俺様流英語学習法からの雑念

俺様流英語学習法からの雑念
 例えば,英語の学習においては,さっぱり理解出来ぬネイティブスピーカーの話を 聞き続ける必要を感じている最近である.それは,学習に血を通わせる意味がある. 単語や熟語を覚えても英語は聞き取れない.                    俺様の視力訓練も,さっぱり見えぬ眼鏡を外した世界に慣れるところから始めた. 何事も慣れぬ内は,理解も出来ないし,使えるものでもない.それでも本来の世界に 身を浸していることが必要なのだ.                        英語の学習においても,さっぱり解らぬネイティブの話す言葉に身を晒すことで, これが人体の血液の流れに相当する生命を与える.その中で,一瞬でも分かる語句に 出会う繰り返しが必要なのだ.                          平行して習う従来の英語学習の結果が,この生命の流れの中に溶け込んで,解らぬ 英語に活力を与えるようになる.最近,俺様は,バイリンガルの放送以外にFENを 努めて聞くようにしている.                           楽器の練習でも,音譜と自分の演奏を一致させるだけに終始してしまうと,譜面を 読み違えて変な演奏に慣れてしまう欠陥も生じる.模倣から始まる演奏には,完璧な 演奏を耳で慣らす必要がある.                          例えば,英語を勉強しながら生の英語を聞くことに時間を割く人間は皆無である? 俺様が,高校卒業までに,例えば,FENを聞いたことは一度もなかった….英語の 勉強は,本の中だけだった….                          教科書の中で使われる英語が,生の英語の中では,どのように反映されているか? そんな比較の場すらない.だから日本語の発音のまま,英語に慣れてしまう.すると 文字で理解出来る英語でもネイティブに話されると解らなくなる….         英文の字幕を見て,スラスラ理解出来ることが,彼らの言葉で聞くと,全く違った 言語にすら聞こえる場面があって,さっぱり解らない.生の英語を知らずに,日本の 英語に慣れてしまう?                              今,俺様は毎日,バイリンガル映画をヘッドホンで聞いている.左からは英語を, 右からは日本語を同時に流すのである.先にも書いたように,これに慣れると完璧に 聞き分けられる.                                これにより映画の内容を把握しながら,同時にネイティブの発音に馴れる.これを 実践してから,まだ日も浅いのだが,ネイティブの話す速度にも抵抗感がなくなって 意味が解らないなりに慣れが生じている.                     最初に英語だけで聞いた場合,理解出来ないながらも,感覚的に次に起こる場面が イメージで捉えられたりする.そこでは,言葉の意味を超えた直観的な情報の伝達が 起こっている? これは幼児と同じである.                    未だ話すことも出来ない幼児が,親の言葉に従う現象を思わせる….これは人間に 限らず,動物にも起こる.飼い主の言葉に従う犬とか….我が家のお喋りインコも, 教えられた言葉を合成して別の言葉にしたり?                   あたかも人間と会話をするかのような瞬間すらある.無論,それは偶発的な現象に 違いないのだろう.それでも,俺様と妻に対しての呼び方を使い分ける位の芸当は, 日常的ですらあり,時に不気味にも思える.                    人間の掌に乗ってしまう小さな鳥のクセに生意気である.もしかすると,生物には 本能的な言語への適応能力が秘められている? 赤子が言語を理解する過程について 考えると,常に言葉の意味するものが身近にある.                 言葉と,それを示すものが共存している.その繰り返しの中で言葉を覚えて行く. バイリンガルを両耳で同時に捉えられる耳を養うことは,英語の意味するところを, 同時に同じ空間に置く効果を生むのだ.                      言語を学ぶ基本は,意識的な文法に頼った系統的な方法よりも,流れに身を浸す, 直観的な方法に比重をおく必要を感じるのである.これは,疲れを感じない絶対的な 英語学習となる.                                今,俺様が二時間バイリンガルで映画を見ても疲れは全く感じない.逆に,英語の 発音と日本語の意味が自然に同時に頭に入って行く快感がある.英語の学習に疲れを 感じない今までにない世界が出現している.                    例えば,この日本語と英語を同時に聞き取る能力を使って,次の可能性を開く道に 通じて来る.それは,音声・映像を交えた二つの情報を同時に吸収する能力である. 一般的には,二つのテレビ番組を同時に見聞するなどである.            果して,二つの違う日本語の内容を聞き取ることが出来るかどうか? 短い時間の 実験では,無理なく出来る雰囲気を感じている.更なる応用は,バイリンガル映画の 二本同時鑑賞の可能性も生まれる?                        最近,パソコンの進化は,信じられぬスピードで進んでいる.実は,この背後には 人間自身の能力も,同時に進化している可能性を示唆している.コンピュータと言う 道具は,人間の能力から発達したものである.                   コンピュータの中に見られる進化は,同時に,人間自身の進化に繋がる.これは, 絶対的な必然でもある.人間の中にあるものが進化しなければ,道具の進化はない. よって人間は今までにない能力の発現を可能にしている….             単純に,コンピュータを便利に使うだけではなく,それを使っている自分自身が, 今までにない能力を発揮する道を開く必要がある.パソコンは,そんな能力開発への 補助的な手段として活用する部分を保つ使い方に目覚めるのだ.           コンピュータに頼り過ぎると人間自らが頭を使わなくなってしまう.空いた労力を 新たな能力開発に活用することが必要になる.つまり,コンピュータで楽をした脳を そのまま放置すると,そこが空洞化して痴呆になる?                やがて,20代,30代での痴呆症が発生する時代になるのも時間の問題である. 既に,10代の人間の中にも,その兆候を見せている者が多い.猿並みの脳の働きで 人間をやっているのだ.                             近い将来,地球は本当に猿の惑星になってしまうかも知れぬ….凶暴な猿が地球を 支配するようになる.猿になるか,より能力の高い人間になるか,道は二つに一つで 中間の今までの人間は,どちらからも搾取される….                既にそんな社会になりつつあるのが現状である.リストラ,いじめなどは,そんな 典型的な兆候の一つである.新たなる能力を発揮出来ぬ者は,猿になって凶暴な力を 蓄えるか,ただの餌になるかの選択しかない….** 悪魔 **            日本語の表紙に戻る