新たなる刺激を生み出す

新たなる刺激を生み出す

 失われた機能を回復する一つの方法として,その部分に刺激を与える方法がある. 例えば,止まった心臓を動かすために,電気ショックを与えるなどが,その典型的な 実例である.                                  例えば,視力訓練などは,何らかの形で目に刺激を与える意味がある.掛けている 眼鏡を外して物を見ることも,目に対する刺激と解釈することが出来る.通常,見る 物にピントを合わせる場合,意識的な努力は必要としない.             従って,近眼になった当初は,なかなかそれが自覚出来ない.自動的に合っていた ピントが合わなくなっても,何が起きているのか理解のしようもない.無意識に目を 細めて,目の外側で視力を補おうとする反応が起きる….              それは,何故よく見えないのか理解出来ないことから起きる反応である.基本的に 眼鏡を掛ける行為と同じである.何故よく見えないのか? それを自覚すれば,目に ピント調整機能回復の指示をすることが出来る.                  例えば,遠くを見た時に,ピントが網膜の手前に合ったまま,修正されない状態が 続いていると自覚するだけでも大いなる刺激になる.ぼやけたまま,自然に物を見て 目を細めずにピントが合うことをイメージする.                  ピントの調整は,それを司る毛様帯筋の働きであるとされる.そこに刺激を与えて それが働かざるを得ない状態にする.力を入れずに,自然に一つのものを見つめると 毛様帯筋が働く準備が出来る.                          実際に,ピント調整が働かなくとも,合わせようとする刺激が毛様帯筋に伝わる. 必要なのは『お前の出番だ』と,刺激を与え続けることである.俺様が,拳銃射撃を 視力訓練にした意味はここにある.                        眼鏡を使用すると,ピントが何処にでも合った状態になってしまうために,刺激が 伝わらない.これで毛様帯筋は休眠状態に陥ってしまう.この点で,眼鏡は絶対的に 近眼の治療には繋がらない.                           本来,働くよう仕向けなければならない刺激を,逆に,益々深く眠らせる効果しか 生み出さない.人体は,楽を覚えると,どんどん退化する傾向がある.元々,人体は 与えられた環境に素直に適応する.                        従って,眼鏡を掛ければ,その眼鏡に合った生活に慣れてしまう.眼鏡なくしては 生活が出来なくなる.また,視力が弱まった原因が取り除かれないままであるから, そこから,更に目を悪くする必然が待っている.                  逆に,眼鏡を外して,ピント調整を目に任せる生活を続ければ,体が許す範囲での 回復が期待出来る.ただ,視力訓練だけで,全てが解決出来る訳でもない.基本的に 原因が解らぬ近視である.                            視力訓練で改善されぬ部分は,近眼の原因が残されたままであることを意味する. 俺様の場合,当初,眼鏡なしでは捜し物一つ出来なかった状態が,今は,眼鏡なしの 生活が普通の状態になっている.                         俺様は,ここに来て,新たな刺激を与える必要を感じてきた.同じような刺激を, ずっと継続している視力訓練は,もしかするとマンネリ化して,刺激としての意味が 失われている可能性もある.                           一つのきっかけが,肝油ドロップの広告を見たところから始まる.目への刺激は, 単純に視力訓練ばかりではなく,栄養面からビダミンAの補給を継続したらどうか? これが別の角度からの刺激になるかも….                     そこで,この数カ月,肝油ドロップなるものの服用を続けている俺様である.その 効果は果してどうか? 別段,今まで夜盲症の自覚はなかったが,最近,夜間の目の 見え方が非常によくなった印象もある.                      ただ,これを客観的に証明する手段はない.或いは単純な思い込みによる可能性も 十分にある.ただ,感覚的に,以前に比較して,夜間の車の運転が楽になっている. もしかして…肝油ドロップの影響か? などと思う….               目を緊張させずに,ぼやけたものを見ていると,自然にピントが合ってくることが 当たり前のようになっている最近である.