小説   軍艦行進曲第3番

 それはもう三十年以上も昔の学生時代から
ずっと続いている….何が原因であるのか,
依然として解らないままである.表面的には
単なる自分の未熟さと考えてしまえば済んで
しまう….

 単純に言い切ってしまえば,何をやっても
中途半端になってしまう性向である.そして
それが今日まで,ずっと変わらずに,自分の
人生に反映されている.評価を受けて一応は
目立った存在になるが持続しない.

 結局,それは実を結ばない.深刻に考える
までもなく,何処にでもある人生の典型的な
パターンに過ぎないし,それが人生であると
納得出来る部分もある.それを自覚しながら
何処か釈然としない….

 五十歳を越えた年代に差しかかり,未だに
落ちこぼれた世界にいる身を反省してみると
同じ歳月の中,自分が所属している『日本』
という国は,いつの間にか,侵略国としての
地位が定着してしまった….

 幾ら経済援助をしようと,オフレコ発言を
漏らした物書きの風上にも置けぬ輩の情報を
楯に『日本は侵略国として反省が足りない』
と悪しざまに罵られる.その度に,政治家が
地位を追われる….

 この五十年間,一度として武器を取る事も
なかった平和国家が,理由もなく悪しざまに
罵られるようになったのか? こんな現実に
何の矛盾も感じない日本人の体質には,納得
し難いものがある.

 少なくとも昭和三十年代は,戦争について
『日本軍かく戦えり,欧米のする横暴弾圧を
前に,やむなく立ち上がった勇壮な歴史観が
残っていた.軍国酒場なども残って,活況を
呈していた….

 俺様はその頃,日本戦争文学全集等を読み
漁ったものだが,かの文学全集は一体何処に
姿を消してしまったのか? あの頃,時折は
ラジオでも軍歌特集が聞かれた時代だった.
今,その痕跡はない….

 俺様の落ちこぼれぶりと,日本が置かれた
立場は何処か似ている.心の何処かに,戦後
五十年の歳月を,同じ挫折を抱き続けた運命
共同体としての共感がある.些か大げさでは
あるが….

 そもそもの挫折のきっかけは何処にあった
のか? そのきっかけを問えば,やはり学生
時代に親しんだパチンコにその原因がある.
これにのめり込んだことが学業をおろそかに
する原因になった….

 盤面に弾き出され,自分の意思とは裏腹に
右往左往しながら落下して行く玉の行方….
この単純な盤面の中に,もはや自分の力は,
全く及ばぬ….俺様にとって,それは自分の
力のなさだと感じられた.

 真っ当な社会人となって,安定した収入を
得て,しっかりした経済的基盤を作った上で
堅実な生活設計を立てて生涯を送る….その
当たり前な生活が何処か非常に危うい砂上の
楼閣のように思えた….

 俺様は,結局まともな社会人にはなれない
人間だった−−そんな30年前を振り返って,
改めて現代を見据えてみれば,俺様が感じた
あの当時の不安は,正に核心を突いていた.
大いなる自負をもって言える.

 今,世間では,俺様の年代は,その社会的
役割を終えた,不要な余剰人員にされている
傾向がある.基本的に,外界の事象を何一つ
コントロール出来ない,あの非力さが課題に
なっている….

 預金金利が1%を割り込む異常な事態は,
銀行と言う,揺るぎない絶対的な繁栄の象徴
ですら,盤面を落下する玉のごとき不安定で
頼りない存在である現実を露呈した.もはや
金利では生活は出来ない.

 無論,俺様に,それが果たせる程の蓄えが
ある訳ではない.何もせず,単に玉の行方を
見守るだけしか出来ない人間には,もはや,
生きられる道とて残されてはいない.真先に
顧客の利益を切り捨てる銀行である.

 今,俺様の年代を襲う嵐は,これまで全く
見えなかった,あの不安定な因子が,突然,
その本性を現した状況である.いずれ人類は
この試練に晒される必然があった.それは,
人類の進化に必要でもある.

