力を注いで
これ徹するしかなかった.

 現代は武力行使の時代ではない….武力に
民衆はついて来ない.医師を射殺した犯人が
マスコミに配付した訴え−−その全文は遂に
公表されなかった.表現の自由は,犯罪者に
開かれぬ社会である.

 通信技術の進化が,一面識もない人間との
交流を可能にしてしまった.パソコン通信の
基地に,ここの電話番号も知らない人間から
情報が届く時代である.ほんの少し,時代を
遡ると絶対に信じられぬ世界である.

 そもそもの始まりは,俺様の書いた檄文が
知らぬ間に各地のBBSに転載されたことに
あった.同じ会員ですらない人間が,一行の
E−mailを通して,瞬く間に右翼団体を
結成した.

 同じネットの会員でもなく何一つ現実的な
接点が見いだせない人間同士が,外面的には
全く接点もないままに,組織が形成される.
組織の内側ですら,メンバーの顔も知らない
不可思議な組織である.

 元々,パソコンの世界での繋がりであり,
奇しくも全員が電子手帳ザウルスにモデムを
接続した機器を所持している偶然が重なり,
ISDN対応の公衆電話からもFAXを送る
ことが出来る環境が整っていた.

 パソコンの画面に,FAXの受信を伝える
表示が現れた.永峰からであろうとは想像が
ついた.が,先入観は禁物である.誰からの
ものと思い込むことで,違う人間のものを,
錯覚する恐れもある.

「昨今の情勢を鑑み,早急に,計画を行動に
移す必要を痛切に感じるところであります.
抜け駆けをするつもりはありません.ただ,
彼らに一矢を報いるために,どうか,私めを
遣わせて頂きたく…」

 確かに,永峰からではあった.俺様はその
データを即座に削除した.誰もが読める紙に
データを残す危険を避け,全て,パソコンで
FAXを受けることにしている.既に永峰は
敵の本拠地内に潜入した.

 だが,必要以上に決行を急ごうとしている
詳細が明らかではなかった.現実的な接点の
ない希薄な繋がりである.相手の性格もよく
解らぬ部分はどうしても残ってしまう.彼が
スパイであるのかも知れぬ.

 現実に敵側との接触を続ける環境にあって
彼らに洗脳されてしまう危険は高い.然し,
俺様は,通信の世界での結びつきは,通常の
生活の中では語りえぬ本音の部分での交流に
信頼を置いた.

 例えば,この俺様がパソコン通信の世界で
語り続ける内容自体,幼なじみと言えども,
想像も出来ないだろう.パソコン通信では,
心と心の繋がりが先行している.それだけ,
人は心の本音を外に出さない.

 決して本音を語る事のない実在とされる,
日常生活は,どこか架空の世界を思わせる.
それ故にこそ,この重大事が,一見,極めて
希薄に感じられる世界で,必然的に進行して
来たのである.

 電話が鳴った.またしても永峰か? だが
予断は禁物である.受話器を耳に当てる.
「ビデオ見たぁ?」
 並木であった.先のカラオケ番組に出演し
た当人である.

「みたみた….確かに,あの審査はひどい.
お前の歌った『汽笛』にしても,審査員は,
『どうなんでしょう.振り向かないで…まで
気持ちを持続した方が』なんて,訳の解らぬ
言い方をしていた…」

 俺様は,ガラリと日常の自分に戻った….
「気持ちを持続させる…抽象的で,具体性に
欠ける表現だし,大体『ちょっと待って…』
なんて言われたら,その瞬間『ナニナニ?』
なんて振り向いちゃう」

「大体,作り物の世界だから,こんなバカな
表現を平然と使うんだろうが…,何分にも,
田舎の草深いテレビ局の作る番組だから…,
というより,大体,マスコミなんてものは,
あんなもんだろう…」

「ところで…出場の申込みはしたの?」
「えっ? 俺様がぁ? 冗談….あれに出る
気持ちはない.あんなバカ共に,天下の偉大
なる俺様が審査されてたまるか−−なんて思
ったけど…やっぱり出る事にした…」

「はははは.何なんだそりゃ….やっぱり,
出たいんじゃないか….頑張ってくれよ」
「お前の仇は,俺様が討ってやる! 草場の
陰で待っておれっ」
「俺は死んじゃいないよ…」

 所詮,これも世俗の雑事に過ぎなかった.
俺様の心の中は,相変わらず昭和三十年代の
影響が渦を巻いていた.あの頃,日本軍は,
映画で生き生きとしていた.従軍慰安婦も,
当たり前のように描写された.

