『パソコン使用不能状態』からの雑念

『パソコン使用不能状態』からの雑念

 突然,Windows 95の世界がパソコンから消失した.以前から,漠然と異変が生じて いずれフォーマットからやり直しして出直さなければならないかと覚悟はしていた. 容量1GBも限界まで使ってバックアップも不能.                 その内,MS−IME98の変換機能が怪しくなって『しゅさいする』と入力して 変換に掛けると,突然,凍り付いてしまう現象に遭遇するなどの症状が出て,文章も 満足に作成出来なくなり,遂に起動しなくなった.                 購入して3年目を過ぎたPanasonic CF−32FPである.これまでも 定期的にフォーマットからのやり直しを強いられる現象に出会ってきた.あるいは, Windows 95の不安定な要素も原因かも知れない….                 俺様は,パソコンの知識が浅い.使用歴は15年にもなるのだが,Windows 95には, MS−DOSの世界から突如の乗換えで戸惑いも大きく,常識の落差に泣かされた. 然し,今ではこれなしでは生き甲斐がなくなる…?                 インターネットへの接続すらままならなくなったマシンを前に,いかにしてこれを 元に戻すのか逡巡した.フロッピーに移動出来るテキストファイルだけは移したが, 多くのデータは,どうすることも出来ないまま….                 最終的には,パソコンを水没させたつもりでフォーマットに踏み切った.違うのは パソコン自体は再び使える点である.前世の記憶を一切失って生まれ変わる現象が, ハードディスクのフォーマットで体験されるのだ.                 ずっと若い頃,人間が生まれ変わる場合,骨の骨格は前世のものを使うという話を 何処かで聞いた.その頃,俺様は,前世での自分の死に様を夢で見た….満月の晩に 両端を掴まれた状態で,頭から一刀両断にされた.                 その瞬間,目を覚まさず,俺様はある場所に瞬時に移動した.水中のようであり, あるいは母体を思わせるようなところだった.そこで記憶を取り戻した.『死ねば, ここへ来るんだっけ….恐れる必要はなかった…』                 俺様は,何度か死を体験していて,その度にその同じ場所に来た….死んだ後で, 初めて思い出す記憶であった.俺様の頭頂部は何故か骨が細長く盛り上がっている. 前世の痕跡だとすれば,刀で斬られた痕跡かも….                 俺様が,自分の人生を振り返るとき,子供の頃から,ずっと変わらぬ何かがある. 俺様がどのように変わろうと,それだけは変わらない.パソコンの本体に似ている. 本体は,あるいは魂に例えられるかも知れない….                 メモリの一切が消えても,それだけは残る….普通,魂は,漠然とながらも,心と 繋がっていると考えられている.然し,俺様の感覚では,魂は肉体に近いと思える. 魂は非常に鋭敏な存在だが,心とは鈍感なものだ.                 心は簡単に装飾にごまかされて,毒物の入ったものでも平気に口に入れてしまう. 然し,肉体は,摂取されたものを鋭敏に判断して,生体維持のために排除しようと, 反射的に吐き出させるなど,必要な反応を起こす.                 俺様が心に記憶したものが,果たしてどれほどの価値があるのか? 自分の死後に それが何の役に立つのか? この世で学ぶことは,この世でしか役に立たないのだ. 15年前のパソコンの知識を温存しても無駄である.                 多くの情報がどんどん死に絶えて生まれ変わる現実の前に,人間が生まれ変わって 当時の情報を再現したところで,新たに誕生した世界を生きる知恵にはならない…. その時代を吸収し,新しい情報で生きるしかない.                 子供の適応能力を大人が発揮出来ないのは,古い情報が適応を邪魔するからだと, 単純に考えることが出来る.古い情報の詰まった頭では,柔軟な適応は無理である. ハードディスクのデータすら未練が残るのである.                 パソコンが使えなくなって,最も切実だったことは,インターネットにアクセスが 出来なくなったことである.間に合わせにザウルスポケットや初代インタートップで アクセスしても,ブラウザの貧弱さから使えない.                 実際,継続的に行っていたインターネットでの懸賞生活すらままならぬ.わずかに メールの送受信が出来る程度だが,それも受信のスピードがヤケに遅い弱点が伴う. 新たにインターネット中心の構築にしようと決意.                 必要だから…と,なかなか削除出来なかったソフトも捨て,インターネット中心の インストールを行うことを考えた.やはり,こうなるとフォーマットからやり直して 新しく生まれ変わる必要があるのかも知れない….                 パソコンが不具合を起こしたのも,役割を終えて天寿を全うするにも似た現象だと 思えてくる.増設もままならぬ1GBのハードディスクの容量も,インターネットに 的を絞って使えば,そこそこに機能が発揮できる.                 空のパソコンは,中のソフトを入れ替えることで,次の時代に適応が可能になる. 今,組み込まれたソフトに目を奪われて,それを全てだと思い込むのではなく,外の 本体の柔軟性に目を向けることが重要な点である.                 もっとも,本体そのものも進歩が急激で,どんどん世代交代してしまう.今では, 俺様のパソコンは,中古市場でも滅多に見られなくなっている.購入して3年経つと 大体,こんなことになってしまうのが必然である.                 もはや携帯機器のインタートップでは,一部のデータが多過ぎて,ホームページの 更新も果たせなくなっていた.取り敢えず,Windows 95が使える環境を再構築して, インターネットへの入口が確保出来てホッと一息.                 邪魔なだけで,全然,収入に繋がらない広告は,取り敢えずは文末に放り出して, 質素な元の形態を維持しておくことも必要だと判断.プレゼントもない俺様の世界に 変わらぬアクセスがあって,不思議な気分である.                 色々,書きたいことは山積みである.日常の雑事に翻弄されて,なかなか書く暇が 生まれないのが残念….神戸小学生首斬り事件では,被害者の父親が本を出版した. 取り敢えず,この本も購入して一通り読んでみた.                 気を入れて新たなる更新に力を尽くしたいところである.気が焦るばかりで行動に 移れないところが何とも歯がゆい.パソコンで出来ることは無数にあるが,操作する 肉体は一つしかない.改めてそんな現実を実感…. ** 悪魔 **          ・目次に戻る