 ささやかな,組織の肩書と言う拠り所は,
今や全くその効力を発揮しない.パチンコで
言えば,たまたまよく出る台の前に,一時,
座らされていただけの状況が続いてただけで
実態は何もなかった….

 景気の良かった時代は,この錯覚も現実で
通用したが,不況が深刻になると,いやでも
自分の存在の軽さが身にしみる….もはや,
ジャンジャンバリバリ出ていた玉は,完璧に
消え失せているのである….

 待っていて向こうから手を差し伸べられる
期待はゼロである.その点では,俺様も同じ
である.少しでも活動を辞めれば,誰からも
省みられず,そのまゝ忘れられてゆく.後に
残るものは何もない….

 こんな人生に不満がある訳でもない.少し
力を抜けば,簡単に忘れられて行く立場は,
何処か気が楽でもある.元々,周囲から注目
される人生には,疎ましさを感じていた俺様
ではある.

 ここで俺様自身の中に,矛盾があることに
気がつく.例えば有名になる事態が,人生で
成功したと実感できる一つの証明でもある.
然し,俺様はそれを嫌っている.何を以て,
人生に勝った証とするのか?

 注目される事には,ずっと昔から先天的な
恐怖があった.また,思い通りになる事は,
何処か不気味でもあった.それで居ながら,
自在の境地を求めてさまよい続けた人生でも
ある.矛盾の罠である.

 そんな矛盾を正当化する接点に,この世を
旅先の一つに過ぎないとする考え方がある.
自分の存在を含めたこの世の事象は,単に,
観察するだけで一切の介入をしない.例えば
この悪い性格を治そう等とは….

 何故ここに自分が生きて,その役割分担は
何なのか? また,この役割から開放される
方法は…? 思うようには事が運ばぬ人生を
見据える中に,自分以外の存在に支配されて
いる可能性が見えてくる….

 盤面を,ランダムに落下するパチンコ玉の
行方….昔の俺様はそこに着目したものゝ,
それを支配する真理には,遂に,到達するに
至らなかった.それは,世の中を思い通りに
歩む真理に通じる筈だったが….

 ギャンブルに見入られた者は,愚かにも,
身の破滅まで突き進んでしまう傾向がある.
一挙に大穴を狙って,最後には,起死回生の
大逆転を夢想する….駄目だと解って尚且つ
泥沼の深みに嵌まる….

 ギャンブルの確率の実態を冷静にみれば,
投資する側に,最終的な勝利はない.だが,
あたかも自分だけは,それを支配する大数の
法則を抜け出して,最終的には,必ず勝てる
錯覚に陥る….

 この世を支配する−−例え,それが一部で
あっても,旅行者の行動範囲を逸脱した内政
干渉になる….例え,パチンコであっても,
それを自在に支配する事は,この世の人間の
権利を主張したことになる….

 事が思い通りにならぬ−−それはこの世を
一時的な旅行先と見る者には,当然の現象で
ある.自分本来の世界ではない以上,余計な
干渉も出来ない.元々,この世は自らの魂が
根をおろせる世界ではない.

 この世が,自らの世界として定着する事を
望むのか,魂が旅する,無限の道中の一つに
過ぎないとするのか.もしも支配が難しいと
感じるなら,そこは積極的に介入すべき世界
ではない….

 だが,基本的にこの世に生まれてしまった
以上は,何処かに自分が介入できる世界が,
必ず用意されている.思い通りにならぬ事に
執着せず,流浪の旅の過程で,自分の世界を
見いだす努力が必要かも知れぬ….

 いじめを苦に自殺をする子供が多い近年で
ある.狭い学校内の出来事が,この世全体の
意思であるかのように錯覚してしまう怖さが
ある.そこは,たまたま合わない世界である
可能性を否定してしまう….

 生まれ落ちた世界で,全ての一生が決まる
訳ではなく,自在に移動を繰り返しながら,
自分の世界を探す自由が残されている.今,
自分が苦しんでいる世界は,ほんの一時的な
存在でしかない.