まばたきが,ピント調整を刺激する効果を 生み出している印象も受ける.                          ここで俺様は,ピントが合う過程を経験する訳だが,このピント調整が働くとき, それが脳を強く刺激する効果を生んでいるように思える.近年,働き盛りの中高年が ボケに見舞われる現象が注目されている.                     ピント調整機能を失わせて,眼鏡に頼った生活を続けることが,その部分で脳への 刺激を弱めて,ボケの進行を早めることはないのか? と,妄想をたくましくする. 少なくとも視力訓練が,脳への強い刺激になることは実感できる.          眼鏡を掛け続けた目から眼鏡を外せば,その戸惑いには深刻なものがある.まして 眼鏡を外したとて,視力が回復する兆しを実感するには,ある程度の歳月を要する. 当初は,回復などまるで信じられない実感があるばかりである.           然し,その戸惑いの中で生活することも脳への大いなる刺激としての意味がある. 但し,それを補う能力の発現を期待せず,ただ,不自由なだけだと思うばかりなら, ただの苦しみだけになるので止めた方がいい.                   そこから,少しでも進化を期待する心と意欲が刺激を倍加させるのである.人間は 進化のために様々な刺激を必要とする.刺激なくしては成長しない.最近は,世間に 刺激がなくて,刺激を消化しきれない人間が増えている.              例えば,視力訓練のために,眼鏡を外せっ! と命令したら,それは訓練ではなく いじめになってしまう.それでも当人に,その命令と言う刺激を,消化しようとする 積極さがあればいいが,今は,それが期待できない時代である.           外界からの異質な刺激は,成長の糧とはならずに,歪んだ抵抗となって反応する. 人間自体が成長に向かうことを忘れてしまっている.子供のまゝ,既に自分が完成の 領域に達した存在だと思い込んでいる.                      若くして,中年感覚の事件が頻発する昨今である.十代のガキが,愛情のもつれで 殺人を犯すか? 生い先短い中年じゃあるまい? 最近,そんなばかばかしい事件が 目立つ.失恋の刺激が糧にならず,勝手たる暴走になる.              細胞が新陳代謝を以て,自らを常に活性化させているように,有為転変を体験して 成長する必要がある人間なのだが,それを嫌ってしまう.人間は基本的に,変化する 環境に順応する生物的能力を有するが,今,それが歪んでいる.           転勤ともなれば,昔は,一家が揃って移動したものだが,最近は,そうした変化に 対応出来ず,妻子が残って,夫だけが移住する単身赴任が一般的ですらある.家庭の 崩壊である.                                  これと連動するかのように,夫婦別姓などが流行する始末である.夫,妻,子供の 三位一体の,国家繁栄の基本的原点が,ここに崩壊しているのである.隣の国辺りで 別姓が伝統的だが,その所為で,国家は貧しいままである.             日本自体が,もはや新たな世界情勢に適応出来なくなっている.自分の進む方向を 見失っている.使命感を忘れて,上から下まで金に走る.物質的な豊かさに溺れて, 自らの使命よりも金を指名するのである.                     役人が,税金で自分の懐を潤す習慣から抜け出すなど,出来よう筈がない.それは 眼鏡を外して,一気に不自由な生活することなど思いも寄らないことにも似ている. 間違ってはいるが,それが常識なのである.                   『不自由が成長への糧となる』真理など,今は誰も信じない.『衣食足りて尚,金を 求める』時代なのである.基本的に飢えた状態が,地球上の生命体に成長への刺激を 与えるのである.                                それ故に,地球自体には,何処かに必ず飢えた状態が形成される.本当は,平等に 存在する糧も,一部が独占する為に,必然的不自由が発生する仕組みである.日本の 飽食の陰に飢えた地域が存在するのだ.                     『衣食足りて礼節をわきまえる』ことが出来れば,必要以上にものを食う節操のない 行動など,取れよう筈もない.然し,クソガキが成人病になるほどに,無駄にものを 食いやがる.盲人を思えば,近眼など微々たる病である.** 悪魔 **
      ・日本語の表紙へ…