 そこに強制労働の陰は,まるでなかった.
だからこそ,堂々と映画の中にも登場した.
ラジオ番組の中でも『軍歌と呼ばれた数々の
歌が歌われた時代が,忘れられている風潮を
危惧さえしていた.

 それは決して,日本が侵略戦争を行なった
反省と言う視点に立つものではなく,むしろ
加藤隼戦闘隊の活躍などの戦史を交えながら
我が日本が,欧米列強国を相手によく戦った
自然な気概を強調した雰囲気があった.

 我等が子孫は,このまゝ延々と侵略戦争の
加害国として,あらぬ宿命を担わせられて,
萎縮させられて行くのか? やはり俺様は,
今こそ,当初の計画を断行して,神国日本の
気概を示さねばなるまい….

 俺様は,このささやかなカラオケ番組で,
毎週勝ち続けているチャンピオンを,軍歌を
以て追い落とす.新たなチャンピオンとして
毎週,軍歌・戦時歌謡を以て,その座を守り
抜く….

 かくして地方のささやかな番組で,軍歌が
流れると言う仕組みである.俺様の後に続く
者は,間隔を置いて,登場すると言う仕組み
である.ただ,我々が一つの集団であるとは
悟られぬ配慮が必要だった.

 軍歌とは無縁な,カラオケ仲間の脳天気な
応援は,その意味では大いなる隠れ蓑として
活用できるのだ.ただ…軍歌を歌うことが,
禁止されてしまうのかどうか….その一点が
気掛かりだった.

 共通して軍歌を歌う出演者相互の繋がりが
発覚してもまずい.それが,思想的な背景で
があると推察されてもまずい.あくまでも,
偶発的な一致に因るもの−−そういう結論を
出させなくてはいけない.

 この軍歌が歌われる頻度の高さが,奇妙な
現象として,中央のマスコミで騒がれれば,
成功である.それが呼び水になって,一つの
流行になれば….俺様の心の中には,そんな
思惑があった.

 永峰には,多くの懸念される短絡的性向が
ある.あくまでも軍歌を歌う事だけが目的で
ある.思想的言動の一切を口にしない鉄則を
彼がそれを守り切れるかどうか….すぐに,
感情的になる点が気掛かりだった.

 例え,『これは侵略戦争の歌ですから…,
出来るならこのような歌は…』と言われても
素直に頷ける冷静さが必要なのだが,自分を
曲げない実直さがマイナスに働いて,前後を
忘れる懸念があった.

 戦略として,俺様の絶対的な歌唱力を以て
現役のチャンピオンを落とし,俺様の軍歌に
対抗する意気込みを以て,審査員グループに
潜む永峰が,別の軍歌を以て,俺様を落とす
手順である.

 点在する同志は,地域のカラオケ番組にて
偶発的な同時共時性を装って,軍歌を以て,
出場を果たす.かくして平和な平成の時代に
突発的な,軍歌の大流行を演出しようという
壮大なる計画である.

 永峰は,自宅でカラオケ番組を見ていた.
かの人物の顔を初めて見る機会でもあった.
数々の強い影響を受けたその人物が,どんな
顔をしているのか? どんな美声を披露して
くれるのか.期待をもって待った.

 かの人物の登場となって,この番組では,
よく出る仲間の手作りによる派手な横断幕が
映し出された.曲目は『空の神兵』だった.
現在のインドネシア上空を舞った,陸海軍の
落下傘部隊の雄姿を歌った曲である.

 かの隊長の声が流れた一瞬,何故か画面が
揺らいだ.突然の吐き気に見舞われる程の,
ひどく音痴な声に,思わず,リモコンに手を
延ばそうとしたが,全身がしびれて,それも
叶わなかった.

 抱いていた壮大なる計画が急速に色褪せ,
倒れた戦友よろしく,ようよう顔を上げて,
画面を見るに,審査員も横を向いたり,顔を
伏せたり,ヘッドホンを外して耳を塞ぐなど
七転八倒の苦しみだった.

 後日,さる地方で,夜な夜な変なオヤジが
車で走行しながら,沿道をパニックに陥れて
当局に苦情が耐えぬ小さな事件があった….
やがてその声が事故を誘発して,かの隊長は
壮絶なる戦死を遂げた…. END
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