同名の同盟

「まさか民間会社が,ここまでやるとは….
ならば…,あいつの仇討ちの意味もある…。
やるしかない」
 射撃場に足を踏み入れながら,自ら勇気と
意欲を奮い立たせていた。

 それは,自分が,支店長に昇格した途端に
沸き上がって来た変化だった…。果して…,
出世が本当に自分にプラスになったかどうか
疑問に思える部分もあるのだが,もはや後に
引けなかった.

 脳裏に、二つの光景が浮かんでいた。あの
おんぼろアパートに入って行くいかがわしい
連中の姿…。その同じ場所に近代的なビルが
完成して、有名タレントを招いての華やかな
開幕を告げるテープカットの一瞬…。

 今、こうして秘密裡に,他の社員も知らぬ
場所に出入りするようになったのも,強引な
事業拡大の必然的なツケでもあった.然し,
会社が生き残り,そして更に発展することが
自分が生き残る道でもあった.

 立ち退かぬオンボロアパート最後の住人は
本村直也。岡島の中学時代の同級生だった.
彼には鮮烈な記憶があった.怖い存在だった
数学の教師に逆らい、自分の主張を曲げずに
ひどく体罰を受けた….

 取り壊しに伴う立ち退き要求を断固として
拒み続けていた彼−−それは、中学校時代の
彼そのものだった.彼には,自分の同級生が
立ち退き要求に関わる会社にいることなど、
全く知る由もないだろう.

 現場を見ておく必要から,そのアパートの
近くまで来たとき、一見して,それと知れる
ヤクザ風の数人が通りかかり,突然,彼らは
立ち止まると,岡島に深々と頭を下げて中に
入って行った….

 彼らに見覚えはなかった….彼らが自分を
知る筈もない.他の人間に頭を下げたのか?
だが,自分以外に人はいなかった….
「岡島じゃないか…」
 不意に後ろから呼ぶものがいた….

 だが、男に見覚えはなかった。その服装は
一見して、社会の底辺に生きる人間のもので
知り合いではなかった….だが,突然…,
『本村…』
 心の中でそう叫んでいた。

「あの…。失礼ですが…。どなたかと人違い
なさっているのでは?」
 自分の口から出てきた言葉は、全く自分で
も予期せぬものだった。今の自分の立場を,
守ろうとする反射的な応答だった….

 一瞬、彼の顔が怪訝そうな表情に変わり、
「あ…。済みません…。昔の知人に似ていた
もので…」
 本村は、そのままアパートに姿を消した。
その瞬間….

「おっ? いい度胸しとるやんけ….まだ,
おったんかいな….気をつけなはれやぁ….
いつ鉄砲玉が飛んで来るか分からんで…」
 先に入った連中の、かの世界特有の響きを
持った殺気だった声が漏れてきた。

  会社の話では,円満な話し合いが続いて、
解決の方向に向かっている筈だった.然し,
これは一体….強引な地上げがマスコミでも
伝えられていた。それは我が一流企業とは,
無縁の話だと思いたかったが….

  その後、このアパートは円満に立ち退きが
なされたと言う。それとなく、住人、本村の
消息を聞いてみたが,知る者はいなかった.
何処か問い質す事が憚られるような雰囲気を
感じた….

 数日後、新聞を広げた瞬間、『本村直也』
細かい記事の中の文字が目に飛び込んだ….
その記事を読むと…,酒を飲んで誤って川に
落ちて溺死したと見られていた人物の身元を
伝える小さな記事であった。

  いなくなって欲しい人間が、その時期に,
都合よく死んでしまう…。そこに至って…、
あの数十年振りに起きた,偶発的な再会を,
自分から拒絶してしまった….非情…と言う
より臆病な態度だった….

 改めて考えてみると、いきなり,後ろから
十数年振りに会う人間の姿を見て、まるで,
日常、よく会っている人間と,偶然出会った
ように現れてきた彼….自分の姿はそんなに
昔と変わらなかったのか?

