眼鏡を掛けても正常な視力とは言えぬ?

眼鏡を掛けても正常な視力とは言えぬ?

 近眼になる本当の理由が何処にあるのか? それは俺様に分かる筈もない.ただ, それを考え続けることは出来る.自分の目が何故,近眼なのか? それを考え続けて 根本的な近眼からの回復が図れる道を探し出したいと思う.             これまで,眼鏡でピントを修正しても,近眼を治す道には繋がらない現実について 書いて来た.むしろ,眼鏡は着用を習慣化することで,益々,その病状を悪化させる 方向に向かってしまう.                             便宜的な方法として,眼鏡を外しての視力訓練がある.然し,これとても,原因を 見据えてはいない.ただ,自然な環境への適応能力に期待して,眼鏡なしで行動する 習慣を定着させて眼鏡使用による視力低下を防止するだけだった.          眼鏡を外しての拳銃射撃で,俺様の視力も,眼鏡着用の悪習で生じた視力低下から 抜け出して,かなりの視力回復を果たした.かつて,−3.0の眼鏡で見えなかった ものを眼鏡なしで識別出来るようになっている….                 それでも絶対的に正常な視力に戻った訳ではない.視力訓練だけでは解決されない 謎が依然として残されている.その原因が何であるかについて,これから考え続けて 何とか根本的な原因に遭遇する可能性に期待したい….               例えば,俺様も検眼で合わせた眼鏡を掛けると,周囲の様子が一変したかのように 実によく見える.遠近感もはっきりして,こういう状態でいつもものを見ていたいと 思いたくなる.                                 然し,眼鏡に慣れてしまうと,もはや裸眼での行動が極めて不自由になり,次第に 裸眼視力が落ち込んでしまう.眼鏡を掛けない生活に慣れた今は,いつも通る道では 夜であっても不自由なく運転も出来る.                      先月,俺様は海外旅行に出掛けるべく,夜明け前の道を空港に向かっていた.然し 眼鏡を掛けないと運転に不安を感じて,着用して走行した.起きぬけで,目が十分に その働きを発揮していなかった?                         一見,よく見える環境ではあるが,俺様は,標識を認識していたにも拘らず,道を 間違えてしまった.十分確認出来ているのに,それに従えなかった.眼鏡を掛けても 意外に見落としが多い….                            旅行からの帰りは,夜になって慣れぬ道と言うことで,眼鏡を掛けたが,それでも 分岐点を間違えて,かなり離れたインターで降りる破目になってしまった….見える 環境に甘んじて見る努力を怠った所為かどうか….                 眼鏡を掛けて,よく見えているから大丈夫とする錯覚の中で,スピードを上げると 思わぬ錯覚から,大事故を起こす怖さを感じる.もし俺様が,眼鏡の使用とか視力に 疑問を持たなかったら,大きな事故を起こしていた可能性は高い….         今にして思えば,何も考えなかった頃は,かなりのスピードで走っていた.運転に 慣れるに従って自然にスピードが上がってしまうが,その危険を積極的に自覚出来る 道は開かれない….                               どんなにスピードを上げていても,その時には,それが安全だと思い込んでいる. 何故,そう思えるのか? 俺様が思うには,運転には,基本的に,ある程度の緊張を 持続する必要がある.ここに罠がある.                      免許取り立ての頃は,全てが目新しく,全てが緊張を呼び起こす.慣れるに従って 次第に緊張する対象が薄らいで,同じ緊張を持続させようとする無意識の防御反応が 自然にスピードを上げさせてしまう.                       運転に慣れるに従って,ゆったりと運転する感覚への切り換えは,余程,しっかり 意識的にならないと自然には果たせない.緊張して運転しようとする善良な意識が? 実は仇となってスピードを上げさせてしまう.                   眼鏡を掛けている人間が,裸眼での視力を考えて,自分の視力は,眼鏡を新調する 度にどんどん落ちていることを自覚して,重大な見落としがある現実に目覚めれば, 外界への注意力と新たな緊張を生み出すきっかけになる.              見えている錯覚の中で,実は,見落としていて,危うく人身事故と言うケースは, 何度かあった.眼鏡の所為であるとか,見落としが起きているとは,その時は,全然 自覚することもなかった….                           ピントが眼鏡で調整されてしまった目では,何を優先して見るべきか的確な判断が 果たせなくなっている状況が考えられる.くっきり見えていながら正常な反射神経に 連動しない恐れがある.                             狭い一般道路でもスピードが上げられるのは,それが安全だと思えるからである. 既に,それは錯覚の中にいる自分なのだが,これは自覚することが出来ない.大きな 事故に遭遇して初めて気がつくばかりである.                   基本的に,目からの情報は,訓練されない限り,『見える』と言う受け身の形で, 積極的に『見る,見ようとする』感覚が乏しい.事故を起こせば『見えなかった』と 弁解する.『見ようとしなかった』現実には目覚めない.              正しい眼鏡を掛け続けて運転することが安全運転に繋がるとの思い込みで,自分の 裸眼視力をどんどん低下させ,見ることを眼鏡に依存して,見ることを益々受け身に してしまう.                                  積極的に危険を見ようとする意識が芽生えると,一般道路で,そうそうスピードを 上げられるものではない.通常は,『見える』受け身で生活しても,不自由はない. 然し,『見ようとしない』部分での危険は避けられない.              見えるようになる受け身の部分に依存して眼鏡を掛けてしまうと,何処かで,その 注意力が失われて,見落としが起きて来る.眼鏡を必要とする目は,基本的に正常な ピントに耐えられぬ何かがあって視力低下が起きるのだ.              改めて,この現実を見据えた上で,或いは,記述の内容も堂々巡りしてしまうかも 知れぬが,敢えて,視力についての考察を続けてみたいと考えている.俺様の視力が 正常になるまで継続出来るテーマである. ** 悪魔 **           
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