内向的な性格が近視を呼ぶ?

内向的な性格が近視を呼ぶ?

 俺様は,別段,眼科の医者でもなく,相応に学位を持った専門家でもない.よって ここに書かれている内容に医学的根拠がある訳でもない.単純に,自分自身の肉体の ユーザーとして,その使い方を工夫するだけである.                言わば,肉体と言うコンピュータを使って遊んでいるに過ぎない.どんな病気も, 基本的に,自分自身の自然治癒力に依存しなければならない.もはや,生きようとは しない死体を蘇生させることは出来ない.                     例えば,俺様は視力回復訓練に,モデルガンで視力表を狙う射撃訓練を行って来た 訳である.現実に,視力が向上すると言う,言わば,目が変形する程に,この単純な 空撃ち練習に励んだのである.                          それ故にこそ,初めて,いきなり本物の44マグナムを撃ってさえ,弾道を乱さず 弾痕を一定範囲にまとめる腕が発揮出来た.引金を引き終わって,撃鉄が撃針を叩く 瞬間を着実に見届けようとする意識が自然に働いたのだ.              例えば,拳銃の反動を恐れてしまうと,引金を引いた瞬間がどうなっていたのか, 全く分からなくなる.注意力が逸れた瞬間に,原始的な反動を恐れるあまり,拳銃を 下に向けてしまう.遠くに注意力が向けられる状態ではない.            つまり,心に何らかのわだかまりがあると,遠方への注意力が失われる.例えば, 車の運転をする際に,考え事をしながら左右の確認をすると,その注意力は,十分に 遠方まで到達していないことが多い.                       考え事をしている時と,そうでない時とでは視力に差が出るなどとは,眼科医でも 気がつかないことかも知れない.はっきり言えば,考え事をすると,目のピントは, 近くに集中してしまう.                             考え事をするときの,自分を観察してみるといい.視線を落とすような仕種になる 様子が自覚できる筈である.300メートル先の雀に,しっかりピントを合わせての 考え事などは,ほとんどあり得ない.                       こうした点を考えると,基本的に内向的な人間は近視になりやすい.俺様が,遙か 遠くに,ピントを合わせられる目になりながら,それでも近視から抜け出せないのは 多分に,内気で内向的な性格が災いしている?                   ただ,昔はこんな行動をすることはあり得ないと思うような,妙に外向的になった 部分があって,俺様の中で違和感を感じている部分がある.昔は最初から諦めていた 交渉に積極的になったりする….                         例えば,買ったばかりの電子手帳のメモリー保護用電池が数日後になくなる現象に 遭遇して,故障を疑って,サービスセンターに持ち込んだら,単純に電池交換をして 1545円を請求された.それ位だったら自分でやれるのに….             然し,数日して再び同じ現象に見舞われて俺様は切れた.「最初から故障を疑って 持ち込んだのに電池交換で済ませたのは,そちらの判断ミスなのだから,1545円は, 当然,返して貰えますね?」                           俺様は,そう言いながら,『これは…普段の自分ではないな…』と不審に思った. 相手も呆気に取られて,俺様の顔をマジマジと見つめていた.「何かご質問でも?」 「あっ…いえ….それは…一応…調べた上で…」                  預けた電子手帳は,やはり内部に異常があって,電池が早く消耗していたと判明. 先の修理代金1545円は,返して貰えることになった.妻が知って,『本当に,そんな ことを言ったの? 嘘でしょ? 言えないでしょ?』                このようなことは,随所に見られるようになって,歳を取ったために段々図々しい 性格になって来たのか? などと自分でも不思議に思っていたりするのだが,視力の 向上との関連で考えると納得出来る?                       また,海外旅行の際には,ロクに喋れぬ英語を,臆面もなく平気で使ってしまう. そんなことは,先ず昔の俺様からすると,とても考えられない.一人で行動するにも 不安を感じなかったり….                            例えば,同行する仲間に,拳銃射撃に興味を持つ者はなく,結局,一人で出向いて 時には,日本語も解らぬ外人インストラクターを相手にすることになるが,そこに, いささかの不安もない.これは本来の俺様ではない?                駅のプラットホームから見下ろすと,750メートルの,細い直線道路があった. その先はT字路になっている.裸眼で,そこを一瞬に横切る車が,ハッチバックとか セダンとかワゴンなどの判別が可能な俺様である.自分でも信じられぬ….      信じられぬ俺様の行動面の異変と,視力の向上とは,何処かで,しっかり繋がった 連動性があるように思える最近である.然し,基本的な性格は変わりようがないので 近視の目は,相変わらず維持されてしまう?                    落ちた裸眼視力を向上させると,多少,性格的な部分にも異変が起きて来ることが あり得る? 更に,視力を向上させるには,性格そのものを,より積極的,外交的に 変えて行くことでも果たされる?                         これを逆の側面から考えると,眼鏡を掛け続けて,裸眼視力を更に落とすことで, 知らぬ間に,積極的な姿勢が取り難い人間になってしまう傾向がないとは言えない. 積極的な行動も大局を見忘れてしまう不安もある.                 例えば,同じ兄弟で,同じような生活環境にあるのに,一方だけが近眼になる例も 見られる.もしかすると,内面にある性格的な傾向と繋がりがあるのではないか?  などと妄想を抱いたりする俺様である.                      ずっと以前,テレビでインドの砂漠の警備隊員を紹介する映像を見た.その誰もが 澄んだ目をした隊員ばかりで,眼鏡を掛けている者は一人もいなかった.ただ一人, 日本のレポーターだけが,いかにも目が悪そうに眼鏡を掛けていた.         その映像を眼鏡に集中して見ていると,町の中に入るに従って,眼鏡を掛けた顔が 多くなる傾向があった.広大な自然に囲まれた中で生活をするのと違って,都会は, 人を内向的にさせると言う側面で捉えることも出来る?               空間が狭くなって,遠くを見る必要がなくなることと,内向的になる傾向は,案外 共通の因子を持っているのではないか? 更には,受験勉強なんて,多分に,人間を 内向的にしてしまう傾向も否定出来ない? ** 悪魔 **          

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