 多少、似ているとは思うだろう.然し…,
そんな相手に向かって、「岡島じゃないか」
と断定出来た確信は何処から生まれたのか?
人違いを決め込んだ自分に、丁寧に詫びた,
あの素直さは…。

 もしかしたら…,死を前にした人間には、
会いたい人間に出会える機会に恵まれる….
あの彼だと気がついた瞬間…、様々な思いが
交錯して,素直に,十数年前の中学生時代に
戻れなかった悔いが残る….

 彼の身なりに抵抗があった。自分が,通常
付き合っている世界の人間と,まるで違った
ための戸惑い…,明らかな違和感があった。
自分が付き合うべき人間ではないとの判断が
あった。

 自分の会社が本村を殺した後ろめたさ…,
その複雑な心境の中で、自分自身が狙われる
事態になった….実行犯たる彼らが,自分の
敵であり、本村の仇になった。あのツケが,
今、自分達に回って来ている。

 マスコミや警察に情報は漏れていないが、
会社の関連施設や幹部宅に,頻繁に,拳銃が
撃ち込まれていた。事態に遭遇したら,対策
本部に連絡知らせろ。警察には知らせるな.
そんな箝口令が敷かれた。

 夜中にトイレに起きたとき、特有の蜘蛛の
巣状に割れたガラスを発見した。連絡すると
即座に人がやって来た。瞬く間に,ガラスを
取り替え、弾丸のめり込んだ壁をくり抜き、
痕跡をきれいに修繕してしまった。

 迎えが来るまで自宅で待機する.窓際には
近づかない.周辺には,警備体制が敷かれて
臨戦体制に入っているという.遂に,会社は
ヤクザとの直接対決を押し進めているのか.
もし警察へ届けたら….

 この会社の,迅速な対応から推察するに、
今度は会社が自分を狙ってくるかも知れぬ.
抜き差しならぬ関わりを持ってしまった…。
成り行きに任せず、意識的に積極的な行動が
必要だった….

 会社を辞めることも出来なかった.そんな
小手先のことで、狙われた自分の身の安全が
確保される事態ではない.『保護』名の下に
家族が,会社の人質になっているようなもの
だった….

 会社には恩もある。目先の恐怖を理由に,
去ることは平時でも出来ない.既に、自宅の
周辺で、二人のヤクザが,射殺される事件が
起きていた。警察当局は、これを抗争事件と
みていた….

 実際には、わが家を警備していたわが社の
人間が、わが家に発砲しようとした彼らを,
いち早く発見してこれを射殺したのだった。
家族を護るために、会社は,既に実質的な,
戦闘行為に手を染めていた….

 事態は、一層,危険な状態になっている。
いずれ彼らも、会社の人間が仲間を殺したと
気がつくだろう.危険の度合いも,今までの
比ではなくなる。だが、会社は敢えて,その
選択に踏み込んだのであった。

「わが社が開発した拳銃です。無論,公表は
されません.取り敢えず岡島さんにも,この
取扱方法から、最終的には、実戦的な射撃の
ノウハウを学んで頂きます」
 田村と名乗る面識のない人間だった。

 通常業務の中で、付き合っている人間とは
全くかけ離れた異質な印象である.会社は、
自分の預かり知らぬところで武器を製造し、
それを密かに海外へと輸出して稼ぐ裏家業に
手を出しているらしい….

 軍人上がりを思わせる,機械的な冷たさを
持った田村のような社員が在籍するとは….
或いは,わが社自体が軍隊を組織している?
自宅に近寄った敵を,一瞬に射殺した現実は
普通ではない.

「射撃の基本は、ここにある,引き金を引く
一瞬にあります。この瞬間に、照星・照門・
標的の3点が,正しく一致していればいい.
ただ、これはあくまでも基本です.実戦的な
射撃では、そのヒマはありません.

