眼鏡と借金を結び付ける

眼鏡と借金を結び付ける

 自分の置かれた環境は,それ以外の世界を知らなければ,改めて,それについて, 疑問を持つこともない.自然に,その環境に順応した生活を営んで行く.現代社会に 蔓延した情報の氾濫は,完璧にこの常識を覆してしまった.             様々な分野の平均的な姿を常識とした情報が蔓延して,それを満たさぬ者に不足を 感じさせてしまう.自分の置かれた環境を無視して,手の届かない生活に飛びつける 手段すら出現した.                               然し,絶対的な収入と言う,揺るぎない環境を無視して生活を続ければ,いずれは その生活も破綻する.日本が経済大国だとする,庶民には関係のない幻想に,多くの 人間が惑わされてしまった.                           病状が進んでも,それが自分には無理な生活なのだとの明確な自覚は生まれない. 実際に,現金を持たずに買い物をする必要が,果してどれだけの人間にあるのか?  現金は,持ち歩くことが煩わしいものではない.                  大金を持ち歩くことが危険でも,現金は,その金額以上の危険は伴わない.然し, 流動資産の全てがつまっている一枚のカードを平然と持ち歩く感覚の方が,はるかに 大きな危険が潜んでいる.                            自分の経済力を正確に把握しないまま,頻繁に金を使う機会などあろう筈もない. 然し,一度,そんな生活に慣れると,それか新たな自分の環境となって,借金地獄が 新たな常識となって定着してしまう….                      日本人は,豊かであると言われているが,周囲を見渡すと,一見,ベンツに乗って リッチに見える人間でも,僅かな駐車料金を惜しんで,付近の路上に違法駐車をして 平然としている.                                自分を満足させる物品の購入には金を惜しまない反面には,何も見返りのない金は 使いたくない心情が働いている.豊かさも,他人を省みるところまでは発展しない. 自分中心にしかものが見えていない….                      例えば,よい視力が金銭以上に大事な資産であると考えた場合,それをどのように 使うかが考えられることは先ずない.自分の視力が,それを使う環境に支配されると 明確に自覚されることもない.                          俺様自身,眼鏡を片時も離せなかった時代は,積極的に遠くをみる習慣は,完全に 消え失せていた.中年に差しかかって尚,家では,コンピュータ,電車では読書と, 目先だけの生活をしていた….                          そんな有り様だから四十を過ぎて尚,近視の度が進んでしまった.そうなってから 俺様は初めて慌てたのである.見ようとしない遠景は,結局,見えなくなる.無駄な 能力を温存してくれるほど,人体にもゆとりはない?                遠くが見えなくて掛けた筈の眼鏡でも,いつかそれをそのまま読書に使っている. 実際,近視の眼鏡を掛けて読書を続ければ,それなしでは何も出来なくなる.遠くも 近くも見えなくなる….                             眼鏡を外して生活するようになると,正常な視力に目覚める瞬間が訪れる.それは 本来の自分の能力を自覚させてくれる一瞬でもある.それも,見ようと努力している 瞬間ではなく,自然に意識せずにものを見ている時に….              借金地獄の中で,『こんな生活をしていては…』と時には,反省させられる一瞬と 同じかも知れぬ.ただ,それを強く意識せず,眼鏡(借金)と言う一時凌ぎの対策で ごまかして,それを忘れてしまう….                       ものを良く見えるようにするには,絶対的に,裸眼視力を向上させる必要がある. 豊かな経済力を得るには,無駄を制御するか,努力して自分自身の経済力を増して, より多くの収入を確保するしかない.                       借金を繰り返すと,それに依存して,自分自身の基本的な収入が減少してしまう. 眼鏡を掛けて補う視力では,裸眼の視力をどんどん弱めてしまうことと同じなのだ. 俺様は今も近眼(貧困)だが,眼鏡(借金)には依存していない.** 悪魔 **
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