 俺様は,何処へ行くにも,自分の非力さが
自覚されてもいたが,非力であるまま自然に
生きることを考える道もあった筈だ.ただ,
それに思い至らなかった.考える道も開けは
しなかった….

 過ぎ去ってみれば,自分の選択が間違って
いたとも思えない….これと言って,成功を
収めたこともないのは,これまでの人生が,
旅行者としての人生を全うして来たからだ,
と言える.それは幸運でもある.

 もし俺様が,あのまゝ,パチンコ必勝法に
のめり込んで,無限のサラ金地獄を堂々巡り
する人生を歩んでしまったら….この世から
追われる点で,この世との深い繋がりを形勢
する事態を招いた事だろう….

 自在に発揮できる必勝法は,所詮,違法と
される宿命が待つ.ギャンブルの世界に働く
不文律は,あくまでも一寸先が闇の不透明な
法則でしかない.それを打ち破るものには,
八百長的扱いがなされて禁止される.

 普通と全く変わらぬ方法で打って,尚且つ
勝ち続けられて,初めて黙認される必勝法と
なるのだ.だが,それで常に勝てるとすれば
台自体に重大な欠陥がある場合でしかない.
超能力の介入は無である.

 ただ,周期的なリズムに,偶然が重なって
勝ち続けられる瞬間はある.あたかも自分が
打てば,常に勝てる錯覚に陥る瞬間である.
だが,それは長くは続かない.自分に,常に
ツキが生じる法則は働かない….

 法則の前に,ツキも,所詮は時間の粛清に
遇って,費え去る必然が待つばかりである.
劣勢を挽回して勝利を得たとしても,勝負の
終結を早めにして,二度と立ち入らぬ覚悟が
必要である.

 これは大日本帝国時代の戦争と共通する.
列強国を相手に戦って最終的に勝てる道理は
最初からなかった.常に精神力を以て物量を
圧倒する戦果を獲得することが,求められた
戦いが続いた….

 勝負に挑む多くのギャンブラーは,何故か
この古典的な戦争に臨む意識に支配される.
勝利は常に絶対的にパチンコ屋にしかない.
だが,圧倒的に不利な状況で戦いに挑む事が
好きなのである.

 現代の日本では,こんなパチンコに,魂を
奪われる人間が急増している.この業界は,
先頃,十七兆円産業と持て囃されたが,今,
それは,三十兆円産業と数値が変化する程に
肥大化している.

 絶対的に不利なパチンコに,自らを称して
プロを自認する人間を登場させ,儲かるかの
ごとき印象を与えるマスコミ報道に煽られて
甘い夢を見続ければ,そこに参加する者は,
間違いなく地獄に落ちる….

 俺様同様の落ちこぼれ連中が,カラオケに
誘いに来た.いずれも埒もなき人間である.
世間から何一つ顧みられる可能性も事もなく
朽ち果てて行く哀れな人間である.俺様自身
既に先が見えた身の上である.

 そう言えば…,我々のカラオケに挑戦する
パターンはいつも同じである.下手な癖に,
やたら新曲に挑む者,耳に残る昔の歌だけの
者,俺様も或いはそんな一人かも知れぬ….
俺様はそれに加えて軍歌を歌う.

 昭和三十年代の一時期,軍歌は,ナツメロ
感覚で流されていたことがある.この俺様は
その時代に軍歌ファンになった.然し当時は
カラオケなんてものはなかった.歌うように
なったのは最近である….

 昔,聞いたメロディが流れて来た.今まで
仲間内では聞いたことがない,美空ひばりが
歌った『波止場だよお父つあん』であった.
近頃ひばりの歌がCMでよく流れる.だが,
これは聞かない….

「えっ? なんだコレ.何でいきなり3番が
出てくるワケ?」声に画面を見る.そこには
まるで違った歌詞が….それにめげず,彼は
知っている一番を歌い始めた.歌の途中で,
『歳はとっても盲でも…』の歌詞が….