 あくまでも,指でものを指す感覚で即座に
相手を撃つ必要がある訳です。ただ照準器を
使った射撃で、引き金の引き方を学びます.
それは,瞬間的な射撃にも生きて来ますから
よく練習して下さい.

 いきなり実弾を撃たず、空撃ちでの練習で
効果的な練習が出来ます。引き金を引いて,
劇鉄が落ちた瞬間,この3点一致の有無を,
自分の目で確認するようにして下さい.まず
持ってみて下さい」

 言われるままに手渡されたリボルバー型の
拳銃を手に取る….たったそれだけの動作に
無数の注意が飛んだ….肘を曲げて不用意に
拳銃を横に向けない.必ず腕を延ばしたまま
操作すること….

 正しい拳銃の握り方、安易に引き金に指を
掛けない等、それを学んだだけでも、今まで
不用意に取り上げて撃とうとした自分とは,
格段に違いが出た。自分が,次第に非合法な
世界に嵌まり込む自覚があった….

 標的を狙ってみると、映画でみるようには
ピタリと静止した照準は得られなかった….
標的は,ゆらゆら揺らいでしまう.その中で
一致した瞬間に,思い切り引き金を引いた.
見極める事は不可能だった。

 6発の実弾射撃を体験させられた。だが、
標的に弾痕はなかった….銃身が完璧に下を
向いているのだと田村が言う.だが,自分に
その自覚はなかった.衝撃を恐れる反応が,
自然にそうさせるのだと言う.

 改めて,射撃の姿勢,足の重心の掛け方、
「暗夜に霜の降る如く」で表現された引金の
引き方を等を教えた.何度も,空撃ち練習を
繰り返した.次第に,引き金を引いた瞬間の
3点の位置が見えて来た。

 改めて6発の実弾射撃を体験させられた.
標的の中に弾痕が得られた.ともかく標的に
当たった.拳銃を置いて田村を振り返る.
「弾倉を開いてから置くように…」
取り扱い方がうるさい….

 田村は、自分の射撃を見るように言った。
新たに標的をセットすると、瞬く間に6発を
撃ち、その標的を彼に示した。全ての弾痕が
折り重なるように数センチに納まっていた.
言葉もなかった….

 実戦的に撃つのは至近距離が主体である.
狙う必要もない状況で相手に向けて,撃てば
必ず当たる状況では,ためらわずに,確実に
撃てる勇気が基本ともなる。人を紙の標的と
思う感覚が必要でもある.

 そんな理由から,人体の標的に,指をさす
ように撃つ練習を行った.撃鉄を上げずに、
そのまゝ撃つ.しっかり握って,思い切り,
常に均一の力を以て引金を引く.銃のブレが
常に一定になるようにする.

 しっかり握った手と,人指し指は,別物と
考えて,引金だけに力を入れるようにする.
通常,銃身がやや右に振られるので,それを
計算に入れる….だが,ほとんど標的には,
当たらなかった….

 思い通りの場所に,弾丸を集中させられる
田村とは雲泥の差があった。
「周辺を目立たぬように警戒していますが、
一度入られてしまうと、対処出来ない場合も
ありますので、その時に備えて下さい」

 手渡されたリボルバー型の拳銃は,弾丸を
装填した状態で保管する….万が一,相手に
侵入された場合、ためらわずに使うように,
要求された。然し,先の成績では,とても,
自信はなかった….

「慌てると銃身が相手に向いていない状態で
引金を引いてしまう傾向が有ります.相手の
体の中心を目で捉え、腕を伸ばして指さして
ピタリと止めた瞬間、引金を引く要領です.
この場で練習して下さい」

 しっかり相手に拳銃を向けるまで、引金に
指を掛けないこと.これが徹底訓練された。
撃鉄を上げた引金はとても軽い。標的をよく
狙って撃つ以外は,それを省略して,均一の
力で一気に引く….

