近眼を放置する弊害

近眼を放置する弊害

 ここで言う,『近眼を放置する』とは,裸眼視力を回復させることを考えないで, 眼鏡を掛けてしまうことを指す.俺様は,近眼の原因を,脳への過重な負担を強いた 結果であると認識するのである.                         この状態では,目から入る情報を本来の広さで認識出来ない状態に自分を置いて, 全ての事柄について,情報の欠落をもたらした状態で判断する結果を招いてしまう. これが長い人生にどれだけの弊害をもたらしているか?               残念ながら,そういう証明は出来ない.ただ,俺様自身が自分の人生を振り返って 考えるとき,全般的に,極めて狭い常識の中でしか,ものを考えて来なかった反省が 生まれる….                                  例えば,朝,目が覚めてから,まず眼鏡を掛けなければ,何事も始まらない生活が 延々と続いて来たのだ….極端に考えれば,脳の機能に,ずっと制約が続いたままの 人生を送っていた….                              然し,そんな人生の中で,自分の視力が弱いのだという自覚を持ったことは一度も なかった.眼鏡は当たり前だったし,それなしでは生活が出来ない.何よりも近眼は 別段,病気という訳ではない思い込みがしみ込んでいた.              この十年間,俺様は,自分の視力の弱いことを自覚して,その強化に努めて来た. 眼鏡を外したことが,ものを考える上でも今までと違って,より広い視点で見られる 自分になったような錯覚?もある.                        年齢的なものもあるかも知れぬが,俺様が,キーボードのブラインド・タッチで, 二つのキーボードを打ち分けることを考えたのも,眼鏡を外してからの発想である. 新しいことを理解する力も以前にも増して強くなった?               今まで以上に,新たな環境への適応能力が強くなったと思える.更に,文章を書く 上でも,自ら『デジタル・ブロック書法』と名付けた,このスタイルに統一したのも 最近のことである.                               果して,俺様が眼鏡を掛け続けていたならば,このような発想に到達出来たとは, どうも思えない….実質的に,眼鏡を外して生活することが,常識になってしまった 現在である.今,とても眼鏡を掛ける気がしない….                それは,流動的な脳の働きを,圧迫してしまう印象が感じられるのだ.根本的に, 自分自身の視力が捉えた世界ではない,何処か,違和感のある映像に思えてしまう. ピントがくっきりした世界にそういう印象を感じるとは….             視力が向上する過程で,臨時に掛けていた眼鏡の度が次第に強く感じられてきた. ギラギラと目の奥を刺すような強い刺激に感じられるまでになって,眼鏡の度を弱く することが何度かあった.                            これは,丁度,近眼になったばかりの頃と,全く逆の現象である.但し,眼鏡屋の 作る眼鏡は,概して度が強めであり,そんなものを掛けての行動など出来なかった. そこで,調整された眼鏡の度を更に半分弱くしたものを作った….          実際,眼鏡は,その程度の度で十分だった.少し度が弱いと感じられるくらいで, 眼鏡に抵抗が感じられなくなった.最初の,この段階では,眼鏡を掛けてしまうと, その状態で,更によく見えるようになる感触がなかった.              必要以外の時は外して視力強化に努め,モデルガンでの空撃ち射撃を繰り返して, 意識的な努力を繰り返した.当初は,まるで見えなかった照星・照門も,抵抗もなく 見えるようになった….                             眼鏡を掛けてしまうと,何故か,目はその度に固定されてしまう慣らされるような 感触があった.例えば,偶然にクッキリ見えている瞬間は,眼鏡を掛けた状態では, 体験した事がなかった.                             次第に向上する視力は,結局,必要以外のところでは,眼鏡を絶対的に外しておく 習慣の賜物であった.それを繰り返す中で,半分にした眼鏡でさえも強く感じられる ようになってしまった.                             ただ,眼鏡屋の計測では,正常に調整した眼鏡の度では,少し強いようですね…と 言うが,半分に調整した眼鏡では,弱すぎると判断した.検眼など,もはや無意味で 俺様は,半分の度の眼鏡の更に半分の度を指定して作った….            最終的に,作った眼鏡の度は,左−0.5と,右−1.0の眼鏡であった.今では これを日中に掛け続けることにも抵抗を感じる.眼鏡を掛けて見える世界の映像に, 何故か現実感が伴わない….                           この状態は,よく見えていると言う錯覚だけで,果して,見えている通りに自分の 脳が認識しているかどうか疑問に思えるのだ.眼鏡を掛けることが常識だった頃には 絶対に感じたことのない感覚である.                       良く見えてはいるが,その何処かに情報の欠落が起きていると言われれば,十分に 納得できる感覚である.あるいは,眼鏡に慣れない目の所為であるかも知れぬ.が, 慣れてしまえば,そんな自覚も無くなってしまう怖さがある….           少しでも,裸眼視力を良くすることは,基本的に,頭の働きを回復させることにも 繋がる,極めて重要なことだと,俺様は深く思い込んでいる.少なくとも裸眼視力を 弱くして,頭の働きが良くなるとは思えぬのである. ** 悪魔 **     

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