「やれやれ…,検閲厳しき,現代のクンコク
主義じゃねぇか…」
「何処が軍国主義なんだ?」
「軍国じゃなくて訓告主義だ.上っ面だけの
障害者擁護っつうワケなのさ…」

「こうして言葉を抹殺すれば,日本には盲も
ツンボもビッコもいなくなるっつうワケだ.
そのクセ,盲人の面倒を犬に看させてそれが
福祉だなんて….盲導犬も気の毒なもので,
寿命の半分で寝たきりの運命だぜ」

「ようしっ! ではでは軍国主義者の俺様が
軍艦マーチに挑戦っ! 歌うのは始めてだが
パチプロ時代の苦い思い出が,一杯つまった
曲でもあるなぁ….こんなものに踊らされた
訳でもないが…」

「この間奏は…歌だったんだ…」感心して,
一人がつぶやく.この曲は軍歌の『軍艦』と
『海ゆかば』が合体して,『軍艦マーチ』と
なった.『軍艦』は,『海ゆかば』の後に,
更に繰り返される.が,歌詞がない….

 カラオケの中では,虚しくメロディだけが
流れる….鮮やかな日章旗と軍艦旗が最後に
描かれて『軍艦マーチ』は終わる….この,
三番の空白は何だ….死して尚,護国の鬼と
化す精神の象徴なのか….

 そう言えば…,レーザーディスクになって
いる戦時中の映画,『ハワイマレー沖開戦』
では,映画は終わっているのに,軍艦マーチ
だけがガンガン鳴り響いている構成であった
ことが思い出された….

 真っ暗になった映画館の中『軍艦マーチ』
だけが鳴り響いたであろう,往時の映画館の
状況….『シンガポールは落としても,まだ
進撃はこれからだ』或いはこの軍歌の一節に
見られる心意気なのであろうか? 

 日本海軍最後の出撃,戦艦大和も,所詮は
凱旋のない特攻出撃であった.あくまでも,
戦いの中に埋没するだけで凱旋の道がない.
パチンコ屋で流れる軍艦マーチには,凱旋の
ない特攻出撃の怨念が込められている?

 歌詞のない軍艦マーチ3番は,この世での
存在を離れた特攻出撃の象徴にも思える….
それを聞かされる者は,嫌でもギャンブルの
世界で特攻精神を発揮して無一文に留まらず
借金地獄にまで踏み込んでしまう….

 さながら『軍艦行進曲』は,彷徨える幽霊
戦艦の象徴である.このままではいけない.
凱旋の道を開いて,帰港の道を用意した上で
成仏させる必要がある.でなければ未来永劫
これを聞く者を迷わせ続けてしまう….

「ようしっ! 俺様は,軍艦マーチ第3番を
作詩するぞっ.今度来る時には,しっかり,
3番を歌ってこの空白を埋めてやる….多分
それを聞けばお前らもパチンコ地獄から抜け
出せる…」

 日本も,アメリカの言いなりに,自衛隊を
海外に出し始めている.これは歯止めのない
戦闘行為に繋がる運命が待つ.この凱旋なき
軍艦マーチの怨霊に操られた,最も恐るべき
未来である.

 戦捷果して凱旋す 威風堂々その勇姿
 迎える民草もろともに御国の栄光担いたり
 東亜の平和は日の本の旭日の下燦然と…

「明治の歌詞に,昭和戦前の歌詞が加わった
雰囲気で1番と2番の延長にしては違和感が
あるなぁ….それでも,平成の御世に3番が
作られると言うのは….まあ…,誰も歌わん
だろうが…」

「どうせ,世の中に何の貢献もせず,飲んで
歌って騒いだ果てに死んですぐに忘れられる
だけの人間じゃねぇか.自己満足でおのれの
心を満たせばそれでいいのさ….お前ら…,
パチンコ辞める気にならんか?」

「何だか…連戦連勝する気がして来たゾ? 
この3番は,そんな雰囲気にさせられるよ.
どれどれ…,その歌詞教えてくれ…」
「やれやれ…,やっぱりだめか.何処までも
お前らは,落ちこぼれるだけか…」END
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