 彼らヤクザと対等なパワーを持ったのだと
自信が沸き上がって来た。
「くれぐれも暴発に注意して下さい。同型の
エアーガンを渡します。自宅での練習には,
これを使って下さい」

 会社の秘密を守り、同時に,彼らとの縁を
切るには、結局これしかないのか…。だが、
敵の攻撃に対処しているだけでは、最終的に
勝てない道理ではないか…。彼らを徹底して
殲滅する決意が必要な筈である。

 ヤクザと武力抗争。一個の民間企業だけで
行なう…。然も、マスコミや警察にも,全く
察知されぬように…。会社は,外郭団体に、
ヤクザ組織を設置したのであろうか? 何か
大きな渦の中にいる自分を感じた….

 拳銃を手渡されたものゝ、自分はまだまだ
盤面の小さな駒に過ぎない.自分は、本社の
指示で田村に会い、彼の言うがままに射撃を
習わされ拳銃を持たされた。それについては
本社からの説明は何もなかった。

 自分が知っているのは、襲撃を受けた際に
連絡する電話番号位なものである.それが,
何処に通じて、誰がやって来るのか,まるで
分からなかった….現実の世界を,そのまま
夢に見ているようだった.

 仕事を終えると、待っている田村と会い、
定期的な射撃訓練を行わされた。通常業務の
中で、田村の存在感はまるでなかった。誰も
知らない存在であった。まるで自分の全くの
個人的な交遊関係の世界であった。

 仕事が終わると、訓練日以外は、真っ直ぐ
マンションに帰った…と言うより,強制的に
送られて自由に行動出来ない状態にあった。
既に,家族は親類に避難している….岡島は
一人だった….

 突然,鈍い音がした.反射的に拳銃を手に
様子をみる.またしても…窓ガラスに銃弾が
貫通していた.突然襲ってくる相手にとても
対抗出来るとは感じられなかった。

「すぐにここを引き払います」
 到着した処理班の中に田村がいた。岡島は
彼の案内で別のマンションに移った.田村は
1ケースの弾丸を手渡した。それを手にした
瞬間、余計に不安が募ってきた。

「然し…、ここに身を隠せばその必要は…」
「確かにそうなのですが、未だここは完全に
住人の調査が済んでいない不安があるので、
念のためです」
 が,とても人が撃てる自信はなかった….

 会社ではさしたる変化もなく、他の社員も
全く平静に,勤務を続けている….緊迫した
情勢のかけらもなかった。ただ私生活だけが
大きく変化している状況だった。その点が,
合点がいかなかった….

「岡島っ! いることはわかっているっ! 
おとなしくドアを開けろ!」
 突然、激しくドアが叩かれ、罵声がした。
「な・なんて事だ…」
 拳銃よりも,電話を取った….

 なかなか電話が出来なかった.頭の中が,
真っ白だった….掛けようとする電話番号も
分からなくなっていた….とても自分一人で
対抗する自信はなかった.腰を据えて手帳を
出してダイヤルした….

「誰かが私の名を呼んで,怒鳴っています.
すぐに来て下さいっ!」
 すぐに救援を差し向けるから、それまで,
シッカリ持ち堪えろとの命令だった.慌てて
拳銃を取った….

 ソファーとテーブルを楯に,バリケードを
築いた….鍵が破られたのか…,突然ドアが
開いた.黒ずくめの数人の男の姿が見えた.
「紙の標的だと思え」田村の言葉が,脳裏を
過った.岡島の拳銃が火を吹いた。

 然し…お宅の岡島支店長はん…。警官隊と
銃撃戦やるたぁ…,いやはや大した度胸で…
生きとったら,ウチの幹部になれますわ….
それにしても…二人の岡島は,まるで双子の
兄弟ですわ。良く似てましたわ…。

 お宅も,こうして身内から,生贄を出した
ことやし….これで手を打ちましょ」
 ヤクザの岡島は、そのまゝ支店長に収まり
企業舎弟の契りは,更に強化され,以前にも
増して強固なものとなった。(終) 
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